中学生の時に、Yさんという同級生がいました。
親しくはありませんでした。時々ちょっと、話したことがあるくらい。小柄で色白の、かわいい女の子でした。
二年生の時に、新任のHという男性の先生が、私達女子の体育を受け持ちました。その先生は、軽い体罰をふるう先生でした。遅刻したり校則に違反したりすると、叩かれました。後に彼は私が教育実習に行った頃良い先生になっていたと思いますが、私達を受け持った時の彼は今思えば大学を卒業したばかりの二十三歳です。一言で言えば、未熟だったのだと思います。
その体罰は昨今問題になっているほど深刻なものではなかったかもしれませんが、私達はもちろんいやでした。
Yさんはそんなに活発な女の子でも、ものすごく目立つ子でも、特別な優等生でもありませんでした。
しかしある日彼女が発起人になって、「H先生の体罰について話し合う会」というものが、放課後開かれました。学年主任に彼女が申し出て、二年生を受け持つ先生が出席し、
「H先生の体罰について申し出たいことがある生徒は、会議室に来てください」
と、校内放送が流れました。
恥ずかしながら、私も叩かれたことはあったのですが忙しかった訳でもないのに行きませんでした。会議室にはそんなに沢山の生徒が行った訳ではなく、後に聞いた話によると、Yさんは、
「女性の顔に手を上げるなんて最低の行為です」
そうH先生を咎めて、H先生は号泣して謝ったとのことでした。その後、朝礼でも彼は私達全員に謝罪しました。
体罰はなくなりました。
けれどしばらくの間、愚かな私達の間で、
「女性の顔に手を上げるなんて最低の行為です」
と、いう彼女の言葉は流行りました。
Yさんは三年生の時、学年で一番成績がいいけれど何故だかとても嫌われていた、Aくんという男子と付き合い始めました。
学校の行き帰り、二人は仲良く一緒に歩いていました。
Aくんが嫌われていたのは、ただ勉強ができるから鼻持ちならないように見えるという馬鹿な理由だったような気がしますが、Yさんは幼稚な男子からそのことを酷く揶揄われても、無神経な女子から「Aくんの何処がいいの?」と揶揄われても、涼しい顔をして、変わらず彼と登下校をしていました。
私は彼女と話したのは三回くらいだったのですが、何を話したのかを今でもよく覚えています。
何かふとした弾みで、こんなに時が経っているのに、彼女のことを思い出すことがあります。
Yさんはとてもかっこいい、素敵な女の子だった。
もっと親しくなって沢山彼女と話したかったと後悔することもありますが、Yさんの友人になるには当時の私は幼かったのだと思います。多分私達はみんな未成熟で、彼女は一人でベランダで本を読んでいることが多かった。
会議室には行くべきだったと、校内放送を聞きながら放課後の教室で友達と喋っていたことも、いつからか大きな後悔になりました。
Yさんには今会ってみたい気もするけれど、思い出だけでも彼女は充分に、何か助けになってくれることがあるような、そんな気がしたりするのです。
- 2013/07/09(火) 12:20:53|
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