私は今、とても感情的になっています。
そういう状態で日記を書いて良いものかと悩みましたが、気持ちのままに、綴ります。
震災の折り沢山のご心配を頂きましたが、私は福島県に住まいしております。福島第一原発のある、福島県です。
13日、フランス国営テレビが、前日の日本とフランスのサッカーの親善試合に触れて、司会者のローラン・リュキエが、日本代表のゴールキーパー川島永嗣選手のファインプレーに対し、川島選手の腕を四本に加工した合成写真を披露し、
「福島第一原発の影響だとしても驚かない」
と、揶揄しました。
会場には笑いが起きました。
このことだけを見て、フランス人がどうと言うのはいやです。それこそが差別そのものです。そしてこういったことは震災以来、数多あったことです。私の視界に入るところでも、入らないところでも沢山あることです。残念ながらこれからもあるでしょう。
10月28日発売の「WINGS12月号」で連載中のエッセイで今回少し触れたので、フライングになってしまいますが、ここでも触れたいと思います。
震災以来、福島の子どもたちは日常を生きながらも、
「私たちは、結婚を望んで良いのでしょうか? 子どもを得たいと思って良いのでしょうか? 将来どんな差別を受けるのでしょうか?」
と、悩み苦しんでいます。
姪っ子や甥っ子たちを見ていると、皆が毎日こんなことを考えているとも、思えません。天真爛漫に日々を過ごし、恋をして、何処の子ども達とも変わらない喜びを得ているようにも見えます。叶うなら子ども達が皆そうあって欲しいと、私は心から願っています。
しかし彼らの首には時折放射能測定器が下げられ、海辺で教師をしているまだ充分に若いいとこが、
「俺は放射能いっぱい浴びてっから、結婚なんてもう考えらんね」
と、笑います。
今月のエッセイには緩く日常を書かせて頂いたつもりでしたが、今回の件を目にして、私はこの怒りと悲しみに口を閉ざしてはならないと思いました。
もう二度とこんなことが起こらないようにと、願うことは難しいことでしょう。
けれどなくしたいのなら、声を上げて行かなければならないと気づきました。
福島に、今私たちは生きています。
幸い、私はまだ、心ない人に出会ったことがありません。一度もです。
友人達は気負うことなく、
「行くよ」
と、福島を訪ねてくれて、私はある時からそれを「申し訳ない、有り難い」と思うのを自分に禁じました。
旅先で、
「どちらから?」
そう尋ねられて、
「福島です」
と、答えると、
「お家は? ご家族は? 大丈夫ですか?」
見知らぬ人に、心配して頂くことも度々です。
そうした気持ちでいて下さる方の方が圧倒的に多いのだということも、忘れないように、日々を大切に生きていきます。
- 2012/10/17(水) 14:16:03|
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