先週の「グレーテルのかまど」が、「向田邦子の水ようかん」でした。
私は甘い物には、そんなに造詣が深くありません。あれば美味しく頂きますが、何処の何がすごく美味しいとか、そういう特別なこだわりが甘い物にはないので、「グレーテルのかまど」を大変楽しく観ていられるのだと思います。
へンゼルとかまどのやり取りが楽しいし、「スヌーピーのチョコチップクッキー」の時などは本当に感動しました。Twitterでも何度かこの番組はお勧めしましたが、友人達にもよく勧めています。私もこれは、幼なじみに勧められて観始めました。
でも甘い物が大好きな友人達は、
「ものすごく食べたくなって冷静に観られないから、観る時を選ぶ」
と、言います。
「私がものすごいスイーツ好きだったら、今週のお題のものを用意して観るけどな。そうすれば?」
そう言うと皆一様に、
「あのね、『グレーテルのかまど』に出て来るスイーツは半端なくおいしそうなの! ちょっと自分で用意したスイーツでは満足できないのよ!」
と、言います。
「私、『スヌーピーのチョコチップクッキー』の時、さすがに食べたくなってカントリーマ○ム買って来たよ」
「その神経でスイーツを語らないで!」
カントリーマ○ムに謝ってください。
しかも私、それまだ手をつけていないのですが。
話は戻りますが、先週は「向田邦子の水ようかん」。
友人が泊まりに来ていて一緒に観たのですが、友人が向田邦子の「字のない葉書」を知らなかったので、説明しようとしたのだけれど、話しているうちに涙が出て来て語りきれませんでした。今度友人には、今貸し出し中の「眠る盃」を貸そうと思います。
それに収録されているのか、今探したのだけれど見当たらないのですが、向田邦子のエッセイの中で、とても影響を受けたエピソードがあります。収録されている本もタイトルも今わからないのですが、何かふとしたきっかけがあると、その話を思い出します。
向田邦子は、乳癌を患われました。お母様にも内緒で、手術を受けられたそうです。退院したある日、一方の手に荷物を、一方の手に雨傘を持って歩いていたら、雨が降って来た。しかし彼女は乳癌の手術のせいで一方の腕が痛くて上がらず、一方の手は荷物で塞がっていて使えない。
だから向田邦子は、雨の中、雨傘を持っているのに差さずに雨に打たれて歩く、奇矯な人になってしまった。
道行く人は自分をおかしな人だと思っていただろう、と、そんな内容のエッセイでした。
そのエッセイを読んで以来、奇矯な行動だけでなく、人に対して、
「どうしてそんなことをしているの? どうしてそんなことを考えているの? おかしな人だな」
と、いう感情をあまり持たなくなった気がします。
誰かが何か変わったことをしたり考えたりしている時、そこには想像もつかないような理由が存在している場合が、ある。
そう思えるようになったことを、ぼんやりと、向田邦子に感謝してています。
実のところ、自分が多分奇矯な行動を取ったり理解に苦しむことをやらかしたりしがちだと思うので、人から、
「でもそうすることに何か理由があるのね」
と、思われたいというのもあるんですが。
私の場合は、だいたいの行動に大した理由はないかもしれませんので、お気になさらず。
- 2012/07/06(金) 12:40:08|
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