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菅野彰

菅野彰の日記です

「六年目の気持ち」

 東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
 3月11日です。

 自分の話で申し訳ないのですが、今の私の話です。
 六年目の私は、五年目の私より気持ちがとても落ちている。震災の件に関してです。
 最近よく「元気そうですね」と言われることがあって、言われるたびに「あ、空元気なんじゃないかな」と自分で気づく。震災の件に関して落ちてるけど、それは生活全般に及んでいるとも感じています。空元気は良くないな。

 でも、「震災のこと」が終わることは多分ないだろうし、落ちつくまでにも長い時間が掛かると思うので、そのときまでの時間の中で、こういう落ちていくときというのもきっとあるんだろうと思うようにしています。
 落ちて、またゆっくり前向きになって、やってけるのかなと。

 昨日、岩手県釜石市の友人とメールをしました。彼女は被災者の方々と多く接する仕事をしていて、
「明日を前にみんな気持ちが戻ってしまっている」
 と言ってた。

 私なんか被災らしい被災もしてないのに本当に申し訳ないなと思うんだけど(本当はこれはよくない感情だと最近痛感しています。人にはこう思うのをやめてと思いながら、でも当事者は思ってしまう)、私も昨日そういう気持ちで彼女に連絡しました。

 昨日、こちらは少し吹雪きました。
 あの日は晴れていて、もう春だと思っていたのに今日はまだまだ冬で。
 こんな気候じゃなくて本当に良かった。こんなに寒かったら、留められなかった命ももっと大きかっただろうと吹雪を見ながらぼんやり考えていて、なんだろうこの良かった探し、意味なんか全然ないなと気づいてまたぼんやりしました。

 気持ちがこういう風に落ちたことには、はっきりした理由があります。
 去年の夏に、岩手県釜石市に行って、昨日メールした友人に会いました。
 行って本当によかったとそれは今でも心から思っています。また行こうと思う。
 以前から友人とはメールのやり取りをしていて、釜石市の現状を聞かせてもらったりもしましたが、お魚が美味しいこと、雲丹が絶品で日本酒も美味しいとそんな話もしていました。
「雲丹食べに行く」
 雲丹を食べに行こうと思って、釜石市を訪ねました。
 直前になって、
「もし思い出すから辛くて無理なのでなかったら、町を案内して欲しい」
 そうお願いしました。
 彼女は快諾のメールをくれて、けれど末尾には「ごめんなさい。海には行けないので、近くまで送りますから見て来てください」と書いてありました。
 釜石市を訪ねて、彼女に会って、彼女はとても淡々とした言葉であの日のこと、現在を教えてくれました。
 正直、想像以上だったし、何もかもがまだまだだった。
 雲丹は本当に美味しかったよ。
 見て来たことを書こうと思いながら帰って、2週間後に、
「震災のことを踏まえて作られているから」
 と強く薦められたある作品を見ました。
 冒頭の方だけで私は無理だった。ぼんやりと見ていました。今思えば「無理だ」と思ったときに立ち上がれば良かったと後悔していますが、「もうこんなものが娯楽になるのか。誰もがこれを楽しんでいるのか」と力が入らなくなってぼんやりしてしまった。
 途中は直視できていなかったし、最後の言葉は聞こえて来たけれど、その言葉にも強い怒りが湧きました。
 けれどそれはもしかしたら、日本で私だけの感情なのかもというくらい同じ気持ちの人には出会わないので、本当に私だけがこの作品が無理だったのかもしれません。
 みんなが楽しんでいることに水を差したくないというのもあるけれど、私の気持ちを打ち明けたら「自粛厨」とかいう言葉で袋だたきに遭うのだろうなと想像がついた。袋だたきに遭う気力はなかった。
 間が悪いことに、その数日後に熊本で震度6の地震に遭いました。
 夜、ビルの5階にいて、体感でもかなり揺れました。
 このとき私は、震災以来初めて地震に恐怖を感じました。
 料理屋で、お店の方が「火を止めたのでしばらくお料理を待っていただいていいですか」と声を掛けてくださいました。一緒に食事をしていた方も冷静でした。
 私も昨日までこうしていたと気づいた。
 こんな恐怖をいちいち感じていたら、今熊本には暮らせない。
 生きていくために、みんな恐怖を閉じてる。
 私は五年が過ぎて、閉じていた恐怖がこのときに噴き出してしまった。
 今はちょっとした地震でも悲鳴が出てしまうし動悸がします。

 感情が爆発してしまって、私は「震災を踏まえている」と作品を薦めた友人にも、その作品を楽しんでいる何人かの友人にも、「こういう理由で私は無理だ」と打ち明けました。相手にされることはなかったです。
 誰とも共感できない気持ちを持つという孤立に、私は今までちゃんと苦しんだことがないのだとも知りました。
 大抵のことは、もし自分だけがそう感じていると思っても、私は多分「人は人、我は我」が少し得意な方だと思うので鈍感でいられた。
 この孤立は苦しく、今もそれは続いています。身近な人とも共感できないだけでなく、大多数の未知の人々とも共感できない。どうにもならない苦痛で、そのことは時々考えてしまうし、これは終わらないのかなと思うとあてのない気持ちになる。
 こういう感情を経験できてよかったというところまでは、まだ少しも辿り着けません。
 いつか同じような気持ちになっている人に出会ったときに、「わかるよ」くらい言えるようになっているといいなと願いはするけれど。

 理由もなくポジティブになれないので、気持ちは落ちていくばかりでしたが、予定していたので去年の秋に福島で呑み会をしました。これは本当に、集まっていただけてありがたかったです。
「被災地を訪ねるきっかけになりました」
 と言っていただけて、やれて良かったと思えたし、私も一番参っていたときだったので、「何かしたい」という気持ちのたくさんの方に会えたこと話せたことで大分救われました。

 でも相当やられてるな私、という自覚はあって、こういうときに無理すると良くないと思ってできずにいたことが釜石市のことを書くということでした。
 そこから私はまた歩き直しだよと思ったけど、その一歩ができずに今日になった。
 このネガティブな気持ちで書いたら、釜石市に迷惑だとも思いました。自分の怒りや苦痛に、見てきたことを巻き込んで発信してはいけないと思いながら、そこから切り離すことがとても難しかった。
 3月11日が巡ってきて、今日だからと釜石市のことを自分の感情とは分けて書き始めました。
 気持ちが戻ってしまう日だけれど、だから何ヶ月もできなかったこともしようと踏ん切れるとも思った。

 今年も、この日はこのサンドイッチ。
 よかったら去年の日記を読んでやってください。
 「いつものサンドイッチがいつもじゃなかった日々を忘れないよ/3月11日」
 この間このパン屋さんのご主人が、サンドイッチ以外のものからできるだけ卵を除いていると話してくれました。ご主人は本当は、卵が生地にも入っているパンが好きだったそうです。
「最近の子は、アレルギーが多くて。見えないけど卵が入ってたら食べられないしうっかり食べたら大変なことになっちゃうし、かわいそうだからね」
 いつまでもこのパン屋さんにいて欲しいなと思った。

 ゆっくりですが、遠い終わりのようなものに向かってまた歩いて行きたいです。

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  1. 2017/03/11(土) 14:21:15|
  2. 日記