菅野彰

菅野彰の日記です

「いつか何処かで作家志望の誰かのお役に立ちますように」

 いつか何処かで作家志望の誰かのお役に立ちますようにと一月に書いたのですが、「毎日晴天!」の担当さんに一度見ていただかないとと思ってそのまま発売の今月まで忘れておりました。
 ものすごくピンポイントな方に向けての言葉なので、お役に立つことはあまりないかもしれませんが。
 丁度今月「子どもたちは制服を脱いで 毎日晴天!13」が出るので、一応その誕生秘話的なものにもなるかなとアップしてみます。
 読み物としてお読みくださいな。
 以下を、一月に書きました。


 絶対にできない仕事、それは新人賞の選考委員だと、ずっと思っていました。
 ちなみにできないと思っていただけのことはあって、頼まれたことは一度もありません。
 引き受けてらっしゃる先生方は、本当に私はすごいと思います。
 自分でもできないと思い頼まれたこともない私は、人にものを上手に教える才能に恵まれていない。
 だがしかし、経験からくる助言くらいはできるのではと先日、ふと思った出来事があったので、全ての作家志望の方に当てはまることではないのですが、こういうこともありますという話をしてみようと思います。
 私はこのペンネームで仕事を始めて、多分今年で24年目……多分。初期の私は何処がデビューなのかも曖昧で、多分あれが最初に商業誌に自分のペンネームが載った仕事だなという記憶はあるのですが、手元にも残っていないし雑誌名も思い出せません。BLではありませんでした。
 そりゃどういうこっちゃと思われるでしょうが、それは自分の話になるのでまたの機会がありましたら。
 今回は、出版不況の昨今ハイリスクハイリターンのハイリスクが高まるばかりの商業作家に、それでもなりたい方へ、もしかしたらお役に立つかも知れない経験談です。

 先日、Twitterで友人漫画家の最初の商業誌カラーを覚えていると私が言ったことから、その友人が何故その最初の商業誌カラーを私に電話で報告してくれたのか、理由を友人が語ったことにより私も思い出しました。お互いツイートしていますし、お名前を伏せる理由は特にないですが、ツイートは流れるけど日記は残るものなので伏せておきます。
 二十年前、私が友人を某誌に紹介して、そこでカラーが決まったので友人は報告の電話をくれたのだなと、やり取りの中から私も思い出しました。
 その友人のツイートを見て、私と彼女には、その紹介の件について認識の極端なずれがあることに気づきました。
 今、大人気作家である友人が、「デビュー当時で仕事もなく実力もなく」というようなことを言っていて読者の方も驚かれたと思いますが、彼女が言ったような理由で私は彼女を某誌に紹介したのではないのです。
 もちろん二十年経っていますから、技術的にも情操的にも年月分の進化はあるでしょうけれど、当時も充分彼女は魅力的な作品を描いていたし、精力的に作品も描いていました。
 そして、私は実は彼女の他にもたくさんの友人を、様々な出版社に紹介して、デビューしてもらったりステップアップしてもらったりしていました。
 私はもしかしたらそういうこと疎そうに見えるかもしれません。他者からの私のイメージはわかりませんが、当時はこうして彼女を某誌に紹介したことさえ今ではうっかり忘れるほどの友人たちを、次から次へとあっちゃこっちゃに紹介していました。
 理由があります。
 あ、一応言っておきますが、完全なる趣味でそれはやっていました。何処からも謝礼はいただいていませんし、ブローカーだったわけでもなんでもないです。
 私はBLではない仕事でBLの夜明け前に商業誌の仕事をしていたので、各社がBLに乗り出したときに橋渡しができたというのもあります。某社の某誌に至っては、創刊のための立ち上げを手伝い、編集者、作家のほとんどを紹介して、私はさよならしました。なんでさよならしたかというとそれは漫画誌だったので、立ち上げだけを手伝ったわけです。
 その後も、友人たちの紹介を好んでしました。紹介した先のことは自己責任でお願いしますと関わらなかったけど、みなさん紹介した甲斐がある仕事をなさってくれました。
 私はそんなにものを見る目があるわけではないのに、幸運にも才能のある友人たちには恵まれていました。なかなかデビューが決まらず私がきりきりしてもしょうがないけどきりきりしていた友人も、今は引く手あまたです。その友人は、今思えば別に私がなんもせんでも今のように人気作家になっていたことには間違いありません。
 今回当時のことを思い出して、何故「自分は当時実力がなかった」と思っている彼女と私に認識のずれがあるのかに気づきました。
 彼女だけでなく、何人かに対して本当に余計なお世話ですがあの頃手伝ったことは、
「もしかしたら今の出版社、今の担当さんと合わないのでは? そんなに実力があって魅力的なものを描いているのに、仕事がないのは普通におかしい。目先を変えて、違う担当さんに会ってみない?」
 というようなことをしただけです。
 具体的に言うと、大手の少年誌に投稿し続けて、担当がついたものの全くデビューさせてもらえないままかなり時間が経っている友人がいました。
 私は彼女の投稿作を読んでいたので、これが商業レベルではないのは、出版社もしくは担当さんと気が合わないんだろうなあと思って、青年誌の編集さんを紹介しました。
 その編集さんは彼女の作品を読むなり顔色を変えて、
「ここから先は私とその方でやり取りさせてください」
 と瞬く間に彼女の担当編集者となり、あっという間に大々的に彼女を最良の形でデビューさせた。
 Twitterでやり取りしていた友人も、そういうことです。
 デビュー当時なので今より未熟なところはもちろんありはしたでしょうけれど、彼女を生かせる編集さんに出会えてなかっただけなので、私がしたことはちょいと橋を渡しただけです。
 この話の何が、新人さんのお役に立つかも知れないと思ったかというとですね。
 私の友人たちには何人かいましたが、投稿や持ち込みスカウトで担当さんがついて、その担当さんの元で何年もどうにもならない状態が続く場合があります。
 それはもしかしたら、残念ながら作家本人に才能の目がない可能性ももちろん充分あります。
 でも今上げた例のように、この担当さんが私を唯一デビューさせてくれる人、生かしてくれる人だと、勘違いしてる場合もあるかもしれません。
 あなたがもしそれなりの才能があって、努力をしていていいものを描いていたとします。
 だけどあなたの担当さんが、真逆のものが好きな編集さんである場合があるという話です。
 これはその編集さんが悪いのではありません。
 好みが違う。相性が合わない。それだけです。全てのヒット作の内容に一貫性はないですよね。
 でもそこが合う合わないということは多分とても大事で、たとえばあなたが東の方角に向かってとてもいいものを創れるのに、担当さんの行きたい好きな場所は西なので、全力で西に行きましょうと東に向いているあなたを改変されていることもあるのです。
 それではせっかくの才能が生きない。
 若いうちやデビュー前に自分でこのことに気づくのは難しいですが、もし膠着状態に陥ったときは、たった一人の好みの合わない人に向かって作品を発信し続けている可能性も疑ってみてください。

 私自身にも、こういったことはありました。
 実は「毎日晴天!」は、最初はキャラ文庫から発行される予定ではありませんでした。
 某レーベルさんが、
「シリーズをやりませんか」
 と声を掛けてくださって、丁度家族ものが書きたいと思っていたので、シリーズの原型になるプロットが手元にありそれを渡しました。「毎日晴天!」の次巻は「子供は止まらない」というところまで、私のプロットでは最初から決まっていたことでした。大河と秀の話から始めて、次は勇太と真弓の話にすると内容も設定も細かく決めていました。
 ところが某レーベルさんは、どうしても1巻を「子供は止まらない」から始めたいとおっしゃいました。
 私はとにかくいつでも強情なので、テコでもこの提案に頷かず、スタートを切れずに話し合いは平行線のまま時間が過ぎました。
 私は勇太と真弓の話から始めることを受け入れられず、行く当てもないのにプロットを引き上げるところまで来ていました。
 そこに、キャラさんが現れて、私がこの話をすると、大河と秀の話から始めさせてくださるとすぐに快諾してくださいました。
 某レーベルさんには、
「1巻から書かせてくださるところがあるので、このプロットは下げさせてください。また機会があればお仕事ができたら嬉しいです」
 とお話しして、今回はご縁がなかったのですねとお互い納得して完全にプロットを下げさせてもらいました。
 その後この某レーベルさんと私は一度もお仕事をしていませんが、じゃあこのレーベルさんが能力がないのかというとそうではなく、大きなヒット作も人気シリーズもいくつも排出しています。
 私はたまたま合わなかった。本当にそれだけの話です。
 結果、私にとっては最良と思えるキャラ文庫で「毎日晴天!」をきちんと大河と秀の話からスタートできて、お休みもしたのに現在も続けさせていただいています。
 あのときのことを振り返ると、たらればになりますが、がんばって勇太と真弓の話から始めても、こんなには続かなかっただろうし、何より二宮先生という最高のパートナー(私が勝手にそう思っている)に引き合わせていただくこともなかったと思います。
 このシリーズをスタートしようとしていたときに、私がキャラの担当さんと出会えたことはただ幸運でしたが、どうしても子どもたちの話から始めたいという提案にそのときまで長く頷かなかないでいたことは、自分を褒めたい判断だったと思います。
 大きなレーベルだったし担当さんは乗り気で、「その方がきっと注目される。売れる」という気持ちで考えてくださったことであり、好意からの改変提案でした。
 頷かなかったのは、判断できたというよりはただ私が強情だったからとも言えます。

 間違った判断も、たくさんしてきました。
 一番間違っていたと思うのは、仕事があることが嬉しい、書くことが楽しい、そして体力があるという状態に任せて、インプットする時間や休む時間を作らないまま、何年もひたすらアウトプットし続けたことです。
 こういうアドレナリンが出ている自分を止めることは難しかったと思いますが、
「もう少し仕事をセーブしては」
 と助言してくれた方もたくさんいたのに、耳を貸さずに結果、長く休むことになりました。
 休んだきっかけはプライベートで心身ともに参ることがあったからですが、そこからの小説休業が何年もに及んだのは、空っぽになるまでアウトプットし続けてしまったからだろうと今は思います。
 そのときには気づけなかったし立ち止まれなかったけど、今は大きく後悔しています。
 あの、「もう二度と小説が書ける気がしない」という気持ちのまま何年も過ごすということは全く経験する必要がないと思うので、できればアウトプットが続いて自分が疲弊していると気づいたなら少し休むことは強くおすすめします。

 歳を取って、この仕事を何年もして、失敗もたくさんして、もしかしたら同じ轍を踏まないように気をつけてくらいのことは言えるのではと思い、この日記を書いてみました。
「私いいものを書いているのに認められない!」
 くらいの勢いの良い気持ちがもしあるのなら、一度本気で認めてくれる人を探してみてもいいのではということ。
 フリーで仕事をしているのなら、リスクを負うだけでなく、そういうメリットも最大限に活用してもいいかと思います。
 そして何より、波に乗っているときでも休憩とインプットは、アウトプットの一部だと気づきましょうと、そんな話でした。
 私は今はそこそこ頑張れてると思いますが、今後あのときのようにはならないように、充分気をつけていきたいです。
  1. 2016/11/16(水) 18:55:00|
  2. 日記