最近頻繁に思い出すことがあるので、冬の初めの日記です。
何故このことを思い出すのかはわからないです。日記にはアメリカ大統領選挙や「ミス・サイゴン」も絡みますが、この件を度々思い出すようになったのはもう少し前からです。よく思い出すので書いてしまおうと思う。
今、「ミス・サイゴン」上演中に読み終えたいなと、「憎しみの子ども―ヴェトナム戦争後のもうひとつの悲劇」キエン・グエン著を読んでいます。まだ半分。ベトナム戦争後の、革命に倒された側である著者の子ども時代からのノンフィクションです。
最後まで読まないとわからないけど、今のところホー・チ・ミン側の共産党が悪魔のよう。それは著者が共和党側の富裕層で何もかもを革命で奪われて、手におしろいをはたいていた高慢な母親が、共産党側に立った庭師やメイドに酷い目に遭っているからなんだけど。
でもあのアメリカがあきらめた戦争の結末だよと、共産党側の言い分も聞きたいと思うけれど私が見ているベトナム戦争ものはだいたいアメリカ発信。グエンもアメリカに渡っている。アメリカ発信のものはアメリカは間違っていると描かれていたとしても、ベトナム・コンバットはまるで人ではないかのように狂ってることが多い。そうなのかな? 違うんじゃないかな? そちらがわからちゃんと見てみたい。ベトコン側から。
頻繁に思い出すというのは、二十代始めのころに読んだある雑誌と、本のことです。
ある雑誌というのは今も存在するしチャンネルもあるけど手元にないので、伏せて書きます。記憶で書くから伏せるのです。記憶というものは自分の記憶も書き換えられるので信用ならぬ。
美しい写真で世界のあらゆる国の自然、文化、内乱などを伝える雑誌です。興味が向いたときに読んでいました。その号はたまたま買った。世界的な、社会的な雑誌だと思います。アメリカ発信だけど日本版もある。
巻頭に見開きで、痩せた下半身不随の男性を、少年が背負っているとても美しい写真が載っていました。
記事はインドのカーストを伝えるもので、「厳しい自然の中で、障害を持って生まれて来たら生きてはいけない。だからたとえば下半身が不自由なら、何かしらの神のような存在として高いカーストになる。そしてその人を背負う役割のカーストがある。人を生かすために、カーストとは必要なものだ」というような内容だった。
写真の荘厳さと記事の筆力から、私も若かったのでそのまま、
「なるほど気候や土地に即して必要なものなのだ」
と思ってしまうのは簡単だったような気がします。
けれどそのとき、「花嫁を焼かないで―インドの花嫁持参金殺人が問いかけるもの」など、インドのカーストが低い女性がカーストの高い男性に嫁ぐときに、親は不安で不安で高い持参金を持たせるけれど結局人とも思われていないので持参金だけ取られて花嫁は生きたまま焼かれてしまうというノンフィクションを読んでいました。この件には深い関心があって、他にも当時のカーストがもたらず残虐な事件を書いた本を何冊か読んだ。
怖いことだなと思いました。
美しい写真と素晴らしい筆致で書かれた文章だけを見ていたら私は、
「カーストは必要なものだ」
とその言い分だけが正しいと思い込んだかもしれない。
手元に「花嫁を焼かないで」があって良かったと思う。
あまりにも前のことでここは記憶が曖昧なのですが、私は先にこの記事を読んで友達に話したんだと覚えています。そしたらその友達が「花嫁を焼かないで」をくれたような気がする。
もちろん、障害のある方を背負う方は必要な土地なのかもしれません。それ自体が間違っているという話ではなく。
二つの立場で物事が揺れるのなら、両方の事情、気持ち、大きな命のやり取りをちゃんと知りたいと思った最初のできごとでした。
先日、アメリカ大統領選挙がありました。
トランプを指示する人々の言い分も読んだ。
そうすると、その白人層の貧困は何故始まったのかと私は考える。
けれどそもそもという話を始めると、欧米やイスラム圏では、ユダがキリストをというところまで遡ってしまうこともありそれは建設的ではないと思う。
ただ、強い言葉や虐げられた人からの言い分だけを聞いてしまうと、
「そうか」
と納得してしまったりしやすいです。
こういうとき何かに対して「そうか」と思ったら、反対側の気持ちを探れたらいいなと思う。
「憎しみの子ども―ヴェトナム戦争後のもうひとつの悲劇」は最後まで読み終えてからまた感想を書きます。反対側の気持ちがわからずに終わったら、革命側から書いたものも読みたい。
「ベトナムよちよち歩き」のためにベトナムに行ったころには、まだまだ戦争の爪痕が生々しかった。あれから二十年が経って今ベトナムが何処に向かっているのかも、できれば自分の目で確かめられたらと思います。
友達の言い分とかもこうなんじゃないかなと思う。
一方の言葉だけ鵜呑みにするともしかしたらいつか大きな後悔が待っているかもしれない。
かもしれないというか、最近自分が追わなかった友人の言い分を尋ねなかったことを後悔しているので。
そういう後悔は、とても大きいという話でした。
- 2016/11/15(火) 00:09:03|
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