菅野彰

菅野彰の日記です

「できれば笑って読んでくれたら嬉しいです」

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 これは私個人の素人考えですが、猫の巨大化は個体差の問題だと思います。
 何故私がそう思うのかというと、実家のお兄ちゃん猫ミイは、一時期10キロを超えていました。
 先代猫ニャン太と、ミイの妹分である蛍と雪は3キロくらい。
 しかしミイは8年前に、
「このままだとこの子死にます」
 と獣医さんに言われて、そこから病院で売っているお高い療法食を与え続けました。
 本当はその症状に該当しない猫にも同じ療法食を与えるのは良くないそうなのですが、
「ミイはこのおいしくない療法食を、蛍と雪はこの安くて美味しい普通のカリカリ食べてね」
 などと言っても猫は聞いてくれないので、ミイの命優先と言うことで、蛍と雪は巻き添えで高くて恐らく美味しくないのだろう療法食を食べてました。
 たまに切らしてしまったときに市販のカリカリを上げると三匹とも、
「やべーちょーうめーまじうめー!」
 みたいにガツガツ食べていたので、体に良い物はまずいのが世の常なんだなと思いました。
 その上ミイは、そんなに食い意地が張っているわけではありません。むしろ一番痩せている雪の方がすごい食いしん坊。お兄ちゃんも分もぶんどります。
 缶詰も駄目だと獣医さんに言われたので、缶詰は蛍と雪で半分こしてミイはいつも匂いだけ嗅ぐというかわいそうな中でも、ミイは10キロ超えたので私は猫の巨大化は単なる個体差なんだと思っています。
 でも個体差でも肥満はどんな動物でも健康には良くないので、寝ている時間が長くなっていくミイを見ていて、私はこの子はそんなには長生きしてくれないだろうとは思っていました。
 三月の末に私が都内にいたら、
「お姉ちゃんどうしよう。ミイの呼吸が荒い」
 そう弟からメールが入りました。
 ミイは十二歳です。そのときが来てしまったかと思いましたが、もしかしたらおしっこが詰まっているだけという可能性もあると考えました。
 猫は臓器が小さいので、尿が詰まっただけであっという間に死んでしまうことがあります。でも逆に、尿が詰まっているのなら獣医さんで処置してもらえばそこから長らえることも充分できる。
「すぐ病院に連れて行きなさい。お会計私が後でするって先生に言いなさい」
 弟は甲斐性なしなので、四万五万とかかることも考えられるから、無理だろうと思いメールを返しました。
 翌日夜帰宅すると、ミイのそばに母がいました。
「病院に連れて行った?」
 尋ねると母は、
「K病院がミイを連れてこないでくれと言うから、連れて行っていない」
 と言いました。
 K病院は、雪が便秘で長く掛かっている病院です。
 8年前にこのままだとミイは死ぬと言われたのもその病院だし、ミイはそのあとも一度そこで診てもらっています。
「そんなことあるの? 明日私電話してみる」
 確かにミイは呼吸が荒くぐったりしていて、でも尿が詰まっているなら少しでも早く処置してもらわないといけないのにと、弟にも獣医にも腹を立てながら私は寝ました。
 ミイは家では、私に押しつけられた双子の妹に酷い目に遭わされても怒らない、おっとりした大人しい猫です。日だまりの気持ちのいい一番のスポットがあってそこでまったりしていると、雪がテテテとやってきて、
「お兄ちゃんどいて」
 と体を押しつけられたら、すぐあきらめてのそのそどきます。
 蛍がやって来て、
「どいてよお兄ちゃん」
 とかなりの力でミイの横っ面を殴っても、怒らずにどいてしまうような猫です。
 母はその光景を見ては、蛍や雪からミイの居場所を取り返そうとしていました。
 ですが外に対しては、全く違いました。窓辺に来るよその猫にたいして威嚇するミイの声は私も腰を抜かすほどだったし、10キロあるミイが動物病院で暴れるさまは、家でのおっとりからは想像もつかない暴れっぷりです。
 それで「もう連れて来ないでくれ」だということは私も理解しましたが、そんな猫一匹抑えられない獣医がいるかと思い翌朝早くに起きて病院が開く前にK動物病院に電話をしました。
「連れて来るなら、診る前にまず全身麻酔を掛けます」
 そう言われて、連れて来て欲しくない理由をくどく言われたので「もう結構です」と電話を切りました。
 もう一つのT病院に電話を掛けると、すぐ連れて来てくださいと言われました。そこはミイを拾ったときに、虫の駆除や予防注射、去勢手術をしていただいた病院でした。
 弟は本当にいくじがなくて呆れたのですが逃げたので、私と母で連れて行きました。
 電話をしたときに、今までK病院で診てもらっていた事情を説明する中で、
「妹猫が便秘でそちらに掛かっていましてそれでミイも……あ、妹でもなんでもないんですが」
 言ってから雪とミイは血なんか一滴も繋がっていなかったわと思い、そうして病院に行きました。
 受け付けで、
「飼い主さんの名前が、前と違いますが」
 と、問診票の飼い主が弟の名前から私の名前に変わっている理由を聞かれました。
「弟は甲斐性がないので、もう今日から私の猫にします。書き換えてください」
 そうお願いしましたが、実は、私とミイは仲良しではありませんでした。
 ミイには一方的に嫌われていました。
 動物にこんなに嫌われることがあるんだと私は日々驚いていましたが、ミイは私に懐かず、私が撫でると唸ったりしました。
 ミイには多分、一人っ子でぬくぬくと母の愛を受けていたのに、
「ラノベでもないのに突然頼みもしないおてんば極まりないとんでもない双子の妹を僕に押しつけたのはこの人!」
 という認識がちゃんとあるのだなと、私は嫌われる度に思っていました。
 でも私はミイが好きでした。
 ニャン太にも、蛍にも雪にも一度も思わなかった、
「いいな。私はミイみたいな猫になりたいな」
 そんなやさしい空気感が、ミイにはありました。私には冷たかったけどね。
 T病院の先生は、その日はおじいちゃん先生でした。
 看護師さんと三人でミイを抑えてくれたのですが、聞きしに勝るミイの暴れっぷりには本当にびっくりしました。
 そらK病院でも連れて来るなと言うわなと最初は思いましたが、T病院の看護師さんたちはきっちり二人でとんでもなく暴れるミイを抑えて微動だにしません。思えばK病院では3キロないような雪でさえ抑えられずに、私は雪を連れて行くときには手袋を持って自分で雪の前足を固定することが普通になっていました。
 心電図を取り、レントゲンを撮ることになりました。
 待合室で、
「治る何かだといいんだけど」
 と母と話していたら、すごい勢いで診察室に呼ばれました。
 先生が慌てて注射器に何か薬剤を入れようとしていました。
 ミイは呼吸しているようにもしていないようにも見えて、瞳孔は開いて見えました。
 まさか今すぐとは思わなかったので私は激しく動揺して、何度も大きな声で名前を呼んでミイを呼び戻そうとしました。
 先生はカンフル剤をミイに打とうとして、薬剤を取り落としました。二度取り替えました。それだけ動転していたのだと思います。
「ミイ!」
 何度目か叫んだときに、母に、私が名前を呼ばれて背を摩られました。意味を悟って、ミイを呼ぶのをやめました。
「すみません」
 先生にミイの臨終を告げられて、私はその場で泣き崩れてしまいました。
 あまりに泣くので看護師さんに慰められて、
「この子私のこと大嫌いなんです! 私に全然懐かないんです!」
 そう口走ったのは、だからそんなに同情しないで下さいという意味だったのですが、看護師さんはわけがわからなかったと思います。
 ひとしきり母と泣いて、先生から説明がありました。
 健康な猫の胸部写真と、ミイの胸部写真を並べて見せられました。
 ミイは心臓も肺も、よく今まで生きてたねと驚くほど真っ白でした。こんな状態なら問答無用で全身麻酔を掛けられた瞬間に死んでしまっただろうと、こちらに来て本当に良かったと思いました。
「レントゲンを撮らずに帰してあげていればせめて家で逝けたのに……すみませんでした」
 先生は、私と母に謝ってくれました。
 いや、ここまでこの限界のミイを病院に連れて来なかったのはこちらだし、そんな猫が死んだ場で飼い主にすぐ謝るだなんてあなた、人によってはどんな目に遭わされるかわからないよ先生気を付けて! と思いながら頭を下げました。
「写真を見たら、納得しました。こちらの勝手ですが、家で逝ったら何かしてやれたのではないかと後悔したと思います。ありがとうございました」
 先生はミイをきれいにしてくれて白い布で包んで、花を添えて車まで運んでくれました。
 このとき私はニャン太を送ったときの記憶があってので、
「火葬はしなくていいのですか?」
 と尋ねると、
「お庭があるなら、焼かないで埋めてあげていいんですよ」
 そう教えられて、そうか田舎のいいところだなと思いました。
「お会計は」
 かなりかかったはずだと思い尋ねましたが、私はこのとき目も当てられないくらい泣いていたので先生は、
「いつでもいいですよ。何もお力になれませんでしたし」
 そうおっしゃいました。
 この日は土曜日だったので、月曜日にお支払いに行って、今後は雪もこちらでお世話になりたいとお願いしました。
 二個駄目にしたはずのカンフル剤が、明細に入っていませんでした。この方はきっと長く獣医をやられているのに、それでも目の前で動物が逝くことに激しく動揺して嘆く心を失っていないのだなと、私は先生がカンフル剤を落としたことを後からありがたく思ったのですが、お会計には一切入っていませんでした。お気持ちがありがたくて、唇を噛み締めました。
 土曜日に説明しきれなかったので今更ですがと、ミイのカルテを見せられたら「5キロ」と書いてあったので、
「随分小さくなって……」
 と私が涙ぐんだら先生は、
「あの……全然小さくないです」
 とそれだけははっきりおっしゃいました。
 土曜日は、花をたくさん買ってカゴを買って、実家に帰りました。
 カゴにミイを寝かせて花を飾って、いつも妹たちに取られていた一番好きな窓辺からミイに庭が見えるようにしました。
 蛍はすぐにお兄ちゃんが逝ってしまったことがわかったようで、二度ミイのそばに来て鼻先を押しつけていました。
 雪が「お兄ちゃん動かない。なんで?」と気づいたのは深夜の午前二時で、私がミイを眺めていたら膝に乗ってミイのカゴを覗き込んで、「なんで?」と私を見てはミイの周りをうろうろして、やがてミイのそばで眠りました。
 いくじのない弟は、ミイを連れて帰ってしばらくしてから帰宅しました。
 私はもう弟に会わずに仕事場に行きたかったのですが、母からの、
「お姉ちゃんから説明して」
 という圧に、仕方なく弟を待ちました。
 一目見てミイが逝ってしまったとわかって、弟は声を上げて泣きました。
「レントゲンを見たら、生きてるのが不思議なくらい肺と心臓が真っ白だった。もしかしたら、二年、三年前に気づいて病院に連れて行っていたらとも考えた。でも、あんなに暴れるほど病院が大嫌いだったなら、何年も病院通いすることはミイにはとんでもないストレスだったと思う。ゆっくりゆっくり動いて何年かを疲れながらものほほんと過ごして、最後の三日苦しくなって。病院に連れて行ったとたんに、病院に連れて来られるくらいならここで死んでやる! と死んでしまったミイは、私は幸せだったと思う」
 泣き止まない弟に、私が思ったままを伝えました。
 十二年前弟は体調を崩して、仕事ができない時期がありました。友人はいたけれど弟は携帯を持つのを嫌って長く持たずに過ごしていたので、その時期社会と隔絶されていたと思います。
 そのときに、土手に落ちていてくれたのがミイでした。
 弟が拾って来ました。
 弟の人生で一番辛かったかもしれない時期に、そばにいて慰めてくれたのがミイでした。カルテの名義を書き換えたことを、私は後悔しました。
「一晩お通夜をして、明日庭に埋めよう」
 弟を一人にしようと思い、私は仕事場に行きました。
 翌日、ミイが好きだった居間からまっすぐ見えるところに埋めようと、弟が穴を掘り始めました。
 ミイを連れて私と母で庭に出て、弟が穴を掘るのを見ていました。
 私も思っていたことを、母が言いました。
「何処から見てのまっすぐなのかしらね」
 弟のまっすぐが謎でしたが、かなり深く掘っていたのでもういいと、母娘で待ちました。
「もういいと思う」
 弟が言うので、ミイを土の上に置きました。
 ゆっくりゆっくり、弟が土をかけていきました。
 最後に顔だけ、残りました。
「顔、かけるよ」
 弟が言うので母とミイの顔を眺めて、弟は土でミイの顔を完全に隠すと蹲って泣きました。
 私も泣きましたが、母が私の隣でふと、
「あきらめた」
 と言いました。
「あきらめてなかったの?」
 驚いて尋ねると、
「今にも動き出しそうに見えたから、生きてるんじゃないかってちょっと思ってた。だって、パパより長く一緒にいたのよ」
 亡父と母の結婚生活は、十年です。
 ミイは十二歳。
 言われて見ればそうだなと、手をあわせて台所に戻りました。
 私はお茶を飲んで、母は何か台所仕事をしていました。
「来ないわね」
 ぽつりと母が言いました。
「何が?」
「台所に立つと、必ずミイが来て足に頭をすりつけられて。やめてよおじいちゃんって、いつもおじいちゃんおばあちゃんごっこしてたのよ」
 母はいつまでも、ぼんやりしていました。
 私は驚きました。
 母は実は、動物愛ゼロと言ってもいい人です。子どもの頃うちにいた犬のチロへの冷淡さは忘れられないし、ニャン太をうちで飼いたいと説得するのも本当に大変でした。家が荒れるから猫は嫌だし動物は嫌いだと、今でもずっと文句を言います。
 そんな母が、ミイをとても愛している。ミイを惜しんで、ミイとの別れに悲しみに暮れている。
 母の喪失感が心配で、私は母を旅行に誘いました。
「温泉に行かない?」
「あんたと旅行なんか真っ平ご免よ! そんな体力残ってないわよ!」
 即答で断られました。過去の積み重ねですよ。
 それを友人に愚痴ると、福島県花見山が今盛りだから花見山に連れて行ってさしあげてはと提案してくれました。
「花見山に行かない?」
 母を誘うと、
「……花見山なら、テレビで毎日開花状況を見てるわ。花見山なら秘湯じゃないわね」
 いつも秘湯に連れて行く娘への疑心暗鬼をなんとか解いた母を、花見山に連れて行きました。
 花見山はまるで、桃源郷でした。
 丁度花盛りで、天気も良く、現実とは思えない美しい風景に母の寂しさも少しは癒えたようでした。
 かわいいピンク色の木瓜の花を眺めて、
「なんだかおっとりしてミイみたいだね。ミイのお墓には、この花を植えようか」
 そんな話をして、帰りました。
 弟にも花の写真を見せるとそれがいいというので、造園業者さんに苗を探していただいて、昨日、ミイのお墓に植えました。
「大きくなるけど大丈夫ですか?」
 造園業者さんに言われました。
 少し離れたところに植えたニャン太の赤い百日紅が、もう二メートル超えたくらい。
 そんな日が来たらこの寂しさも、また変わっているのだろうなと想像します。
 私はミイは、幸せな猫だったと思っています。
 動物を愛さない母の愛を一身に受けて、母に甘えて、いらない妹を私に押しつけられたけど時々はやんちゃな妹たちもかわいかったでしょ?
 無防備に腹を出して寝ているミイを思い出すと、ミイは幸福な猫でいてくれてありがとうと私は思う。
 悲しいし寂しいけど、おまえが幸せそうに見えたおかげで、そんなに悪くない一生だったよねとたくさんは悔やまずに済む。
 自分の人生を幸せに思い切り生きるって、多くの悲しみをいつまでも誰かに遺さないやさしさなんじゃないかなって、ミイを見てたら思った。
 誰かを亡くしていつまでも立ち直れないときには、亡くなったそのときではなく、いなくなってしまった人の生きていた時間を一度思ってみるのは大切かもしれません。
「ミイを見習って、あの人やりたい放題やって生きたよねって言われるような人生送るわ!」
 友人に言ったら、
「ミイちゃん菅野さんほどやりたい放題生きてないと思う」
 と言われたので、そこそこに私も幸せらしいとミイが教えてくれたよ。
 深夜、仕事場から実家に帰ると、雪がぽつんと眠っています。
 今まではミイとお尻をくっつけて寝ていた。
 その雪の姿を見るときにはまだ、寂しくて涙が出て、雪を撫でくり回します。
「寂しいね、雪」
 そう言うと雪はとても迷惑そうです。
 でも忘れっぽいのに時々雪は、寝場所が上手く見つからずにうろうろします。
 ミイを探しているのかなと思うと、やんちゃな妹もおまえが大好きだったみたいだよミイと、寂しいけど羨ましいような気持ちになる。
 木瓜が大きくなって花が咲く度、私は嬉しく寂しいんだろうなと思います。 

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私の一番好きな写真なのですが、人に見せると怖いと言われることが多い。

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なので普通の写真も上げておきます。

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去年の大晦日、大間のマグロの血合いを削って、分厚い骨をさすがに食べられないだろうけれど大晦日だから舐めてはと、三等分して猫皿に置きました。母と談笑してふと見ると、床まで舐めたように何もなくなっていて、蛍と雪が、「ちょう美味しかった! ちょう美味しかった!」とはすはすしていた。そのとき一口も食べられなかったのであろうミイ。

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かわいそうだと母が、マグロの赤身をあげて、ミイは満足そうでした。母の膝の上でまったり。

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ミイと雪はなんだか仲良しでした。仲良しというか。なんかこんな感じ。

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今はまだ小さな、木瓜の木です。

またいつかね。ミイ。





  1. 2016/05/19(木) 15:08:00|
  2. 日記