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菅野彰

菅野彰の日記です

「いつものサンドイッチがいつもじゃなかった日々を忘れないよ/3月11日」

 今年は少し前に日記を書いたので当日はと思っていたけれど、書きたいことがあったので、日記です。
 何ができるわけでもないけど、この日は私はできればここにいたい。
 良かった探しはいつでも上手じゃなくて、良くないことがあったら「良くなかった」と受け止めて次への力に変えるのが私の毎日なのですが、最近このことだけは「私はここにいて良かった」と思うようになりまました。
 十年前に福島に転居して、震災を福島県民として過ごすことができて、私は良かった。
 どうしてと尋ねられたら一言では答えられないけど、遠くで心配しているよりは当事者であることがまだ良かったと思います。私にはです。

 四年間毎年この日は、卵の入ったサンドイッチを買って食べると日記に書いて来ました。
 今年も同じに、買いに行きましした。
 震災前も震災後も、変わらずパンを買わせていただいているパン屋さんです。
 震災のとき、このパン屋さんは店を閉めることなくパンを売り続けてくれました。
 それまでは普通に冷蔵庫にいつも入っていた卵が全く手に入らなくなった日々にも、卵の入ったサンドイッチを売ってくださいました。
 東京もそういう時期があったので、これは被災地だけのことではないですが。
 被災地は、鉄道、高速道路が震災で断たれて、流通が一切寸断された日々が長く続きました。
 この頃のことは帰ってきた海馬が耳から駆けてゆく2に、被災地での一ヶ月を書かせていただいています。
 わからないことの多い日々でした。
 大切なあの人は無事なのか。物流はどうなるのか。復興に向かう日は来るのか。
 トイレットペーパーも買えず薬局にいたときにおばあさんが、
「何故こんなに物がないの?」
 と、お店の方に尋ねていました。
「この辺の物はほとんど仙台から来るんですが仙台も震災でままならなくて、仙台との行き来も今は厳しいんです」
 お店の方が説明していましたが、よくわからない風のおばあさんを、私はなんともいえない気持ちで眺めていました。
 高齢者の多い地域です。インターネットもメールも使わないおじいさんおばあさんはこのままだと飢えてしまうと、それは私には恐ろしい光景でした。
 売れるものがないから、コンビニも閉まったんです。
 いち早くヤマト運輸が動いてくれたときには、本当に嬉しかった。
 あのときのことが忘れられないから、私は荷物はなるべくヤマトさんにお願いします。

 終わりの見えない、どんどん物がなくなるばかりの日々の中、このパン屋さんは毎日パンを焼いて売ってくださっていました。
 当たり前に食べていた卵が食べられなくて、でもここのサンドイッチには卵が挟まっていて、それは嬉しいとか切ないとかそんな簡単な気持ちでは語れない思いでした。
 卵だよ。コンビニにもあるよね。今ではもう信じられない人も多いと思う。

 私は去年もこの日にここでこのサンドイッチを買って、震災のときのお礼を言おうかと思いました。前の年も思ったと思う。
 通りすがりの方にも、ありがたいと思うことがあったら私はお礼を言います。心で思っても伝わることは少ないから、「ありがとう」と「ごめんなさい」は口に出します。
 でも、今日までパン屋さんにはお礼が言えなかった。
 ありがとうの気持ちが大きすぎたというのも、あります。重すぎるありがとうで、簡単には言えなかった。
 もう一つ、一時はほとんどこのパン屋さんだけが営業をしていました。
 何故ここには小麦粉が、何故ここには卵が、という不思議さはあって、聞いてはいけないような気持ちもしていました。ガソリンもないから、何処かに探しに行くにも限界があります。

 五年が経って、今日、初めてお礼を言いました。
「私この日は、いつもこのサンドイッチを食べるんです。日々食べてますが、この日は必ず食べるんです。震災のとき、一ヶ月に渡って、パンを売ってくださったのも卵を食べさせてくださったのもこちらのお店でした。コンビニも閉まっていました。あのときは本当にありがとうございました」
 初めて、頭を下げました。
 私の母より少し若いくらいの奥さんが、答えてくださいました。
「うちは主人の親戚が新潟にいて、新潟から何度も小麦粉や卵や野菜を運んでもらって毎日必死で営業してたの。ガソリンもなくて、だから新潟から来てもらうしかなくて。復興は信じていたけどいつ流通が戻るのかはまるで見えなかったから、『パンの耳でもいいんです』っていらっしゃるおばあさんがいらしてね。お孫さんがお腹を空かしていてって、おっしゃってね。毎日みなさんに食べるものを渡さないとって、必死だったの」
 私には震災のあと、このパン屋さんはファンタジー映画に出てくるお城みたいに思えていました。
 スーパーも物がない。コンビニも閉店している。
 そんな中で静かにパンを、ここだけがいつも通りに売ってくれる。
 幻みたい。夢の中のお城みたいだった。
 でもそうじゃなかった。
 お城だと思っていたパン屋さんは、毎日毎日そんなにも必死だった。
「でもね、時間が経ってまた当たり前に卵が買えるようになると、みんな忘れてしまうの。それは幸せな世の中だけれど、輸入に頼ることが多くなって、戦争の一つも始まれば輸入品は何も入らなくなるのに。それで農家がやっていけなくなってどんどん田畑が減って行ってる。輸入に頼ることが増えていく怖さを思い知った筈なのに、どうしてなのかみんな忘れてしまう」
 国内の農家や、酪農がどんどん減っていくことを、パン屋さんは案じていました。
「覚えていてくれて、ありがとうね」
 私がお礼を言ったのに、パン屋さんは泣いて、頭を下げられました。
「これからもよろしくお願いします」
 それだけ言うのが、私も精一杯でした。

 今年は会津美里町本郷の樹ノ音工房さんの器に、サンドイッチを乗せてみた。
 こんな余裕、五年前はなかった。
 忘れっぽい私が、たくさんあのときに知った大切なことを忘れずにいるために、十年前に福島に越してきた。
 忘れたくないから、私はそれをありがたく思う。

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  1. 2016/03/11(金) 15:10:21|
  2. 日記