3月です。
東日本大震災から、もうすぐ丸5年です。日本中がそうだといいなと思うけど、被災地に住んでいるからなのか、私は近づく程に普段とはまるで違う気持ちがします。3月11日14時46分にあんな大きな地震が来るなんて少しも知らずに、前日に春物のコートを受け取っていたなとか、細々思い出して上手く言えないけど明るい気持ちにはやはり少しもなれません。
去年で丸4年が経って、3月11日当日になんだか少しやり切れないなと思ったことがあったので、今年はちょっと早くに日記に書こうと思います。
青字の部分はリンクになっていますので飛んでみて下さい。
私はTwitterで誰もフォローしていませんが、リストに友人や仕事先、好きな作家さんのアカウントを入れてツイートを時々読みます。その他に一つアカウントを持っていて、これは十年に一度のイベントごとで幹事をするためのアカウントです。ほぼ見ることも使うこともないですが、Twitterでしか連絡がつかない方がいたりするのでたまに開きます。
そんな感じで、去年の3月11日に様々な方の言葉を目にしました。
リストにも入れていないし幹事のアカウントでフォローしている方でもない方の言葉も、リツイートで読みました。
たまたま私がいくつか見てしまっただけかもしれませんが、黙祷の時間を巡って揉めている方々がいました。震災のあった時間と、たくさんの方が亡くなった時間は違うのではというようなことで揉めていたようでした。
そしていくつか見たのは、
「黙祷してる時間があったら仕事する。自分はこの日を特別には思わない。普段から震災のことは意識している」
というような言葉でした。
立派だと思います。黙祷の時間仕事して、それで経済を回したり募金したり、本当に立派な姿勢だと思う。
何を発言するのも誰もが自由なので、これは私からの提案としてよかったら聞いてやってください。
最初に主旨を書いておきますね。
黙祷して欲しいという提案では全くありません。
みなさんお気持ちで自由になさってそれで本当にかまわないと思う。
どの時間に黙祷してもいいと思うし、黙祷しないで仕事してもかまわないと思うんです。でも、それぞれみなさんご自分のお気持ちだけでそうなさったらいいのではと思いました。
震災関連死を含めたら、二万人近い方が(平成28年3月11日現在、行方不明者を含めて28000人)亡くなった震災があった日から、今年でまだたった五年です。
これは、
東日本大震災4周年追悼式での遺族代表の菅原彩加さん(当時19歳)の言葉 です。辛い言葉だけれど、もし知らなかったら読んで欲しい。
こういうことが、たくさんあった日。
こういう遺族が、今日もたくさん懸命に生きていて、胸を詰まらせて震災があったこと大切な人を亡くしたことを思い出さなくてはならない日。
特別な日だと思わずに黙祷しないで仕事をなさるなら、それも本当に立派です。けれどその姿勢はご自身で貫いて、沈黙はなさってはいかがでしょうかと、去年そういう言葉をいくつか見て思いました。
これが提案です。
黙祷する気持ちにどうしても想像が及ばないのなら、できるならせめて、沈黙して欲しいと願います。
そして黙祷をする方は、ご自分のお気持ちの向かれた時間にご自身がなされば本当にそれで充分だと思います。
揉めてる時間なんてないよ。
私自身は、14時46分に黙祷します。
それを誰かに押しつける気持ちは全くないです。
しないという姿勢の方も、ご自分の思いのままになさってはと思います。
国内を旅行しようと思う機会があったら、会津にも来て欲しいけれど、被災地の海沿いに一度足を運ばれて欲しいです。
私は被災地と呼ばれる福島県の会津に住んでいますが、会津には震災の爪痕はそんなには生々しくは見えません。
でも海沿いを歩くと、まだまだたくさんの仮設住宅とその中にある商店街、やっと瓦礫がきれいになった広大な更地がある。まだかさ上げ工事をしている一面の土です。
映像ではなく実際に見ると、驚きます。私は驚いた。
だけど、非現実のようにも思える土地でたくさんの人が一生懸命生きてるし、人が一生懸命生きてる場所には、美味しいごはんも美味しいお酒もある。店先でのちょっとした会話からも、言葉も出ないような当時のこと、現在のこといくらでも簡単に聞くことができる。そこではそれはまだ、日常だから。
知ろうとしてみて欲しいです。
今年は3月を前に、
岩手県陸前高田市の米崎牡蛎に触れることができて、強い米崎牡蛎の味に力をもらいました。
本当の意味でこの日が風化するのには、まだ時間が掛かります。
私もまた、海沿いに行こうと思う。
魚貝も美味しい、人も強くてやさしくて一生懸命でなければ今はまだまだ生きるのが大変な、そんな場所だと私は思います。
- 2016/03/08(火) 00:10:54|
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