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菅野彰

菅野彰の日記です

「普通の幸せの中の一つの話」

 私は独身女性で子どももおらず、文筆業をしながら平日の昼間もふらふらしています。
 私は生まれてから十四回か十五回転居していて、今の土地に十年住んでいて少し長居だなと思ったりしています。昨日もお花屋さんで「何処から越して来たんですか?」と尋ねられて、いつでも何処でもよそ者気分でこれはもう生涯抜けることはないのではと最近思います。いまだに夜空を見上げて「星がきれいだな」とぼんやりしたりしているので、観光気分が抜けません。これは何処にどれだけ住んでも、なおらない習い性です。
 この習い性のおかげで、何処も住みにくいということはないです。多少頑張って身につけたものだとは思いますが。
 私が今住んでいるところは田舎で、割と封建的な土地です。
 自分の環境としては、十五人のいとこたちは皆結婚して子どもが何人もいます。
 こういうことは本当は小説で伝えられたらとは思うのですが、なんとなく、日記に書きます。
 昨日すっ転んで今日病院に行って、帰りにいつもの麹屋さんに寄りました。私はここのお味噌やポン酢がとても好きです。ここの女将さんも気さくで明るくて大好きです。
 ポン酢を包んでもらいながらお茶をいただいて、ふと気になっていたことを尋ねました。
「あの、並びにある珈琲屋さん最近ずっと閉まってますけど……」
 ここまで言ったら、女将さんが笑顔で言いました。
「奥さんに赤ちゃんが産まれて、保育園上がるまでは自分で見たいからってその間閉めることにしたのよ」
「そうなんですか。そうかなとは思ったんですけど、ご病気とかだったらどうしようかと思って。それは良かったです」
「本当にね、良かったわ。元気な赤ちゃんが無事に産まれたから、大事に大事にしたいのよ。ずっと待ってたからね」
 女将さんは本当に嬉しそうでした。
 元気な赤ちゃんが産まれたと聞けたので、私も、本当に差し出がましいことなのですがつい口が滑りました。
「越して来てからずっとあの珈琲屋さんにお世話になっていて、ご夫婦がお若いからそのうちそんなこともあるかなと思いながら十年近く経ちました」
 本当は、少しだけ気になっていました。
 よそさまのご家庭のことで本当に本当に余計なお世話なのですが、とても明るく仲のいいご夫婦で、ごめんなさいちょっとだけ気になっていたのです。
「実は夫婦二人ともが、ご両親の遅い子どもなの。どちらの家も、あきらめていた頃に生まれて来た子どもなの。だからうちはそういう感じなんだろうって、二人も少しあきらめながらも待っていたところにやってきた赤ちゃんなの。みんなとても喜んでるけど、だから誰も急かしたりはしなかったのよ」
 田舎なのでこういうよその家庭の事情を話してしまうことを、良くないと感じられる方もいらっしゃるとは思いはします。
 ただ、なんというか上手く伝えられたらいいのですが、みんなその若いご夫婦が大好きで、だから気になることがあっても誰も聞かずに、でも幸いが形になって巡ってきたことを分け合わずにはいられない。
 そんな風に、私は素直に受け止めました。
 もしその赤ちゃんがやってこなくても、それはそれと思っていたから思いがけない幸せよと、女将さんは朗らかに笑いました。
 珈琲豆は売ってくれるわよと言われたので、そのまま珈琲屋さんに行きました。
「こんにちは」
 ドアを開けるなり、奥さんが赤ちゃんをおんぶして豆を分けていました。
「かわいい赤ちゃん、はじめましてだねー。お名前聞いてもいいですか?」
 かわいい赤ちゃんの名前を聞いて、赤ちゃんに手を振ると、赤ちゃんが笑いました。
「笑った」
「本当!?」
 旦那さんが走ってきて、赤ちゃんの顔を覗き込みました。
「俺にはあんまり笑わないんですよー」
 豆を選んで挽いてもらいながら、ご夫婦と赤ちゃんの会話をずっと聞いていました。
 幸せだなと思いました。
 私は田舎町で文筆業をしている、確率統計的にはたくさんは存在しない個体だと思います。
 結婚しろ子どもを持てと言われることもありますが、幸い私はまあそれはそれでありがたやとなんとなく思えるし、こういうときにその自由か不自由かよくわからない自分を咎められることなく、幸せを分けてもらって妬む気持ちもまるで起きません。
 私には私の普通の幸せがあって、麹屋さんには麹屋さんの、珈琲屋さんには珈琲屋さんの普通の幸せがあって、それはでもそれぞれが多分他人の目には映らないところで何かしら苦しんだり努力したりして手に入れた幸せだと思います。
 それが今日たまたま目の前にあって、みんなで笑いながら、
「良かったね」
 と大きく笑うことができました。
 幸せです。

 この間たまたま機会があって、発達障害のお子さんを育ててらっしゃる方の、Twitterのタイムラインを読ませていただきました。
 すみません人様のホームを見る覗き見行為は大変心苦しかったのですが、発達障害に関する大切だと思われる情報のリツイートが多くてそれを読んでいました。重要と思われるけれどリツイート数が少なく感じられて、それは残念だと思いながら読んでいました。
 私などが、大変なこともあるかと思いますと言うのも憚られます。
 お子さんとの幸いの中にも、私には想像もつかない苦悩や葛藤が日々、あるかと思います。
 読んでいる途中、その方が、Twitterを通して同じようなお子さんを持たれている方々と繋がっていることに気づきました。
 お子さんについて悩んだとき、過剰に叱ってしまったと自己嫌悪に陥られたとき、悲鳴を上げれば必ず誰かが声を掛けています。逆にその方も、誰かに声を掛けることもあります。深夜でも、朝方でも。
 毎日頑張ってる中の一つだよ、そういうこともあるよ。ずっと頑張ってだけいたら持たないよ。子どもも人間、私たち親も人間だよ。
 お互いがお互いに声を掛け合い励まし合って、肯定し合い支え合っている。
 私のTwitterの使い方を見ていれば一目瞭然だと思いますが、私はSNSが苦手です。Twitterが普及しだしたときには、正直こんなものなければいいのにと思っていました。
 だけどその方のタイムラインを見て初めて、なんて素晴らしいものなんだろうと、思いました。SNSを。
 もしSNSがなかったらこの方は、その悩みや自己嫌悪に一人で耐えて、夜中に呟いても声を掛けてくれる人もいないままただ頑張り続けなければならなかったかもしれない。
 本当に申し訳なかったのですが、しばらくその方のタイムラインを読ませていただきました。
 この支え合っているフォロワーさんたちはみなさん、もしかしたら実際会うことはないのかもしれません。
 でもこの出会いはきっととても大切なものだと、勝手ながら思ってTwitterを閉じました。

 昨日、友達の義妹に赤ちゃんが産まれました。
 友達は独身です。
「生まれたてだよ」
 そう言って赤ちゃんの写真を何枚も見せてくれました。
 友達もとても幸せそうです。
 見せてもらえて私も幸せです。
 こういう幸せのためにでも、闘ってくれてる人がたくさんいるなと思います。私はぼんやり幸せを食んでいるけれど、今このときにも心を割いて心を削りながら闘ってくれている方を目の当たりにするのも現実です。
 やっとお子さんを授かったご夫婦、個性を持って生まれてきたお子さんと生きるご両親、夫婦別姓問題に悩んだり、LGBTとして生きる方々、もしくはその何にも当てはまらない私も、みんなが、
「ちょっと頑張ってるけど、普通に幸せ」
 そう言えたらいいなと、ふと思った日でした。
 普通ってなんだ?
 もしそう問われることがあったら、それは私もあなたも生きてるだけで普通だよと、答えられたらいいな。
 それは少し、未来のことかもしれません。
  1. 2015/12/22(火) 15:26:19|
  2. 日記