私の職業柄、声優さんのことを語るのには、とても慎重になります。
「あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します」に登場する声優さんは、ああいう方なのをファンの方がよく知っているので、あんなことも書かせていただける特別な方です。
それは今回の役者さん達ももちろんそうですが、声優さんのファンの方の愛はとても深いので、その愛情のイメージの邪魔をしてしまうのはあってはならないことだと思っています。私は漫画やアニメの世界の近くに居ますからなおのこと、それぞれお好きなキャラクターのイメージを壊すのも怖くて、慎重になるあまり気軽にお名前も口に出せないこともありました。
今回、関俊彦さんに観ていただいたことを、関さんに了解をいただいてツイートしました。そこが私には、大きな終わりであり始まりだったので、言いたかったのは私一人のわがままです。
どれだけ関さんが素晴らしい方なのか、私が知る範囲のことですが知っていただけたらという気持ちもありますので、もし良かったらおつきあいください。
朝彦は関さんだったと言ったことへの説明も含めて、語ります。
十二年前関さんには、私が書いた脚本で声のドラマを演じていただいて、そのとき、舞台に呼んでくださいました。
関さんの声は充分素晴らしいですが、やはり、全身を生き生きとさせる舞台の上の関さんにも、役者さんとしてとても魅了されました。
当時、関さんにはたくさん勉強させていただいたと思います。
私が絶対に顔文字を使わないのは、関さんが「言葉を大切にしている証だね」と、言ってくださったことが大きいです。だから今でも決して使いません。
関さんに演じていただく前提で、朝彦は書きました。
アテ書きと言いましたが、関さんが朝彦的な人物という意味ではなく、関さんが演じるところを想像しながら書いたという意味です。
書き上げた、本に掲載されているものと多分ほぼ同じ戯曲を、関さんにお渡ししました。
まず、叱られました。
褒めてはくださいませんでした。
私はやはり小説が本業なので、どうしても自分のイメージ通りの表情、動きがあって、それを全部戯曲には細かく書き込んであります。
「こんなに自由度の低い戯曲では、何も演じることができない」
最初にいただいたのは、そんなお言葉だったと思います。
関さんはそれだけ真摯に、この本と向き合ってくださったんです。
「二週間公演したら死ぬけど、死ぬ気でやるよ」
そう、言ってくださいました。
その後そのときの話はなくなって、その経緯は最初の日記に書きました。
関さんは一年のスケジュールを入れるときに、
「上演できそうなら、空けるよ」
と、メールをくださることもありました。
今回の上演が怒濤のように決まったとき、度々、関さんのことを考えました。
まず、私にとってはとても不義理なことだし、でもこのまま何も言わないのもと、何度も考えてなかなか結論が出ませんでした。
そして、私が知る限り関さんは嘘を吐かない方です。おためごかしを聞いたことが、多分私はないです。私の本をご自分で買ってくださって、熱心に読んで様々感想をくださったときもそうでした。この戯曲だって、最初は叱られましたから。
だから、観ていただくのが怖かった。
ツイートしましたが、朝彦の声が無駄にいいのは、関さんありきで書いています。白楽天の詩を読むのは、私が関さんの声で聞きたかったからという部分も大きくありました。
今回の二人の朝彦には本当に申し訳ないのですが、私が役者さんの力量をわからずに、
「この設定直しましょうか?」
と、企画さんに言いました。
「大丈夫です。彼らはちゃんとやってくれますよ」
そう言われて、結果、彼らは充分やってくださいました。
散々迷って、でも、胸を張って彼らを関さんに誇れるとも思い、ご連絡しました。
私は長々と、不義理をお詫びするメールを書きましたが、関さんからはとても明るく祝福してくださるメールがすぐに返ってきました。
結局何も力になれなくてごめんなさいと、書いてありました。関さんのお仕事は、役を演じることです。それ以外の何かを、一切関さんが負う必要はないしそんなことは絶対にさせられません。
そのメールには、私もすっかり忘れていたことが書いてありました。
「二次選考まで残ったときは、嬉しかったなあ」
もういよいよどうにもならなくなったときに、私は戯曲の新人賞を探して投稿しました。そのとき確かに、二次選考まで残ったんです。
私の方は忘れてしまっていて、関さんはずっと覚えていてくださった。
本当にお忙しい方なので、無理にお時間を作って来てくださいました。どちらのペアかは私が決めたのではなく、関さんが空いているお時間がそこしかなかったので、そちらのペアを観ていただきました。
きっと喜んでくださると思いながらも、終演後は関さんに会うまで不安ではいました。
会うなり関さんは朗らかに、
「素晴らしいね、彼ら! おめでとう、本当に良かったなあ」
そう言ってくださいました。
その言葉を聞いた途端私は堪えられなくなって、関さんには本当に申し訳なかったのですが、我慢できずに人目もあるのに泣いてしまい、大変困らせたと思います。このことは本当の申し訳なかったです。
もうほとんどお時間がなかったのですが、楽屋で役者さん達と、中屋敷さんに会っていただきました。
「素晴らしい役者さん達だね」
そう言って関さんから、彼らに握手を求めてくださいました。
こんなことを言って、ごめんなさい。二人の朝彦には本当に申し訳ないことだけれど、私はとうとう関さんの白楽天を聞くことができなかった。
もしかしたら関さんは、お願いしたら機会があれば読んでくださるかもしれません。
それはでも、私の一つの心残りとして、置いておこうと思います。
素晴らしい若い才能達と仕事をしているんだねと、笑ってくださいました。
ここまで書いて、関さんには関さんのお立場があると思い、チェックをお願いしようと思ったら、見ないからそのまま公開してくださいとのお返事がありました。
関さんはずっと自責の念で過ごされていて、もし私が関さんのことを少しでも良く書いていたら、全部駄目だと言ってしまうから見ないと言われました。長く、謝罪の言葉が書かれていました。
元のタイトルがきちんと綴られていて、それを最高の形で見せてくださった、中屋敷さん、役者さん、スタッフさんたち全てへの、感謝の言葉も長く綴られていました。
そんな、関俊彦さんのことでした。
- 2015/11/07(土) 01:47:52|
- 朝彦と夜彦1987
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