菅野彰

菅野彰の日記です

「朝彦と夜彦1987」を終えて/演出家中屋敷法仁

 リーディングと聞いて私がそれでも結局お断りしなかったのは、間違いなく中屋敷法仁さんが演出なさることが、最初からはっきりしていたからです。
 中屋敷さんのお芝居は元々観ていて、お話が出た後も観て、この方なら全部お任せしたいと思いました。
 打ち合わせをしたのは、一度きりです。
 私は企画さんの隣で、中屋敷さんに尋ねられたことにほぼ全て、
「お任せします」
 と、繰り返しただけです。
 そのときは、わざわざ一つ一つ言質を取ってくださっていることが、ありがたいと思いました。中屋敷さんの才能を知れば、全て自由にしていただいてもいいと思う作家はたくさんいると思うのですが、一つ一つ確認してくださる誠意にも、正直驚きました。
 ツイートしましたが、元々は全く違うタイトルでした。
 長すぎるし覚えやすい方がいいと企画さんに提案されて、「朝彦と夜彦1987」に変えました。時代がいつなのかを説明しなくていいので、このタイトルにして良かったと思っています。
「僕、このタイトル好きなので何処かで使ってもいいですか?」
 元のタイトルを好きだと、中屋敷さんはおっしゃってくださいました。
 嬉しかったし、冒頭に入るのだろうと安易に考えて、快諾しました。
 ゲネプロを観たときには、完全に忘れた頃にそのタイトルが絶妙すぎるところに入っていて、それは嬉しいだけではなく、全てを生かすタイミングだったので震えました。
 公演中も、ずっと物語の答えを探し続けてくださっていました。
 熱量のある役者さん達が集まってくださって、あれだけ毎日全力を尽くしてくださったのも、完全に中屋敷さんありきです。
 文字を書いたのは私かもしれませんが、無責任な意味ではなく、私はこの作品は中屋敷さんのものだと思っています。
 私は思ったことはなるべく伝えたい人間なので、ゲネプロから中屋敷さんに言いたいことがあったのですが、それをお伝えするのはとても大変でした。
 私は今回の上演が土石流のような勢いで転がり出したときに、一瞬、不遜なことを考えたときがありました。
 十二年前とは、若手の方の演劇を取り巻く環境が、多分まるで違います。もしかしたら五年くらい前に、動かそうとしてみたら動いたのかもしれない。あまりにも勢いよく動いていくので、少しだけそんなことを思ったりしました。
 これは関わってくださった全てのみなさんに、もちろん言えることなのですが。
 ゲネプロを観て、私は十二年間、今現在の演出家中屋敷法仁をずっと待っていたんだと思えました。
 ちょっと長かったよ。かなり待ったよ。
 パンフレットのコメントを書いたときにもうその気持ちはあったのですが、ゲネプロを観て、干支ひとまわり待たされたのも仕方ないと完全に納得しました。
 十二年前、多分中屋敷さんは大学生です。
 私今のこの人を、今の今まで、ずっと待って待って待ち疲れたけど、それでも待ってたんだと思いました。
 これを最後まで伝えるのが、とても大変でした。
 企画さんが走っていたと書いたのは比喩ですが、中屋敷さんはいつもリアルに走っています。落ち着きもなく、目も合わせてくれません。
「最後まで聞いてください」
 何度もお願いしてやっと、私がどれだけ今現在の中屋敷さんを待っていたかをなんとか伝えましたが、中屋敷さん自身が何を思っているのか私は永遠にわからないと思います。
 天才ってこういうものなんだろうなと、理由もなく走って帰って行く中屋敷さんを見送りました。
  1. 2015/11/06(金) 03:10:20|
  2. 朝彦と夜彦1987