菅野彰

菅野彰の日記です

「朝彦と夜彦1987」を終えて/経緯等

 今回私の名前を初めて見てくださった方も、たくさんいらっしゃると思うのですが、私は舞台関係とは他業種の文筆業です。
 何故これを書いたのか、どうして十二年も放っておいたのか、今回上演に至ったのは何故か。
 公演中、何度かこれを訊かれました。
 いろんな方が巻き込まれ事故に遭うので、あまり細かいことはお答えできないかと思います。
 まず、観劇エッセイの連載も持っているくらいのなので、私はそもそもお芝居を観るのが好きです。ただの観客です。その立ち位置は今回の公演を経ても、変わらないです。劇場にいらっしゃった皆様と同じに、ただお芝居が好きです。何故好きなのかに理由はないです。そこに素敵なお芝居があるから好き。
 好きだからこそこの戯曲は、十二年前に、書けば上演できるかもというタイミングがあったので、好きというだけで書きました。子どもが画用紙に絵を描き始めるが如きの、見よう見まね、想像で書きました。一応何本かプロの方の戯曲を読んで形式を学んだつもりで、頭の中にあった観たい舞台を文字に起こしました。今回上演に当たって、いくつか直しましょうかと申し上げましたが、台詞はほぼそのまま使ってくださいました。それは私には嬉しい驚きでした。
 二週間公演したい、役者さんも決まったりしたところで、諸々あって頓挫しました。
 十二年ただ、放って置いたわけではないです。
 私は基本出版の人間ですが、プロなので書いたものは活かしたいのは当たり前の感情です。
 しかし、こんな風に書いたものがお蔵入りすることは、私には特別に珍しいことではありません。文庫一冊分の小説、少女漫画の連載の原作、ドラマCDの脚本、プロになってから書いたものの世に出ていないものがいくつもあります。その中には、それなりに駄作なので眠っているものもあると思います。
 元々のタイトルは違いますが、敢えてここからは「朝彦と夜彦1987」と呼びます。
 様々今も眠っているものもありますが、この戯曲にだけは、強く固執し続けました。
 最初の一、二年は、自力で上演に漕ぎ着けようとして、いろんな舞台関係者と会って回って、結果、すっかり消耗してしまいました。そのことを思い出すと今でも疲れるので割愛します。
 このときに、私が舞台や芸能関係の方への不信感を培ってしまったところは否めません。よく芝居を観るのが嫌いにならなかったと思います。
 何年かして、長いつきあいの担当鈴木が、せめてと戯曲を無理矢理本に載せてくれました。
 もちろん何度も、小説に直そうとはしました。私は小説家です。
 観てくださった方はよくわかると思うのですが、多分全く無理なんです。同じテーマで違う内容の小説を書こうとそちらの話を進めている矢先、戯曲が動き出しました。
 今回の上演に向けてことが動いたのは、先日の上演期間を考えると、多分皆様も驚くほど最近です。
 長年の友人である漫画家のこいでみえこさんに、きっかけがあって戯曲を読んでもらいました。
 上演しようとしたときにどんな思いをしたか詳しくは語りませんでしたが、こいでさんは同業者だし察しのいい人なので、だいたいはわかったと思います。
 そこからこいでさんは、言葉を濁しながら、時々私に諸々希望を訊いてくれるようになりました。
 よくわからないまま、ぼんやり私は訊かれたことにだけ答えていました。
 こいでさんは、多分詳しく聞かないながらも、私がこの戯曲に関してどれだけ不信感の塊なのかをよくわかっていて、きっと二度と同じ思いをさせないようにとても慎重に話を運んでくれていました。
 そしてこいでさんの長年の友人でもある、企画さんとお話ししました。彼女は会社名でお仕事をなさっているので、わかる方にはお名前もわかると思いますが、一応伏せて企画さんと呼びます。
 ゴーチ・ブラザーズさんが上演したいとおっしゃってくださること、中屋敷法仁さんが演出してくださるとのことを聞かされました。
 今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいですが、もしかしたら私は、劇場を押さえました役者さんが決まりましたと言われても、ゲネプロまで半信半疑だったかもしれません。
 だって、「朝彦と夜彦1987」は、十二年間どんなに私が押しても引いても、あまのいわとの如く、全く動かなかったのです。
 終演後の今は、夢だったのかとも思います。
 干支が一回りして、やっと朝彦と夜彦の手を放すことができた。どうしても私はこの手だけは放したかったので、今はたくさんの方に力を借りて重荷を下ろした気持ちでいます。
 一人一人にお礼を言っていたらここから三万字くらい掛かってしまう。
 ありがとうございました。  
  1. 2015/11/06(金) 00:45:45|
  2. 朝彦と夜彦1987