先日、とても好きなまだ若手のミュージカル俳優さんが出ている、比較的大きなミュージカルコンサートに行きました。十人以上出演者がいて、知らない方もたくさん出てらっしゃいましたが、とても楽しかったです。全四回公演のうちの、三公演を観ました。多分内容は毎回ほぼ同じです。
スペシャルゲストに、宝田明さんが出てらっしゃいました。テレビでも最近お見かけしていなかった気がするのですが、日本のミュージカルのパイオニア的存在だそうで、最初と最後に出てらして、二幕の終わりの方で二曲歌われました。
八十一歳だそうです。大変失礼ですが、歩くのも少しおぼつかなく、女性キャストが二人両腕を組んで、ゆっくり宝田明さんを移動させるような場面もありました。
宝田明さんは毎回二曲目を歌う前に、
「人間は生まれて来て、職業の貴賎、貧富の差に関係なく、みな等しく持つことができるものがあります。それは夢です。今年は戦後七十年。軍人、無辜の民、たくさんの方が亡くなった戦争、原爆投下から七十年です。その方々はみな小さい頃から持っていた夢を果たせずに亡くなったのでしょう。そのたくさんの御霊に、この歌を捧げます」
と、おっしゃってから歌われました。「見果てぬ夢」だったと思います。
千秋楽、宝田明さんが二曲目を歌われる前に、また同じことをおっしゃるのだろうなと思いながら観ていました。実際、
「今年は戦後七十年です」
と、語り出されました。言葉もとてもゆっくりです。
けれどふと、宝田明さんは語るのをやめて考え込むように虚空を見ました。どうしたのだろうと思って見ていると、不意に、これまでとは違う話を始められました。
「今日このステージを作っている方が楽屋にいらっしゃって、宝田さんの小さい頃の夢はなんでしたかと、聞かれました」
千秋楽は、MCが出演者全員に、小さい頃の夢を聞いていました。看護師、消防士、漫画家、アニメのキャラクターと、答えはみな楽しく、笑いに溢れたものでした。
「私は子どもの頃、今はなき満州という国に、おりました」
思い出すように訥々と、宝田明さんは語り出しました。
全て私の記憶なので、細かい違いはあると思いますが、お許しください。しかし大意は同じだと思います。
「冬はマイナス三十度、夏は三十度を超える厳しい大陸性気候の国で、朝日に向かって毎日礼をしていました」
なんの話が始まるのだろうと、丁寧な宝田明さんの語り口に、引き込まれてその情景を想像しました。
「私は軍人になってお国の役に立ちたいと願う、一人の軍国少年でした。それが良かったという話ではありません」
宝田明さんのまなざしは、はるか遠いようでまるで昨日を見ているようでした。
「軍人になって功績を上げて、皇居に招かれたい。陛下にお会いして、お言葉を賜りたい。陛下の御前には、きっときれいな、玉砂利が敷き詰められていることだろう」
その玉砂利というのは、少年の想像だったのか、何か写真などで見られたものだったのか、私には想像がつきませんでしたが、宝田明さんはその玉砂利を見ているようでした。
「そうしたら記念に、その小さな玉砂利を、一つだけ持って帰ろう」
ぼんやりとそう、呟きがもれました。
「それが、子どもだった私の、たった一つの夢でした」
静かにそれだけおっしゃって、歌を歌うためにマイクを持ち直しました。
良かったとか悪かったとか、愚かだったとかそういうことではなく、それが幼い自分の現実、夢であったということを、抑揚も感情も乗せず、教えてくださいました。
私は泣きました。
理由は上手くは語れません。
もっとたくさんの方にこの宝田明さんの話を聞いて欲しかったと思ったので、記憶ですが、日記に書き起こしました。
宝田明さんの歌声は、少し震えていました。
- 2015/08/31(月) 12:08:26|
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