七月二十日は、私に最初に生き物と暮らす時間を教えてくれた、ニャン太の命日でした。
ニャン太が逝ってしまったのは、十年前の暑い暑い日でした。
驚いたのは、ニャン太の骨を埋めた百日紅が咲いたなあと眺めていて、それを今日、思い出したことです。
ショックでした。今まで一度も忘れたことなんかなかったのに、十年経って、初めてニャン太の命日を忘れてしまった。
だけど、ありがたいなあとも、思いました。
あんなに悲しかったのに、あんなに後悔したのに、あんなに泣いたのに、時は、どんな悲しみもいつかは癒してくれるのかなと、思いました。
実家の居間の窓から蛍が私を見ていて、たまたま草刈りにきていた叔父が、私のところにやってきました。
仕事のことをいろいろ聞かれて、
「なんとかやってるよ」
と、答えると、
「本当言うといつもおまえのことは心配なんだ。不安定な仕事だし、独りだし」
と、言われて、「もう仕事に行くね」と、百日紅の前を離れました。
仕事場に向かう車の中で堪えられなくなって、泣きました。
十年前、ニャン太が逝ってしまった悲しみは絶対に癒えないと思って泣き暮らしたときも、たくさんの人に助けられて、打ち明ければ随分遺骨を手放さなかったのですが、母が私から奪うように実家に持ち帰り、庭に埋めて百日紅を植えました。
その百日紅がこんなに大きくなって、私はニャン太の命日をとうとう忘れて、でも思い出せばまだこんなにも涙が出て。
そういう今も、ニャン太や、見守ってくれた人に、もらったものです。
私は今日、とても穏やかな気持ちでいます。
書かなかった時期も待っていてくださったり、声を掛けてくださったりしてくれる方々にも、言いたいです。
ありがとう。
- 2014/07/27(日) 13:16:15|
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