WINGS2月号本日発売です。「おじさんと野獣」の表紙が目印です。「おじさんと野獣」とてもおもしろいです。続きが気になる。
「帰ってきた海馬が耳から駆けてゆく」連載中です。今回は「未来の政治家とその親族のろくでもない話」です。本当にろくでもない話になりました。
そこに書き損ねた、権力に執着する私の初選挙の話と、アマチュアボクシングの日本代表だった弟さんの地獄のハワイ合宿の話をして今年の日記を早じまい。
タイトルの「未来の政治家」とは私のことです。詳しくはWINGS2月号を読んでやってください。
私の初選挙は小学五年生のとき、副会長に立候補して幼なじみに無理矢理推薦させて無理矢理応援演説をさせて、選挙をエンジョイしました。
仲良しのけんじくんに会長になってもらう予定がとても賢いけんじくんは権力になど全く興味がなく、最終演説で全校生徒の前にて、
「僕は会長はたかしくんが適任だと思います。みなさんたかしくんに投票しましょう」
と衝撃の演説をして、結果、私はものすごく仲の悪かったたかしくんと一年間いがみあいながら生徒会を運営しました。
11歳にして組閣に失敗する。
口もきかずに板書で会話をして、お互いの意見に白墨で×をつけるという驚きの仲の悪さ。
大人になって私は、自分は選挙を楽しんだけれど、とても奥ゆかしい幼なじみはあんなこと全然したくなかっただろうと気づいてつい先日聞いてみました。
「本当に本当に嫌で嫌で、今の今まで記憶から消去していた」
幼なじみは地獄の釜の蓋が開いて、私にずっと恨み言を言っていました。
でも市政に打って出るときはよろしくねと懲りずにお願いしといたよ。
そんな私の親族は、恐ろしい体育会系一族。これはくどくしつこく何度も海馬に書いています。
弟はアマチュアボクシングの日本代表メンバーかなんかで、ハワイに全日本合宿だかなんかに行きました。学生の頃の話です。
私はハワイに行ったことが未だになく、
「いいなあハワイ。でも絶対に、ふざけてリメンバー・パールハーバーとか言わないのよ」
旅立つ弟に私は忠告しました。そういうことしそうだと思って、言っておいたんです。
「何それ」
絶望的なことに弟は、真珠湾攻撃を知りませんでした。
説明すると弟は、
「なんでそんな話を今俺にした! 言ってはならないという緊張感から突然叫んだらどうする!!」
そう私を呪いながら、しかし彼は浮かれてハワイに旅立って行きました。
学生がハワイで合宿かよ随分いい身分だなおいと、私は思っておりました。
しかし弟は、何一つ楽しい思い出など持たずにズタボロになって帰国。
「青い海、白い砂。まあ、走るよね。その白い砂浜をひたすら走ったよね。きれいな海を見ながら吐くまで走ったよね」
それぐらいならまだ、良かった。
「まずスパーリングの相手は米兵」
弟は183センチあります。
スパーリングの相手は階級も同じ。
そんくらいの大きさの米兵だったそうです。
「そして試合をしたんだ」
弟のアザのある顔が既に、結果を物語っていました。
「あらくたい野郎どもの観客に荒れ狂うリング。俺の試合相手は、手錠を掛けられて鎖で繋がれて入場してきたよ……」
「どういうこと?」
「刑務所で服役中の囚人が……俺の試合相手だった。全身タトゥーの黒人の筋肉モリモリの、手錠をかけられた男それが俺の試合相手……」
「罪状はなんだったの?」
「知るかそんなこと。俺はあいつを見た瞬間にもう海を泳いで日本に帰りたかった……」
「勝ちましたか」
「殺されるかと思うくらい殴られて負けました」
よく生きて帰ってきましたね。
ごめんねハワイ合宿とか浮かれやがってとか思って。
マカダミアナッツをどうもありがとう。
今年友達が、
「ねえ紅白観に行きたくない?」
と言い出しました。
「私昔一度観たいと思って母と弟に言ったら、ばかじゃないの紅白はこたつで観るもんだ大晦日の渋谷から帰ってくるのなんか真っ平ごめんだと罵られたの。観たい」
そう私も身を乗り出して答えて、友達が応募しました。
紅白の出演者が発表になって、
「当たるといいねえ」
なんて楽しみにしていたら、応募総数は東京都の人口ほどの人数だったそうで、友人とはお互い家族と年越しをしましょうということになりました。
東京都の人口分の物好きがいることに驚きです。
私はこたつで日本酒を呑みながら家族と紅白を観て年を越します。
今年はなかなかに、良い一年でした。
今、来年春頃発行の原稿を書いています。
来年もまた読んでいただけたら嬉しい限りです。
今年も本当にありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
- 2015/12/28(月) 17:40:55|
- 告知と日記
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私は独身女性で子どももおらず、文筆業をしながら平日の昼間もふらふらしています。
私は生まれてから十四回か十五回転居していて、今の土地に十年住んでいて少し長居だなと思ったりしています。昨日もお花屋さんで「何処から越して来たんですか?」と尋ねられて、いつでも何処でもよそ者気分でこれはもう生涯抜けることはないのではと最近思います。いまだに夜空を見上げて「星がきれいだな」とぼんやりしたりしているので、観光気分が抜けません。これは何処にどれだけ住んでも、なおらない習い性です。
この習い性のおかげで、何処も住みにくいということはないです。多少頑張って身につけたものだとは思いますが。
私が今住んでいるところは田舎で、割と封建的な土地です。
自分の環境としては、十五人のいとこたちは皆結婚して子どもが何人もいます。
こういうことは本当は小説で伝えられたらとは思うのですが、なんとなく、日記に書きます。
昨日すっ転んで今日病院に行って、帰りにいつもの麹屋さんに寄りました。私はここのお味噌やポン酢がとても好きです。ここの女将さんも気さくで明るくて大好きです。
ポン酢を包んでもらいながらお茶をいただいて、ふと気になっていたことを尋ねました。
「あの、並びにある珈琲屋さん最近ずっと閉まってますけど……」
ここまで言ったら、女将さんが笑顔で言いました。
「奥さんに赤ちゃんが産まれて、保育園上がるまでは自分で見たいからってその間閉めることにしたのよ」
「そうなんですか。そうかなとは思ったんですけど、ご病気とかだったらどうしようかと思って。それは良かったです」
「本当にね、良かったわ。元気な赤ちゃんが無事に産まれたから、大事に大事にしたいのよ。ずっと待ってたからね」
女将さんは本当に嬉しそうでした。
元気な赤ちゃんが産まれたと聞けたので、私も、本当に差し出がましいことなのですがつい口が滑りました。
「越して来てからずっとあの珈琲屋さんにお世話になっていて、ご夫婦がお若いからそのうちそんなこともあるかなと思いながら十年近く経ちました」
本当は、少しだけ気になっていました。
よそさまのご家庭のことで本当に本当に余計なお世話なのですが、とても明るく仲のいいご夫婦で、ごめんなさいちょっとだけ気になっていたのです。
「実は夫婦二人ともが、ご両親の遅い子どもなの。どちらの家も、あきらめていた頃に生まれて来た子どもなの。だからうちはそういう感じなんだろうって、二人も少しあきらめながらも待っていたところにやってきた赤ちゃんなの。みんなとても喜んでるけど、だから誰も急かしたりはしなかったのよ」
田舎なのでこういうよその家庭の事情を話してしまうことを、良くないと感じられる方もいらっしゃるとは思いはします。
ただ、なんというか上手く伝えられたらいいのですが、みんなその若いご夫婦が大好きで、だから気になることがあっても誰も聞かずに、でも幸いが形になって巡ってきたことを分け合わずにはいられない。
そんな風に、私は素直に受け止めました。
もしその赤ちゃんがやってこなくても、それはそれと思っていたから思いがけない幸せよと、女将さんは朗らかに笑いました。
珈琲豆は売ってくれるわよと言われたので、そのまま珈琲屋さんに行きました。
「こんにちは」
ドアを開けるなり、奥さんが赤ちゃんをおんぶして豆を分けていました。
「かわいい赤ちゃん、はじめましてだねー。お名前聞いてもいいですか?」
かわいい赤ちゃんの名前を聞いて、赤ちゃんに手を振ると、赤ちゃんが笑いました。
「笑った」
「本当!?」
旦那さんが走ってきて、赤ちゃんの顔を覗き込みました。
「俺にはあんまり笑わないんですよー」
豆を選んで挽いてもらいながら、ご夫婦と赤ちゃんの会話をずっと聞いていました。
幸せだなと思いました。
私は田舎町で文筆業をしている、確率統計的にはたくさんは存在しない個体だと思います。
結婚しろ子どもを持てと言われることもありますが、幸い私はまあそれはそれでありがたやとなんとなく思えるし、こういうときにその自由か不自由かよくわからない自分を咎められることなく、幸せを分けてもらって妬む気持ちもまるで起きません。
私には私の普通の幸せがあって、麹屋さんには麹屋さんの、珈琲屋さんには珈琲屋さんの普通の幸せがあって、それはでもそれぞれが多分他人の目には映らないところで何かしら苦しんだり努力したりして手に入れた幸せだと思います。
それが今日たまたま目の前にあって、みんなで笑いながら、
「良かったね」
と大きく笑うことができました。
幸せです。
この間たまたま機会があって、発達障害のお子さんを育ててらっしゃる方の、Twitterのタイムラインを読ませていただきました。
すみません人様のホームを見る覗き見行為は大変心苦しかったのですが、発達障害に関する大切だと思われる情報のリツイートが多くてそれを読んでいました。重要と思われるけれどリツイート数が少なく感じられて、それは残念だと思いながら読んでいました。
私などが、大変なこともあるかと思いますと言うのも憚られます。
お子さんとの幸いの中にも、私には想像もつかない苦悩や葛藤が日々、あるかと思います。
読んでいる途中、その方が、Twitterを通して同じようなお子さんを持たれている方々と繋がっていることに気づきました。
お子さんについて悩んだとき、過剰に叱ってしまったと自己嫌悪に陥られたとき、悲鳴を上げれば必ず誰かが声を掛けています。逆にその方も、誰かに声を掛けることもあります。深夜でも、朝方でも。
毎日頑張ってる中の一つだよ、そういうこともあるよ。ずっと頑張ってだけいたら持たないよ。子どもも人間、私たち親も人間だよ。
お互いがお互いに声を掛け合い励まし合って、肯定し合い支え合っている。
私のTwitterの使い方を見ていれば一目瞭然だと思いますが、私はSNSが苦手です。Twitterが普及しだしたときには、正直こんなものなければいいのにと思っていました。
だけどその方のタイムラインを見て初めて、なんて素晴らしいものなんだろうと、思いました。SNSを。
もしSNSがなかったらこの方は、その悩みや自己嫌悪に一人で耐えて、夜中に呟いても声を掛けてくれる人もいないままただ頑張り続けなければならなかったかもしれない。
本当に申し訳なかったのですが、しばらくその方のタイムラインを読ませていただきました。
この支え合っているフォロワーさんたちはみなさん、もしかしたら実際会うことはないのかもしれません。
でもこの出会いはきっととても大切なものだと、勝手ながら思ってTwitterを閉じました。
昨日、友達の義妹に赤ちゃんが産まれました。
友達は独身です。
「生まれたてだよ」
そう言って赤ちゃんの写真を何枚も見せてくれました。
友達もとても幸せそうです。
見せてもらえて私も幸せです。
こういう幸せのためにでも、闘ってくれてる人がたくさんいるなと思います。私はぼんやり幸せを食んでいるけれど、今このときにも心を割いて心を削りながら闘ってくれている方を目の当たりにするのも現実です。
やっとお子さんを授かったご夫婦、個性を持って生まれてきたお子さんと生きるご両親、夫婦別姓問題に悩んだり、LGBTとして生きる方々、もしくはその何にも当てはまらない私も、みんなが、
「ちょっと頑張ってるけど、普通に幸せ」
そう言えたらいいなと、ふと思った日でした。
普通ってなんだ?
もしそう問われることがあったら、それは私もあなたも生きてるだけで普通だよと、答えられたらいいな。
それは少し、未来のことかもしれません。
- 2015/12/22(火) 15:26:19|
- 日記
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年明けに「小さな君の、腕に抱かれて」(文庫)が、新書館ディアプラス文庫から発売になります。年下大学生と、大学図書館司書の物語です。
それに当たって、私には割と重要なのではと思えるお知らせがございます。
これは雑誌小説Dear+2015年冬号に書いた「小さな君の、腕に抱かれて」に、三ヶ月後の主人公司書と大学生のその後を描いたもしかしたら本編より少し長い「小さな君の、腕を引いて」を書き下ろして、更に最後に年下大学生視点の短編「小さな僕の夏のこと」を書いた一冊です。
木下けい子先生のカバーがとても美しいので、是非お手元に置いていただけたら嬉しいです。
重要なお知らせというのは、一部協力書店のみに初回特典ペーパーが付きます。
分量としてはペーパー一枚分原稿用紙六枚程度の、「さよならの行方」という短編です。
しかし私はこれがとても気に入っています。
もしこの物語にそれなりに何かこう読後感というものがあるのらば、それをぶち壊しにするかもしれないコメディですがとても楽しく書きました。是非手に入れていただきたい。
これはもう告知して良いという許可をいただいたのですが、その協力書店が何処なのかまだわかりません……すみません。協力書店がわかるのは、発売ギリギリになるのではというお話しでした。
でも、これは私の感覚ですが、絶対とは言えませんがこの初回特典ペーパーがなくなるということはないと思ってます。ごめんなさいこれはなんとなくで言ってますが、なくなったら私すごいと思うのでなくなりません。
年内に協力書店のお知らせができるのかも不明ですが、待っていていただければこのペーパー付きのものが予約していただけると思うので、
「あえて読後感ぶち壊されたい」
という方は是非お知らせまで待ってみてください。いいのよ事前予約がそこまで入らなくても私は気にしないわ(新書館は気にするだろうけど……すみません)、それよりこのペーパーを手に入れて欲しい。
ただ不安なのがこれが全国区で待ってくださいと言えることなのかが、私にはまだわからないということです。
そんな場所でペーパー撒かれても、通販できないなら無理だという方のお手元にも届くのか私も今は不明で不安です。
わかり次第随時お知らせしてこの告知も更新していきますので、時々見に来てやってください。もちろん更新する度、Twitterでもお知らせします。
お手数ですがよろしくお願いします。
かわいい楽しい本になったかなと思っています。
2016年の始まりに、是非読んでやってください。
●追記●
協力書店リスト出ました。
よろしくお願いします。
●更に追記(12/28)●
新書館に諸々この本に関するお知らせがあります。
WEBサイン会も催されます。お名前をお入れします。私が張り切ります。
文教堂さん本当にありがとうございますお世話になります。
なお、こちらのサイン本にも初回特典ペーパーは付きます。
よろしくお願いします。
- 2015/12/06(日) 11:28:27|
- 告知
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この日記は古い映画のネタバレを多く含みます。
主に「キャスト・アウェイ」の大事なネタバレを含みます。弟曰くかなりの名画だそうなので、ネタバレを避けたい方は観てから読まれてください。
子どもの頃、生まれる前に作られた古い洋画が好きでした。「アパートの鍵貸します」や「ローマの休日」 。好きというか、テレビで観る洋画が私の洋画の全てだったので何度も放送されるものを何度も観ていました。「アパートの鍵貸します」は今でも観たい。
現在も80年代から90年代のものが好きなので、古いものが好きな性質なのだと思います。一番好きなエッセイは「方丈記」だし、好きな小説は新しいところで「忍ぶ川」と「台所のおと」。そういう懐古趣味なんだと最近自覚しました。
弟もそこは同じで、昔の映画の話をたまにします。
今日何故か弟の出勤前に映画の話になり、私たちは止まらなくなった。
自分がすごく好きなものについて同じテンションで語れる人と話し出すと、止まらなくなるよね。
知ってる。それがおたくという生き物。
きっかけはもはや思い出せないのですが、弟は言いました。
「『キャスト・アウェイ』(私たちの中ではそんなに古くない方)観た? トム・ハンクスが無人島に漂流するやつ」
「観てないな」
「名作なんだよ。観た方がいいよ。俺は何度も観ちゃう。ちょっとネタバレしていい?」
「いいよ」
いいよと言うときはだいたい、「観ないかな」と思ってるときです。
「都会で死ぬほど働いてるトム・ハンクスが無人島に漂流するんだよ。そんで、バレーボールが友達になるの」
「は?」
「バレーボールがあってね、メーカーがウィルソンなのかな。だからトム・ハンクスはバレーボールにウィルソンって名前をつけて、仲良く話したり時々喧嘩したりして、蹴ったら『さっきは蹴ってごめん』って謝ったりすんの」
私はここで爆笑しました。
「違うんだよここ笑うとこじゃないんだよ!」
「だったら何処で笑えって言うんだよ!」
「そんでトム・ハンクスはイカダで無人島から脱出しようとするんだけど、ウィルソンを連れて行こうとくくりつけるの。イカダに。でも大波が来て、ウィルソンは流されちゃうんだよ。トム・ハンクスは大慌て」
「そこが笑うところ?」
「ここは号泣なんだよ! トム・ハンクスが海に飛び込んで『ウィルソーン!! ウィルソーン!!』て泳いでウィルソンを救おうとするんだけど、ウィルソンとはここで別れになる」
「ええと、バレーボールなんだよね?」
「観てみなよ泣くから! トム・ハンクスがすごいんだよ! 悲しいんだよ!! ものすごい深いんだよこの映画!!」
「わ、わかった」
私はこれはレンタルで観ようと思います。
ここから、古い映画って時々観たくなるよねという話になりました。
「『プラトーン』は今でも時々観るわ。なんか私の根幹にあるのかな、あの映画は。原罪をバーンズとエリアスというわかりやすい善悪に分けて描いてて、二人は主人公にとって父であり母であると思うんだよね」
「うざいねお姉ちゃん」
「知ってる」
映画「プラトーン」は1986年公開のベトナム戦争映画で、ベトナム戦争の終結が1975年です。
この11年の間、私の認識ですがアメリカではふわっとしたファンタジー風味のベトナム戦争映画しかなかった気がします。帰還兵の悲惨な末路がリアルの多分限界で、まだ戦後処理も全く終わっていないので戦争は生々しい現実だったんだと思います。「地獄の黙示録」が1979年の公開で、私は名画だと思いますがやはりファンタジー風味です。
そういう理由で、「プラトーン」はベトナム戦争後初めて作られたリアリティのあるベトナム戦争映画だったのかと思われます。
実際アメリカ公開当時、帰還兵は観ていると震えて意識を失うこともあるという話でした。
作られた順番は逆ですが、私は「プラトーン」を観てから「地獄の黙示録」を観るとわかりやすいと思います。そして「地獄の黙示録」の主演はマーティン・シーン、「プラトーン」の主演はその息子のチャーリー・シーン。これは偶然親子なのではなく、オリバー・ストーン監督がマーティンの息子を敢えて望みました。本当は兄のエミリオ・エステベスが演じるはずだったんです。でも撮影開始時期が延びて、エミリオは大人になってしまった。私はエミリオが大好きなのでこのことは今でも残念です。
はいおたくの悪い癖ですよ聞かれてないこともべらべら喋るよ。
ついてきて!
「私自分ですごいなと思うことがあるんだけど、『プラトーン』について」
私は自慢話をしようと思いました。
「何?」
「映画館で観たのよ、『プラトーン』。学校サボって観た。学校行くよりなんぼか有意義だったわ。当時立ち上がれないほどの衝撃だったんだけど……その映画の中に、アメリカ兵の名もなき一人としてモブにジョニー・デップがいたの」
「へえ」
「そのあとジョニー・デップがブレイクしたのは『シザー・ハンズ』で、四年後とかだと思うんだけど。私ジョニー・デップが売れ始めたときに、『あ、この人プラトーンの中で米軍がベトナムの村を燃やしたときに子どもを抱いて画面を横切ってった男の子だ』ってすぐにわかったんだよ」
「あのさお姉ちゃん」
弟は溜息を吐いた。
「今現在のジョニー・デップの存在感を見てみなよ。それはさ、お姉ちゃんがすごいんじゃなくて、ジョニー・デップがすごいって話だろ」
「あ」
なんだよ人の自慢話を。
正論てなんてつまらないんだ!
私はこの頃のハリウッドゴシップには辞典になれるくらい詳しいので、「シザー・ハンズ」のヒロインで当時大人気女優だったウィノナ・ライダーが、まだ売れていなかった恋人ジョニー・デップのために「ゴッドファーザー PART III」のアルパチーノの娘役を蹴ったことも忘れていない。蹴って「シザー・ハンズ」にウィノナが出たのもあって、この映画は大ヒットしてジョニー・デップは爆発的に売れた。
一方蹴られて困ったコッポラ監督は、実の娘ソフィア・コッポラをその娘役に抜擢した。アル・パチーノ演じるマイケルの、大切な美しい娘の役だ。私はその頃ウィノナの美しさをとても愛していたので、映画館で「ゴッドファーザー PART III」を観ながら、ソフィアには本当に申し訳ないが「ああ、ここがウィノナなら。ここもウィノナなら。このラストもウィノナなら!!」と気が散ってしょうがなかった。
ほらまた止まらなくなる! 許してよおたくだから!
まだまだ続くよ!
「ゴッドファーザー」はとてもおもしろいです。再販売される度に再編集されるので、どれが本物なんだといつも思うけど、今手元には豪華版のボックスがあります。
その後弟との話は止まらず、「エクソシスト」の話になった。1973年の映画だ。私はこれもテレビで観た。
「あの子役の女の子本当に死んだの?」
「それデマだったみたいだね。私も大人になってから知ったけど」
この映画は、主人公である子役が撮影後急死したというデマがまことしやかに流れて、「エクソシストは呪われている」とオカルト映画としての評判を上げていた。どうも「ポルター・ガイスト」の話と混ざったらしい。
「私、子どもの頃その話聞いてさ。信じたの、子役は死んだんだって」
私は子どもの頃、自分がその件について感じていたことを無防備に弟に語り出した。
「私が子どもの頃って、アメリカってもっと大国のイメージだったの。今も大国だけど、何しろ1ドル360円くらいの記憶があってね。ドル高の大国よ。私が生まれる前の話だけどケネディ大統領だって暗殺されてるし、マリリン・モンローだって政府に殺されたと言われてた。アメリカは大国過ぎて、何するかわかんないと思ってたの。だから『エクソシスト』の主人公が撮影後に亡くなったと聞いたときに、映画の話題作りのために暗殺されたんじゃないかと思ってた。それぐらいしそうだなと思ってさ。でもデマだったんだね」
「お姉ちゃん」
弟は真顔で私を呼んだ。
「ねえお姉ちゃん。お姉ちゃんはどんな子どもだったの?」
「何が?」
「俺の子どもの頃は、『アメリカ? でけえな! 遠いな! 何処だ!?』そんくらいだよアメリカのイメージなんて! ドル高で大国だから何するかわかんないって子どもがそんなこと考えるのおかしくない!?」
「え?」
「大丈夫!? お姉ちゃん!!」
「お、おう。言われて見たらおかしな子どもだな……」
「何考えてたの子どもの頃!」
「赤字国債という言葉をニュースで聞くのが嫌いだったよ……」
「しっかりしてよ!」
「しっかりはしてたんじゃないのむしろ」
「そういう意味じゃないよ!」
「そうだなわかってる。でも私はもうこんな大人なので、手遅れだ今頃そんなこと言われても」
その後、弟とはインターネットの話になりました。
古いものが好きなのは姉弟同じらしく、弟はインターネットを毛嫌いして覗こうともしません。
私は弟のそういうところはいいところだとなんとなく思っています。
「お姉ちゃんその薄い板(iPhone)で何見てんの?」
「一番最近見たのは、土鍋の焦げの落とし方を調べた。便利だよ」
「そんなのばあちゃんに聞けばいいじゃん」
「ばあちゃんもういないから、インターネットで調べたんだよ」
「インターネットがばあちゃんの代わりになれるの?」
「インターネットは決してばあちゃんの代わりにはなれない」
「そんなのむなしいじゃないか」
「なんの話をしてるんだおまえは」
「あ! 遅刻!!」
インターネットが決してばあちゃんの代わりにはなれないむなしさを私に教えて、弟は仕事に出て行きました。
ばあちゃんに会いたくなったよばかやろう。
弟には熱く、「タワーリング・インフェルノ」語りをしました。
私はこの映画は人生で一番観たし、ブルーレイも買いました。
ブルーレイを買った理由は、レビューを読んでいたら恐らくご老人だと思われる方が、
「若い頃渋谷の映画館で観て忘れられずに購入。ブルーレイではなんと、当時映画館では真っ黒になって見えなかった暗がりがちゃんと見える」
と書いてらっしゃって、それはすごいことだと買いました。
吹き替えは何故か、初期のテレビ放送当時のまま。私はこれをテレビで何度も観たので、懐かしさから最初吹き替えで観ました。
しかし時々、突然英語になる。
「なんだろう? 誤作動?」
考え込みながら観ていて、私は理由に気がついた。
テレビ版は、三時間近いものを二時間程度に編集してします。
だから完全版「タワーリング・インフェルノ」には、テレビで吹き替えされていないシーンがたくさんある。そこは英語のままという暴挙。
「何故この吹き替えにこだわった……声優さん何人かもう亡くなってるし」
気が散るので途中で英語に変えました。
しかしこれは本当に本当に名作です。
絶対観て。
ものすごくおもしろい。
この映画についても微に入り細に渡って語れますが、もう私のオールドムービートーク飽きたでしょう……? なんなら辟易してきたでしょう?
知ってる。
最後にスティーブ・マックイーン繋がりでもう一つだけ言わせて。「大脱走」は目茶苦茶おもしろいだけでなく、ものすごい萌えがある。ものすごい萌える二人が出てくるから必見です。
散々語っておいてなんだけど、このぐらいにしておいてやるわ。
- 2015/12/04(金) 14:34:24|
- 日記
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