菅野彰

菅野彰の日記です

「花屋の二階で 新装版」(キャラコミックス)/「小説Chara vol.33」(徳間書店)/「毎日晴天!」シリーズについて

 今日は「小説Chara vol.33」の発売日です。
 Twitterで「毎日晴天!」シリーズについて諸々呟きましたが、ツイートは流れてしまうではないかと気づいたので十一月の発行物だけでも日記にまとめます。 本当は2012年の全員サービスから再開したこのシリーズの、その後書き下ろしたものを全てまとめたいのですが、それはまた後ほど。とりあえず「毎日晴天!」のカテゴリーを作りましたので、この記事にある「毎日晴天!」というリンクをクリックしていただけると過去作品の告知も出てくる筈です。そしていざそれをしてみると、私は日記で全てを告知していないことに気づかざるを得ません。申し訳ありません。Twitterの告知だけになっていたものもあるようです。本当にごめんなさい。
 今月の発行物についてを先に、「毎日晴天!」についての諸々については後に書きます。

「小説Chara vol.33」11/21発行
 二宮悦巳先生が、「どこでも晴天!」という漫画を描き下ろしてくださっています。以前「小説Chara vol.29」にこの小説を書かせていただいたときに、とても二宮先生の描いた大河と秀のスーツ姿が見たかったのでリクエストしました。本当に素敵な漫画です。そしてほぼ全員が出て来ます。ほぼに漏れたのは丈でございます。ウオタツもおります。
 残念ながらコミカライズが終了しています。今後この二宮先生の漫画が何かの単行本に入る可能性は今のところ想像がつかないので、是非雑誌をお求めください。
 これからは二宮先生のこのシリーズに関するイラストは、私が文庫を出せたときに見ていただけるかと思います。それを大きな楽しみに、私もこの先を頑張ります。
 そして私の小説は、一本目は「SF作家は何度でも家出する」を書き下ろしました。コメディです。龍もウオタツも出て来ます。というか何故かこの二人が大活躍です。とても楽しく書きました。楽しいよ! こちらは可能であれば「明日晴れても 毎日晴天!10」を復習してみてください。その直後の達也になります。
 二本目は、「夢のころ、夢のまちにて。」を書き下ろしました。大切な話になりました。「夢のころ、夢の町で。 毎日晴天!11」にしか出てこない登場人物が突然出てくるので、良かったら復習してください。「僕らがもう大人だとしても 毎日晴天!7」も読んでいただけると、なお復習になるかと思います。
 楽しんでいただけますように。
 よろしくお願いします。

「花屋の二階で 新装版」(キャラコミックス)11/25発行
 二宮先生によるコミカライズの、最終巻になります。
 寂しいですが、とてもきれいな素敵な本です。毎回カバーを彩る美しい花が、楽しみでした。
 二宮先生、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
 私はコメントと、短編小説「次男の恋人」を書き下ろさせていただきました。明信の意外かもしれない一面が書けた気がしています。
 楽しんでいただけると思います。
 よろしくお願いします。

「Chara Collection 2015」(AGF販売物)12/1通販受付開始
 AGFで販売された分厚い本が、通販されます。
 こちらには私は、勇太と真弓の話というか、ほぼ勇太の話「おまえのおらん俺」を書き下ろさせていただきました。
 通販サイトはこちらになります。
 シリアス寄りです。
 私にはとても思い入れのある、勇太の物語になりました。

「Chara全員サービス」近日発送
 すみません。これはもう入手が間に合わないものかと思われます。
 ここ四年、全員サービスには毎回「毎日晴天!」シリーズを書き下ろしています。
 今回は「女子会プラン男子会プラン」。
 右チーム左チームに分かれての、コメディです。
 お手元に届くことを、願っております。

 今月の発行物については以上です。
 ここからは私の「毎日晴天!」シリーズについての、個人的な話です。
 あ、その前に具体的な話を一つ。
 ドラマCDが、全員サービスを含めて7枚出ています。現在も購入可能なものもあります。版元のムービックか、Amazonなどでお求めください。
 「毎日晴天!5 竜頭町三丁目帯刀家の迷惑な日常」と、「毎日晴天! 番外編 君が段取りをする時間 (Chara全員サービスなのでこれは入手不可能です)」は私の完全書き下ろしで本編にはないサイドストーリーです。短編小説の書き下ろしもついています。
 ドラマCDについては、突然7枚目で止まってしまい続きを望んでくださる方の声も聞くのですが、実はレーベル自体がなくなってしまいました。私も残念ですが、7枚目から随分時間も経って、今後このキャストさん全員に集まっていただくのは不可能なのではと私個人としては思っています。もしかしたらお願いしたら引き受けてくださるかもしれませんが、みなさんかなりのご活躍です。それを影ながら拝見したいと思います。
 私は全員のキャストさんにとても感謝していますが、ツイートしたので一つだけ裏話のようなものを。
 ドラマCDが発売されることになったときに、もちろんそれはとても嬉しかったのですが、何もかもを担当さんに全てお任せしました。傍から見ると、ラジオドラマの脚本なども書いているのでこれは意外かもしれませんが、多分私はそんなには声優さんに詳しくないです。今も、お仕事をさせていただいた方の他は、かなり有名な方しかわからないです。大変失礼な話で申し訳ないことなのですが。すみません以下の話の前提として必要なので、私事情を語りました。
 そんな訳で、担当さんにキャスティングは全て委ねました。大河役には、制作サイドからは主にアニメで有名な声優さんが候補に挙がっていました。その声優さんのファンの方がきっと買ってくださるだろうという、アニメ漫画業界ではかなり手堅い私も知っている方で、私はその方で充分ありがたいと思っていました。
 担当さんから別の声優さんのボイスサンプルが送られていて、申し訳ないのですが日々の忙しさからなかなか聞けずにいました。担当さんに「早く聞いて欲しい」と言われて、何故だろうと思いながら聞きました。その声優さんは、当時海外ドラマや洋画の吹き替えを主にやってらっしゃって洋画では主演もしてらっしゃいましたが、アニメの仕事はまだほとんどなさっていませんでした。アニメや漫画の購買層からはやはり遠く、制作サイドは二の足を踏む、そういう条件の方でした。当時の話です。
 ボイスサンプルを聞いて、担当さんが一刻も早くそれを聞いて欲しいと私を急かした意味を、すぐに知りました。受け取ってすぐに聞かなかったことを、本当に後悔しました。
 その声を聞いたら、もう他の方は全く考えられない。大河そのものの声が、そこにはありました。
 それが7枚、大河を演じてくださった方です。
 現在はアニメ業界でも大人気の方です。
 私はその頃の仕事の範囲を外れているのに引き受けてくださったその声優さんにも、彼を全力で推してくださった担当さんにも、今でも感謝しています。
 ドラマCDにレギュラーで出てくださっていた声優さんたちは、それはもしかしたら当然のことなのかもしれませんが、みなさん原作小説をきちんと読んでくださっていました。まだCD化が決まっていない先の巻まで読んで、そのときどんな風に自分の役を演じたいか語ってくださったことも覚えています。
 そういうドラマCDでした。機会があれば、是非聞いてみてください。
 そしてこのときのことも含めて、担当さんには、それだけこのシリーズを愛してくださっているんだという感謝がいつでも絶えません。
 2008年の小説Charaに「花屋の店番」を書いて以来、2012年発行のChara全員サービスに「エゴマのゴマはゴマじゃない」を書くまで四年、「毎日晴天!」を一切書いていませんでした。
 その四年間、担当さんは月に一度欠かさず電話をくださいました。
 今考えると、あり得ないことだと思います。他の小説も書いていませんでした。毎月必ず電話をくださって、
「どうですか?」
 と、激しく急かすでもなく、四年間電話を掛け続けてくださったのです。
 それはもちろん、このシリーズを愛してくださったみなさんのおかげでもあります。もちろんそのことには、大きく感謝しています。四年の間も、手紙やメールという形でその声は私に届いていました。本当にありがとう。
 それでもやはり、担当さんの熱意にはただただ、心から感謝せずにはいられません。
 こうしてまた竜頭町の人々を定期的に書かせていただいてる今、いずれはきちんと終わらせなければと思う一方で、久しぶりに彼らを書くのが楽しくて仕方がなくて、もう少し書かせて欲しいと思っている私がいます。
 そんな喜びも、関わってくださっているみなさまのおかげです。
 改めまして、本当にありがとうございます。
 もうしばらく、おつきあいいただけましたら幸いです。  
  1. 2015/11/21(土) 14:04:50|
  2. 毎日晴天!

「はじめの一歩」(2004年02月04日に某誌に書いたエッセイ)

 外付けハードディスクを開いていたら、長らく開けていなかった「エッセイ」というフォルダがあり、もうない雑誌やもうないフリーペーパーに書いたエッセイというか短文が出て来ました。
 版元さえなかったりするので、公開してもいいだろうと自己判断で一日一つくらい公開してみます。そんなにたくさんはないです。
 これは2003年の漫画ランキングに寄せさせていただいた文章です。
 自分でも気に入っていたので、時々思い出していました。月夜野亮宅の近くで、一人暮らしをしていた頃に書いたものです。ちなみに現在は月夜野の下の甥っ子が、全巻揃えているそうです。
 「はじめの一歩」を知る方も知らない方も、良かったらどうぞ。


「はじめの一歩」
 大メジャー作品を1位に持って来てベタな自分がちょっと恥ずかしいですが、2003年は「はじめの一歩」は素晴らしいと改めて痛感した年でした。
 極めて個人的なことですが一人暮らしを始めて、弟所有の「はじめの一歩」とさよなら致しました。年に一回くらい、これはふと手にとって夜通し痛読したい。しかし手元にない。全部で60巻以上ある。もちろん正規の価格で全巻揃える価値のある漫画だ。しかし弟所有の60巻の三分の一くらいは私も出資している。
 と思い悩み、手近な友人、作家の月夜野亮に全巻購入を勧めることにした。
「何処を読んでもたるまずおもしろい。あまさず息を飲む展開でありながら決して読者の期待を裏切らない。登場人物一人一人にしっかりとした背景が書き込まれている。これを今から全く白紙の状態で1巻から新しく読めるあなたが羨ましい!」
 ……毎日言った。しかし言葉だけでは、人は中々こういった長編に手を出さない。痺れを切らした私は5巻までを購入して、中華を食ってる最中に月夜野に、「はいプレゼント」と進呈した。
 以後、彼女が取り憑かれたように全巻を揃え、一時は日々のこともおろそかになり、私を恨んだりしたことは記すべくもない。
 ただ月夜野は! 頭から読むということにこだわらない恐るべき人物で、私はだいたい揃ったところで上前を掠める禿鷹のように「はじめの一歩」をかっさらったのだが、最初の千堂戦が、始まったと思ったら一巻抜けていて次の巻では清々しく終わっている。ヴォルグ戦が抜け、あまつさえ鷹村戦がない! 「わざとなのか!?」と問いたくなるような見事な抜け具合だったのだが、彼女は「誰か気になる人が間を埋めるであろう」と、肝心な箇所が抜けたまま中学生の甥っ子にそれを貸した。少ない小遣いから彼がそこを買い揃えたのは言うまでもない。
 まだ読んだことのないあなたが、1巻からまっさらな気持ちでこの物語を67巻も楽しめるなんて、本当に私は羨ましい。
  1. 2015/11/20(金) 02:12:27|
  2. 何処かに書いたらしきエッセイ

「プロにただ働きさせるとどういうことになるかという一例」

 私自身は、どんなに魅惑的な仕事でも、震災復興関連以外は絶対にノーギャラでは働かないことにしています。
 極端な話、
「一番好きな役者の主演映画の脚本書かせてあげるよ。どんな目にあわせてもいいよ」
 と、言われたとしても(言われないけど例だからね!)、ノーギャラだったらやりません。
 ただ働きしない理由は、対価が払われていなければ、クレジットに責任が負えないから。そのコンテンツを購入した人に、「おもしろかった」と言われて喜ぶ権利も、「つまんない」と言われて胸を痛める権利もなくなるからです。
 私個人としては、それだけです。

 この間、医者ではないのですがまあそんな感じの人と、電話していました。
「ねえ、その、『んっ』ていうの気になる。どうしたの?」
 そう言われました。
 これは、私から仕事をさせたわけではないです。
「ああ、風邪じゃないんだけど。この間からなんか喉が痞えてね。なんだろうな? 自分でも気になるんだよ」
 詳しく症状を聞かれて、最近忙しいのかとか慣れない仕事をしたんじゃないのかとか、諸々尋ねられました。
「薬局に行くと、半夏厚朴湯っていう喉のストレス性の症状に効く漢方売ってるから。試しにそれ飲んでみて。それで治らなかったら医者に行きな。今はたいしたことないと感じてるかもしれないけど、放って置くと大変なことになるから」
 なるほどストレス性なのかと、私はそういう面で彼女を信頼しているので、翌日薬局に行きました。
 探しても探しても見つからず、
「半夏厚朴湯は何処ですか?」
 薬剤師さんに聞くと、レジの裏の棚にありました。見つからないわけだ。
 箱を手に取って、薬剤師さんが固まりました。
 箱には大きく、「半夏厚朴湯 不安神経症の方へ」と書いてある。
 それは私自身も、「え? 私不安神経症の方ですか?」と戸惑うぐらいの太文字ゴシック体でした。ストレス性の喉の痞えだと、私の話を聞いて友人が判断したことは充分理解していたのですが。
 若い女性の薬剤師さんは、私の顔を見て言いました。
「何か、不安ですか?」
 彼女は大概失礼ですが、私がふくふくと幸せそうに見えたのでしょう。実際紅葉を見た帰りで、浮かれていました。
「ええと、特には」
「ですよね」
 間が悪いことに私はそこで、ちょっと咳き込んだんです。風邪っぽい咳をしました。
 そしたら彼女は、
「喉が悪いのは風邪のせいではないですか? 麦門冬湯じゃないですか?」
 と、私に麦門冬湯を渡しました。
 風邪の咳などに効く漢方です。飲んだこともあるし、半夏厚朴湯より安い。
 つい雰囲気に流されてしまい、それを買ってしまいました。
 夜、ちゃんと買って飲んだかと、友人が電話をくれました。
 この顛末と、故に今手元にあるのは麦門冬湯であることを話しました。
 彼女は言った。
「明日薬局に行ってその薬剤師に、おまえのその浅すぎる知識と浅すぎる人生経験で勝手に患者の薬を変えたことを一生後悔させてやると言えー!!」
「そこまで言えば私は間違いなく不安神経症認定されて、半夏厚朴湯を売ってもらえるだろうけど言いたくないです」
 置いてある場所はわかったので、翌日そっと買って来ました。
 やはりストレス性だったらしく(私だってストレスくらい感じることはあるのだ!)今もう喉の詰まりが取れたので、友人には感謝していますが、ただ働きすると仕事中には出ない言葉も出てくるという話。

 編集をしている友人がいます。今まで一度も仕事をしたことがない編集です。
 仕事柄、仕事はしたことがないという編集の友達は多いと思います。
 この間私は、物語の最後の顛末に行き詰まって、彼女に相談しました。
 自分の担当さんに相談しろやという話ですが、立ってる者は親でも使え理論で、そこにいた友人に相談しようとしました。彼女は優秀な編集者であることも知っていたので、相談に乗れよと気軽に頼みました。
「最近Twitterで大流行の、友達のデザイナーに気軽にただで仕事を頼むなリツイート見てないの?」
「うるさいな。私はリストに友達と仕事関係入れてるだけだから、タイムラインがないんだよ。世間のことなんか知るか。ダメ出ししてよ」
「やだよ。ダメ出しなんて、仕事でもう充分疲れてるよ」
「そこをなんとか。30分でいいから。あと一息、自分一人で考えてても全然ここから前に進まないんだよ」
 無理矢理相談して、「こうこうこういうあらすじなんだけど、ラストがどうもイマイチで」という話をしました。
 友人は、
「そもや物語とは何か」
 という話を、いきなりとうとうと始めました。
 悪いけどそんな話聞いてる場合じゃないんだよこっちは、と思い、そこから口論になりました。
「そもそも論は今はどうでもいいんだよ!」
「そのあらすじに一つも楽しみを見つけられないし、テーマもわからない。どちらかを出してくれば、そもそも論なんかこっちだって言わなくて済むんだよ!」
「自分の担当作家にもその態度なのか!」
「担当作家じゃないから本当のことを言ってやってんだ! 担当作家ならもっと丁寧に扱うわ!」
 大喧嘩になるも、本当のことを言われたおかげで私は、「あ、テーマが行方不明だこの話」と気づくことができて、しゃくだったけど最後には礼を言いました。

 彼女は彼女で、私がある創作物に夢中になっているところで、横から話し掛けてきて、
「なんか書かないスカ」
 とか言って来ます。
 こっちはその創作物に夢中なので、話しかけるなようるせーなと思いながら、
「ああ、いいよいいよいつでも書くよ」
 と、適当な返事をします。
 彼女は私のこういう適当さをよく知っていて、この何かに夢中なところをわざわざ狙って仕事の話をしてくるんです。
「原稿料いくら?」
「ピンキリだけど、まあだいたいこんなかな」
「うち弱小なんで。ちょっとお勉強してよ、せんせー。五分の一くらいでどうよ」
「安すぎだろ。せめて半分は出せよ」
「まあまあそう言わずに」
「値切るなよ人の原稿料を」
 冗談に見せかけて、言質を取りに来るんですよ。友人は。

 こういうことは多分、この編集の友人と私がもし実際に仕事をすることになって、会社が絡んで会社から私たちにそれぞれ対価が支払われた場合、全く向き合い方が変わると思います。
 彼女は真摯に丁寧に私の相談に乗るでしょうし、原稿料の交渉は彼女とはせずに会社相手にするから、決定すればその後はお互い遠慮も文句もないです。
 円滑に平和に仕事をしたいときは、ちゃんと見合ったお金を払い、見合ったお金をもらいましょうという一例の話でした。
 友達にただで仕事頼むということは、仕事も友達もなくなるハイリスクを孕んでいるのだ。
 ああ良かった編集友人と仲直りできて。
  1. 2015/11/15(日) 17:46:45|
  2. 日記

「BLに関わる全ての方に謝りたいこと」

 ただの日記です。
 企画さんと、中屋敷さんと、制作さんと、四人で打ち合わせしたときのことでした。
 私が基本BL作家だということで、私を知っている方、もしくは私のことを検索した方などだと思うのですが、
「このリーディングドラマBLですか?」
 と、聞かれるという話を中屋敷さんが始めました。
 最初は、BLだと期待していただいているなら違うと言わない方がいいのか、BLなら観ないという方もいるかもしれないから違うと言った方がいいのか、とかなんかそんな簡単な話でした。
 しかしなんでも深く潜って考える方なのか、そこから、
「そもやBLとはなんぞや」
 と、いささか哲学的な次元に話が移っていきました。
「紀伊國屋のBLコーナーに行くと、え? これもBLなの? というような本も並べてあって、境目がわからない。BLってなんですか?」
 そこから、中屋敷さん、制作さん、企画さんの三人で、BLとはどういう定義のものをBLと呼ぶのかという議論が始まりました。
 私と同じ立場の方はよくわかると思うのですが、こういうとき当事者はただ口を噤むのみです。
 BLに限らず、自分が渦中にあるものは、却って外側にいる人に説明しにくいことってないですか? 説明しにくいし、特に説明する必要もあまり感じないというか。正直、興味のない方にどう定義されてもどうでもいいです。私はですが。
 私はいつまでも黙ってその話を聞いていても良かったのですが、会議室の使用時間がきっちり決まっていたので、全くBL業界の方ではない三人の「BLの定義」トークは果てない終わらない答えが出るわけがないし、それは時間がもったいないなと思ってぼんやりと口を開きました。
「BLは」
 すると、三人は水を打ったように静かになりました。
 本家本元BL作家が、BLをきっちり定義するのを期待したのでしょう。
 正直、なんのあてもなく話を終わらせようと口を開いただけなのに、ガンダーラは何処ですかくらいの勢いで答えを期待されている空気に困り果てました。
 私は人の期待には、なるべく応えたい律儀な人間なんです。
「海です」
 私はあまり嘘は吐かないと思うのですが、たまに適当なことを言うときがあります。この「海」何処から出て来たのか、さっぱりわかりません。
「東シナ海とか、あります」
 なんで最初に出て来たのが東シナ海だったのか、自分でも全くわかりません。
「大西洋などもあります」
 三人は、多分真面目に言葉の意味を必死に汲み取ろうとしてくださっていたのか、私を凝視して話を聞いていました。
「それぞれみんな全く違う海ですが、大きく言えば海は一つです」
 なんであんなことを言ったんだろう……。
「紀伊國屋さんがBLコーナーに置いたら、それはBLです」
 最後は紀伊國屋さんに、丸投げしました。
 形のないBLを、勝手に定義したことを全てのBLに関わる方に謝罪したい。
 BLは、BOYSとLOVEの略称です。
 そんなに難しく考えないでください……。
  1. 2015/11/11(水) 00:09:52|
  2. 日記

「朝彦と夜彦1987」を終えて/菅野彰

 最後に私の話です。
 この物語に原作本がないことを、私がとても気にしていた意味が、観たらわかったと友人が言いました。
 もしこの物語に小説なり漫画なりの原作があれば、私はどんなメディアミックスも、編集部に全部任せます。今まではそうしてきました。
 それは、担当さんは時には私より私の書いたものを理解してくれることに間違いはないし、時には私より作品を愛してくださいます。シリーズを書いていると、担当さんから私自身にキャラブレを指摘されて、書いていてハッとすることさえあります。
 だから、担当さんにお任せすれば、間違いは何も起こりません。
 もし万が一私がこれは違うということになっても、そのときは、
「原作本を読んでね」
 そう言えば済むことなので、最悪の場合違ってもいいんです。正解は用意してあるから。
 二組のペア、全く違ったし、そして毎回それぞれが違いましたよね。
「どっちなの、どういう話なの?」
  と、何度も聞かれました。書いた私としては、
「これこれこういう話で結論はこうです」
 実は簡単に、二行くらいで答えられます。
 これはでも、今まで元の戯曲を読んでくれた友人達も、読んでもどちらなのかはわからないというので、元々そういう話ではあります。結論は観た方に委ねたいところは、大きかったです。ちゃんとそうなるところは、正直想像しませんでしたが。
 それを更に、ややこしくしてくれたのは、中屋敷さんと四人の役者さんでした。
 二組のゲネプロを観ていて、あ、私中屋敷さんにその、
「これこれこういう話で結論はこうです」
 という肝心なことを、すっかり言い忘れたけどでもまさかこんなにマルチエンディングになるなんてこっちは想像もつかなかったから、天才恐ろしい! と、思いました。
 大事な台詞、何も変わってないです。小道具がないから、「妄想化学雑誌」が、「妄想化学雑誌ムー」、になったりなど、そのくらいしか変わってないです。
 思いの外、観た方に疑問を残したことがやはり内側でも話題になり、私は全部の質問に答えられると企画さんに言ったら、
「誰にも言わずに死ねー!」
 と、松田夜彦並の勢いで口を塞がれましたので、言うと殺されるので死んでも誰にも言いません。私死にたくない。
 中屋敷さんも、企画さんも、戯曲読んだ方々も、私の結論は知らないです。
 でも、それはもはやどうでもいいことになりました。
 観た方が受け取った答えが、観た方の正解です。
 とにかく私は朝彦と夜彦がすっかり私のものではなくなって、とても清々しています。ああ、重荷だった。
 企画さんが私のこういう気持ちを、理解してくれていることを昨日はっきり知りました。
 役者さんたちと話しているときに企画さんが、私の思い入れにもしかしたら誤解しているかもしれない彼らに(だからキャラブレしてはいけないという思いで、いろいろ聞いてくださった時などです)、
「菅野さんそういう人じゃないから。うちの朝彦ちゃんがどうとか、そういうことではないの」
 と、何度か説明する姿を見て、あ、わかってくれてるんだと知ってはいましたが、昨日そんな話をしました。
 私は普段、自分の創作物の中にいる登場人物に、ここまでは執着しないです。
 それを愛がないとは思わないでください。小説の登場人物は、もう読者さんと共有できているからそれでいいんです。それが嬉しい。
 そうすることがずっとできない上に、どうしても野に放ちたかったのが朝彦と夜彦なので、私はもう諸々悔いのない気持ちです。
 次の話をしてくださる方もいましたが、ゲネプロから一週間以上、中屋敷さんと役者さん達、制作さん達のおかげさまで、
「私もしかしたら天才なんじゃなかろうか」
 というアホな錯覚に酔いしれることもできて、正直、これ以上のものを書ける気持ちも全くしないです。
 こんなことは、十二年に一度で充分だなと思いました。
 私の著作物に興味を持ってくださった方も嬉しいことにいらっしゃったので、せっかくなので本業の話をさせてください。
 私は本業は晴れ時々BL作家、雨が降ったらエッセイスト、くらいの感じです。
 あ、それで思い出したんですが。余談。
 とにかく告知が突然だったので、諸々たくさんの媒体に宣伝していただいたようです。私もいくつか拝見しました。
 一生懸命宣伝してくださったのに申し訳ないのですが、なんだかとてもおもしろかったのでどうしても言わずにはおれない。ごめんなさいこれ私の病気なので。
 何処かの媒体さんが、
「中屋敷法仁演出! BL作家台本! テニスの王子様の宍戸先輩! BREACHの黒崎一護! 仮面ライダー!」
 そんな感じで宣伝してくださるのを、見かけました。
 それぞれのアピールポイントを丁寧に探して拾ってくださったんだと思うんですが、全部混ぜたら爆発しそう……と思い爆笑してしまいました。
 私のことは差し引いてくれた方が良かったのでは、混ぜるな危険みたいになってるけど、と楽しく読ませていただきました。
 すみませんとてもおもしろかったです。
 自著の話をします。
 BL作家であることは何も恥じませんが、BLは受けつけない方に押しつけるものではなく嗜好が合えば読めるという特殊性があると私は思っているので、無理に読んでみなくてもいいと思います。
 それでもトライしてみようと思ってくださった方は、新刊の「愛する」(キャラ文庫)が私は今とても好きなので、良かったら勇気を出して捲ってみてください。
 BLでない小説は、近刊だと「あした咲く花 -新島八重の生きた日々-」(イースト・プレス)になります。新島八重をモデルにしたフィクション、時代小説です。
 しかし多分ご興味いただけましたら、エッセイがハードルが低いかと。
 エッセイは16冊出ています。
「女に生まれてみたものの。」(ウイングス文庫)
「あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します」(ウイングス文庫)
 などが、読みやすい……かも。わからない。
 メインで書いているのは、「帰ってきた海馬が耳から駆けてゆく」です。このシリーズは8冊出ています。
 WEBエッセイ、会津「呑んだくれ屋」開店準備中で試していただくのが早いかもしれません。酒の話しかしてないですが。
 桑野さんのファンの方は、たまたま手元にあって、理由があって桑野さんにそれを謹呈したので、「帰ってきた海馬が耳から駆けてゆく3」を読まれてみるのもいかがかと。
 私は桑野さんについそれを差し上げたことを、ちょっと読み返してかなり後悔していますがおもしろい本だと思いますよ……。
 別に販促のために桑野さんに差し上げた訳ではありません。
 本当は今回の上演の前から、私にとっては同一のテーマでの小説の刊行が決まっていて、今年中にはその原稿を書く予定です。
 しかし私はすっかり成仏してしまって、それはもう営業さんも、
「うちの原稿!」
 と、叫んで帰る訳です。
 本業頑張らないとね。
 ライターの友人が、そちらも友人である旦那さんが、かなり大きなメディアミックスをいつもしている会社の編集さんなので、
「菅野さん全部自分でやってるの? 打ち合わせとか。大丈夫なの?」
 と、心配してくれていると聞かされました。彼にとっては全く意味不明で、本当に心配してくれたのがわかります。
 正直途中で誰かを頼ろうかと思いましたが、自分でやりたかったことなので、疲れたけど悔いはないです。
 でも結局劇場にはほぼ担当鈴木がいてくれて(しかもチケット代まで払ってくれて……)、鈴木はあれでいて実はとても気遣いなので、最後には多分私より疲れ果てていました。死んでしまうかと思いました。助かりました。
 毎日感謝しかなくて、感謝は最良の感情だけど自分一人では持てない感情だから、こんな毎日ずっと感謝できることなんてなかなかないと思います。
 自分のものとはもう全く思えなかったので、気軽に観た方の感想も聞けたし、読めたりもしました。
 お一人、とてもきれいなカラーのイラストを、アンケートの裏にびっしり描いてくださった方がいらして。
 とてもきれいでそれももちろん嬉しかったんですが、夜彦が見た合唱の光景が、描かれていたんです。
 これは夜彦の口から語られるだけで、そのもののシーンはないです。
 しかしそのイラストが私の頭の中にあったイメージそのままだったので、中屋敷さんと役者さん達が、ちゃんと伝えてくださったんだととても感慨深かったです。
 千秋楽には、四人の役者さんそれぞれの朝彦と夜彦が描かれた絵を、私に置いて行ってくださいました。奥ゆかしい方で連絡先もわからず、お礼も言えません。
 出頭して欲しいです。お願いします。
 様々気軽にみなさんの感想や憶測も聞いて、どれも嬉しく楽しいし、重ねていいますが全てが正解です。
 その正解とは全く別に、私が見かけて、嬉しい言葉があります。
「私は今、健やかだ」
 その言葉が聞けたときが、一番嬉しい。
 それが答えな訳ではないです。その方が、今、そう言えることが本当に嬉しい。
 もし今は言えない状況の中にいる方も、いつか言える日が来たら、私のことを覚えていたら、教えてくれたら嬉しいです。
 劇場で、自分で書いた話を観て泣いている奇妙な私を、見かけた方もいらっしゃるかと思います。本当にもうそれだけは絶対したくなかったのに、心から恥ずかしいです。
 それもこれも、創った方々の力以外の何物でもないです。
 どうして朝彦と夜彦にはこんなに感情的になってしまうのか、ずっと恥ずかしかったですが、観ていただいて、朝彦と夜彦が観てくださった方々のものになるのを眺めていて、何故こんなに固執し続けたのかがよくわかりました。
 十二年も、朝彦と夜彦は私一人のものでしかなかった。
 それが今回、最良の形で、たくさんの方の力で、たくさんの方のものになりました。
 今後これ以上、私は朝彦と夜彦に一人で固執することはない。
 私も今、とても健やかです。
 ありがとう。

asayoru1987.jpg
  1. 2015/11/07(土) 03:29:06|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/役者さん達

 ここは本題と無関係な、前置きです。
 一応書きたいように書いたのち校閲していただいたのですが、驚くほどの赤字と削除が入り、改めて大変な立場でお仕事をなさっているみなさんなんだなと思いました。
 その消えた部分は、私から見て、役者さんたちのファンの方にお伝えしたいなと思った彼らの素敵だと思った部分なので、お伝えできないのは残念ですが、とてもデリケートなお立場なのだとも知りました。
 消えた部分も含めて、みなさんとても素敵でした。
 そんな訳で私としては、文章の辻褄が合っているのか不明だというかつてない不安がありますが、文字量のバランスの悪さなどはそういう理由なので、ご理解いただけますと幸いです。


 本題です。役者さんたちのこと。
 普通に、特撮も2.5次元舞台も観る私です。
 キャスティングの決定権は私にはなかったですが、意見は求められたし、四人とも決まる前からなんとなくは知っていました。観ていた舞台に出ていらしたこともあります。
 二十五歳前後、俳優、そして人気商売でもある彼らの気持ちは、正直私にはまるで想像できません。全くわかりません。終演した今も、わかりません。彼らはもう次の道を走っていることしかわかりません。
 ただ、ダブルキャストと決まったとき、四人を絶対に比べたりしないとそれだけは決めました。特に同じ役を演じる二人を、比べないと決めました。
 それぞれのいいところを受け止めたいと、決めました。
 なんていうか、私彼らの親御さんの方が年齢が近いですから、うちの子感みたいなのを感じてかわいいと思ったりするのかな? とか思ったりもしました。そういうの自分が感じたらちょっとやだなと、惑ったりしていました。中途半端に知ってるから、余計に。変なひいき目が生まれたらいやだなと。普段の私は、日常的に若手俳優さんの舞台を観て、楽しくしてますから。
 彼らは役者ですが、多くの人に好かれることもお仕事の中に含まれるかと思います。ましてや作者である私に、好意的に接してくださるのは、大前提でもあるはずです。もちろん心があると感じたら、それは素直にありがたく受け取りますが。
 しかしそもそもそれが彼らの仕事なのに、その仕事に惑わされてかわいいと思ってしまったら、自分がやだなと思いつつも、正直そうならない自信はあまりありませんでした。みなさん素敵な青年です。普段は身近にお会いする機会もありません。それだけ私は、彼らの魅力を恐れていた訳です。
 全くの馬鹿馬鹿しい、杞憂でした。
 私が想像していたよりはるかに、彼らはプロであり、そして強かったです。
 彼らは、私のそういうよくわからない自分への不安のようなものを、彼ら自身の力で完全に超えて来ました。
 ただの表現者として、一人一人、全く違うところで尊敬させられました。
 対等な立場にいることを、教えられました。
 今回この現場の中にいて、今までにない感情を一つ得たのは、私は紛れもなく大人であるということです。別にそんなこと全然知りたくなかった。
 もし、私が若く才能ある彼らに何か一つでも分けられることがあるのならば、成長への力になれるためのことのみだとも、思いました。その他のことは彼らには、私からは全く必要ないです。
 とにかく嘘をつかずに、誠実に本当のことを言う。
 私にできるのは、それだけだと思いました。
 彼らはとても強いし、望まなかった言葉でもきっと力に変えてくれる方々だと、信じられました。
 感謝はあるけど、変な情はだから、逆に今もないです。四人ともに。素晴らしい、そして私からはとても遠い役者さんです。
 終演後直接役者さんに感想を伝えられるという特殊な環境でしたが、必要がない限り楽屋には近づきませんでした。
 企画さんに男子校の先生になったと思ってくださいと言われて、彼ら普通に裸で歩き回るけどそういう生き物なので慣れてくださいと言われたものの、特に慣れることもないのであまり訪ねませんでした。
 そして終演後の彼らはとても清々しくはしゃいでいたりするので、私は私で余韻を持ったまま劇場を出たいという複雑さもあり、毎回は顔を出しませんでした。
 とにかく情報解禁から初日まで、21日という異常事態です。
 過酷だったと思います。ありがたいです。
 過酷なのは、脚本が本当に過酷でそれも見ていて申し訳なくも思いました。
 私の全く口語体でない言葉が、とても読みにくいと今回改めて思い知りました。知っても特に変える気はないんですが、かなり実感はさせられました。
 声優さん達とお仕事させていただいていたときは、年齢が私より上の方も多かったのもあってか、
「あんたの代わりにあたしがあんたの仕事してやろうか! 噛んで噛んで噛みまくりやがって! 脚本にわざと早口言葉入れてやったらごまかしやがったわね!」
「俺がおまえの代わりに脚本書いてやる! 句読点がやたら少ない超長文で読みにくいったらありゃしねー倒置法ばかりの脚本をな!」
 と、年末の疲れからか真っ直ぐ本当のことを言われて大喧嘩することもできました。「あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します」から一部抜粋。
 この登場人物はキャラ立っているので極端ですが(とてもいい方なんですよ……)、他の声優さんにも、
「あのさ……人間はさ、実はあんまり『あ、あの』とか言わないんだよ……母音を重ねるのやめろよ……」
 とか言われたりして、それはとても勉強になりました。
 だから、よく知ってたんですが、そもそも私の書く台詞がとても租借しにくいということは。
 この声優さん達が言ったことは本当で、それを更にリーディングドラマとして80分ノンストップ二人きりで演じなければならない過酷さには、人間のしていい範疇なのかというレベルで申し訳なく思いました。そら十二年間上演されなかった筈だとも、思いました。
 今回知ったのは、生きてる人間は、80分これだけのこと言わされたら、普通に噛むということでした。生きてる証だくらいの勢いです。
 彼らが多分ですがそのことに苦しんでいたので、本当に悪かったと思いました。
 こういう罪悪感を持たれるのも彼らは不本意かもしれませんが、いっそ声優さん達みたいにはっきりと私を叱ってくれたらとも思うけど、いかんせん彼らは私の子どもでもおかしくないような年齢です。言えるわけないよね……。
 たまたま四人のうちの一人と、少し長く話す時間がありました。
 とても真面目だし真摯だし実力もあるし、彼はネガティヴではないと思うのですが、相手のペアを正視できない、追いつけていないというようなことを彼は繰り返していて。
 誰一人、誰にも、何にも、劣ることはなかったのは本当です。少なくとも私はそう思っています。
 ただ、演じた人、観た人、その全員の中にある正解が全て正解であったように、原作者である私の持っている正解と、自分の出した正解が違うかもしれないことに、彼は不安を感じているとも知りました。
 全く言うつもりはなかったのですが、これが毎日全力を尽くしてくれたプロの表現者である彼らへの私なりの誠意だと思い、最後にはそれぞれに伝えることにしました。
 これは彼らだけが、知っていることです。
 一方のペアは、私の想像に近いものを出してくれました。それはやはりとても嬉しいことで、ありがとうと、お礼を言いました。物語を書くときに、私にはそこに何かしら伝えたいメッセージがあります。今回に限らずです。彼らは私が伝えたかったことを、多分たくさんの方に伝えてくれたと思い、本当に感謝しました。
 一方のペアには、全て終わってから、どうか真っ直ぐ聞いてくださいとお願いして、私なりに言葉を尽くしました。正直想像もしなかったものが出て来たけど、この物語と、それを演じる役者さんの私は知らなかった可能性と力を、お二人には教わりましたと、お礼を言いました。そんなことができる力があるお二人が凄いと思いました。
 本当にどちらにも感謝なので、私の気持ちがそのまま伝わっていることを、願います。

 正直、今も彼らのことが全くわからないし、若者達のプライドの置きどころも私には理解するのは無理なので、私の感謝や敬意がもし万が一彼らやファンの方を傷つけることがあったらと、それはとても不安です。
 けれど敬意を込めて正直に、なるべくライトに、一人一人に触れたいです。それぞれのいいところに触れたいので、どちらかの何処かを上げたからといって、それが同じ役のもう一人のそこを落とす意味ではないことだけ、よくよくご理解ください。
 クレジット順です。


「松島庄汰さん」
 舞台以外で彼の声を、聞いた記憶がありません。
 ご挨拶するときいつも隣に松田さんがいらっしゃって、松田さんがハキハキ話して、
「な! 庄汰!」
 と、松島さんの足を叩いて、松島さんが頷くという光景ばかりを見ていた気がします。
 ファンの方はよくご存じだと思うのですが、一番スケジュールが過酷だったのは彼でした。
 ドラマの撮影の合間を縫ってのことと聞いたとき、正直私は、そんな無理をさせたら悪いなと思いました。すみません、実はたまたま私は「仮面ライダードライブ」をちゃんと観られていないのもあって、松島さんのことを一番知らなかったのです。
 そんなにお忙しいのにお体大丈夫なのかなとか、彼をまるで知らないので心配しました。
 結果、私は今、松島さんにだけは土下座して謝りたい気持ちでいます。
 本当に大変なスケジュールなのに、毎回、本当に全力でした。二年ぶりの舞台出演だと伺いましたが、不安だっただろうに、心を折ることなく頑張り通してくれました。
 笑いどころの湧かせ方も本当に上手くて、楽屋での暗すぎる彼が嘘のようで、本人との落差がすごかったです。
 舞台の上では堂々としているのに、楽屋で見かける彼は何かいつも心細そうで。
 私はよく知らなかったのですが、本番の前に通し稽古をしていたそうです。死んでしまうよ。
 もしも最後まで彼が不安なままだったら申し訳ないですが、最後の最後にお礼を伝えたときには、やっと目を見てくれたような気がしました。
 松島さん自身にも、やりきった気持ちがあったなら嬉しいです。
 私には彼はやりきったように見えました。
 彼の朝彦は本当にかわいそうでかわいそうで、何度も泣かされました。これは友人達も言っていたことなのですが、普通さが良かったです。特別な人ではない。だから、こういうことになったという、説得力がありました。
 もしかしたら彼が一番文字数が少なくて、それがファンの方を不安にさせたらと思うと心配ですが、すみません彼は私には舞台の上でしか生きていなかったので、それ以外のエピソードがないんです。ゼロです。
 そのぐらい、力を尽くして生きてくださいました。
 心からお疲れ様と、ありがとうを言わせてください。


「松田凌さん」
 とにかくすごい情熱だなと、思いました。お芝居への情熱が常に溢れ出ていて、「あちっ」みたいな感じでした。
 これは良かったのか悪かったのかわからないというか、それが結果通ってしまったのか私は知らないのですが、意見を求められたときに写真だけ見て松田さんは夜彦なのではと企画さんに言いました。
 ファンの方々には、こちらのペアは逆のイメージだったみたいですね。
 すごいなと思ったのは、彼は多分とても美しい顔をしているんだと思います。写真を見ても思ったし、ご挨拶したときも思いました。
 でも舞台の上というか、夜彦になると、その美貌邪魔だと思うのか消すんですよね。
「あれ? こんなにくすんでた?」
 舞台の上の彼を観たときにちょっと驚きましたが、敢えてなんだなと、それがそら恐ろしいと思いました。
 舞台を降りると、明るいしポジティブだし、前のめりなぐらい前向きだし。
 役者さんには当たり前のことかもしれませんが、違う人物になれるんだなと、びっくりさせられました。
 ゲネプロであんまり叫ぶので、
「最後まで喉を労ってください」
 と、お願いしましたが、余計な心配でした。
 毎回全力で叫んでいました。
 彼の夜彦がトラウマになった方も、いたと思います。私は叫びが耳から離れなくて困ったよ。
 彼を見ていて思ったことは、とにかくたくさんの方が彼をとても愛しているということでした。
 事務所の社長さんがゲネプロに来てくださって、実は物語の中で話に出てくる80年代アイドルを、実際に担当していた方でした。
 企画さんはそれを黙っていて、私に紹介しました。
「彼女の担当だったんですよ」
 そう言われて、私は思いも寄らぬ事態に声も出ませんでした。ちょっと失礼な描き方をしているんです。
 しかし、とても柔和に笑ってくださって、
「当時のことを正確に描いてくださって、ありがたかったです。いい本でした」
 そう私に過分な言葉をくださる、とても素敵な方でした。
 きっとお忙しいのだろうに、松田さんのためにゲネプロにいらっしゃったのだと驚きました。
 これは今回出会った方々を見ていて総じて思ったことですが、誰かに愛されるということ、信頼されるということはその人の財産になるだけでなく、とても大事な身分証明書になるということを知りました。
 私が企画さんを完全に信じた瞬間は、こいでさんの肩を掴んで彼女が、
「私のとても大切な人なの」
 と、どなたかに紹介した瞬間でした。私の大切な友人をそう語る彼女を、なら私も心から信じようと思いました。私と企画さんには、こいでさんにおいて共通認識がある。それは大きなことです。
 松田さんは、そういう大きな身分証明書をたくさん持っている方でした。
 本当に、ありがとうございました。


「桑野晃輔さん」
 ものすごい安定感です。なんの不安も感じさせない方です。桑野さん自身が持ってらっしゃるあたたかい雰囲気が、観ている方を安心させたこともあったかと思います。
 でもその安定感は、彼のあまりにも真面目で前向きな努力の上に成り立っていることを、知る場面もありました。
 前述しましたが、正直私が書いた台詞を一度も噛まないのは、人間には無理だと思います。
 そのことに一番真面目に苦しんでいたのは、彼なのではと見ていて思いました。二公演目のときに、多分それが辛かったのかなとは私にも伝わって。
 でももう始まったらあれこれ言いたくないので、たまに明らかにイントネーションが違うのを企画さんに言うくらいで口を出したくなかったのですが、彼の真面目さがあまりにも痛くて。
 私の領域ではないので、中屋敷さんにお伝えして中屋敷さんがいいと思ったら桑野さんに伝えていただこうと思ったら、企画さんがすっ飛んで来たんです。私が中屋敷さんに話があるなんてよっぽどだと彼女は慌ていて申し訳なかったんですが、そうじゃなくて中屋敷さんが良ければ桑野さんに伝えて欲しいことがあると申しましたら、いきなり桑野さんの前に連れて行かれました。
 人間て、こんなに小さくなれるんだと驚くほど、彼は落ち込んでいました。
 超要約すると、生きてる人間は噛むものだから、それは問題じゃないので恐れないでください。
 噛んでいいよと、私は言ったんです。
 私が怒ったりしたらどうするつもりだったのと、後で企画さんを責めましたら、
「あたし、勝負強いから!」
 と、笑ってました。やめてよそういう一か八かみたいなの!
 そしたら夜公演、彼は全くそんな言葉に甘えることなく、そこを越えて堂々と演じてくださいました。
 17歳と30歳の演じ分けにも、驚かされました。30歳を演じているときは、瞬時に疲れた高校教師に変化する。声から肩の落ち方から変わって、なんの惑いもなく時間の変化が伝わりました。
 本当に、ずっとかっこよかったです。若手俳優にノー興味の私の友人が桑野さんにメロメロになっていて、突き落としてしまったと思いました。でもこれから先も桑野さんのお芝居を観ることは友人にも財産になると思うので、何も罪悪感はないです。
 本当に、ありがとうございました。
 

「法月康平さん」
 桑野さんが苦しんだ理由の一つだと私は勝手に思っているのですが、彼だけ、ゲネプロから千秋楽まで、私の認識が確かならただの一度も噛みませんでした。恐ろしいです。桑野さんはそれは自分だけが噛んでいると思い込むと、思いました。
 法月さん自身は、
「すごいね全然噛まないね」
 と、言えば、
「言われたことやってるだけっス」
 みたいな感じです。
 闇落ちするときに突然目から光が消えるところとか、どうしてるのすごいねと何度か言いましたが、打っても打っても響かない。無自覚。美しい天才でした。
 私はミュージカルが好きなので、彼のお芝居はいくつか観ていて、決まったときは、
「ストレートプレイもなさるんだ」
 と、思ったりしました。
 すみません。四人とも同じ熱量同じ文字数で語りたいんですけど、私は彼に関してはちょっと長くなるかもしれないので、言いたいことがあるから読む方もそこは堪えてやってください。
 別に思い入れとかじゃないんです。別にこれツンデレじゃないです。私のエッセイストとしての血が騒いで、その件を語らずにはいられないんです(と、前置きしていますがだいたい削除になりました。残念)。
 ゲネプロ前に直接会った唯一の役者さんが、法月さんでした。
 たまたま打ち合わせのときに彼が「仮面ティーチャー」に出演していて、それを観ました。関係者席が遠く出演者の人数も多くて、大変申し訳ない理由なんですが、私はこのとき集中して法月さんを観ることができませんでした。
「どうでした?」
 終演後、企画さんに法月さんをどう思ったか聞かれたと思うんですが、
「ごめんなさい……なんかこの話、私が知ってる話と全然違うのでそれが気になって気になって。え? 法月さん? あ、ごめんなさい生徒役もいっぱいいたし」
「何が違うんですか?」
「いつパンツ被るのかなって、ずっとそれが気になってたんですけど。最後まで主人公パンツ被らなかったから驚いて」
「菅野さん、それ、変態仮面ですね」
「え? あれ? なんだっけこれ」
「仮面ティーチャーですよ」
「覆面もしないし」
「それけっこう仮面ですね」
 わざわざ連れて来た企画さん、かなり切れてました。
 すみませんそんな訳で、観てると普通に話を追ってしまう私は、ずっとパンツ待ちで法月さんに集中できていなかった。
 たまたま「仮面ティーチャー」を存じ上げなかったことは、本当に申し訳ないです。舞台自体は楽しい作品でした。
 楽屋で法月さんを紹介されました。
 正直に言いますと、今回最も不安にさせられたのが、間違いなくそのときでした。
 限りなくキョトンとしているように見えて、いやいやいやいや大丈夫なのこの子!
 と、私を恐怖のどん底に突き落としてくれたのが、彼でした。
 翌日、松田さんと桑野さんが出演している「黒いハンカチーフ」を楽しく観ましたが、彼らには会わずに帰りました。もうこれ以上不安になりたくないととっとと帰りました。
 むしろ松田さんと桑野さんにお会いしておけば、こんなに不安にはならなかったのにと今は思います。お二人はこの楽屋で、どちらの役をやりたいかという話をしていてくださったそうなので。
 後から聞いたら、法月さんは本番中なので、次回作を全く知らなかったそうです。
 観た方はよくわかると思うのですが、法月さんはとても美しい儚い夜彦でした。
 私は台詞が全部頭に入っているので(いやな原作者だと思います……だけど十二年も手元にあったんだからしょうがない)、彼が語尾の一つも何も言い換えないことにはただ感動しました。何一つ言い換えませんでした。
 最後にテキストをお渡ししたときに、いくらなんでもこれは現代口語じゃなさ過ぎる書き換えるべきだと最後の最後まで悩んで、でも私には意味と思い入れがあるので変えたくなくて、そのまま委ねてどうなるのだろうと思っていた語尾も、彼は自然にきれいに落としました。そんな風に聞けるとは夢にも思わなかったので、驚いた。そのことには本当に感謝しています。
 観た友人達に、
「あの子大好きでしょ? 自分で選んだんでしょ?」
 と、聞かれるたびに、
「違う! 絶対違う!!」
 と、全力否定し続けました。
 楽屋での彼はまるで夜彦とは別人だし、お願い待って、余韻くださいとも思いました。
 私が客席で普通に泣いていたことは気づいた人は気づいたと思うのですが、公式にはあまりバラされたくなかったのに、彼にはクロストーク等でうっかりバラされて、千秋楽が終わったらバラバラにしてやりたいと思うくらい恥ずかしかったこともありますが、限りなく大きな未来のある方だし私もまだまだ彼の芝居が観たいので、そこは堪えます。
 毎日友人に全力否定し続けましたが、すみません今は役者さんとして大好きです。
 本当に、ありがとうございました。


 彼らが今後舞台に立つときに、普通にプレイガイドでチケットを自分で買って観に行きます。
 それが私の彼らへの感謝であり、私なりの最大の敬意です。彼らの仕事に、対価を払う一観客になります。
 松島庄汰さん、松田凌さん、桑野晃輔さん、法月康平さん、本当にありがとうございました。
 お疲れ様でした。
  1. 2015/11/07(土) 02:00:00|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/関俊彦さんのこと

 私の職業柄、声優さんのことを語るのには、とても慎重になります。
 「あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します」に登場する声優さんは、ああいう方なのをファンの方がよく知っているので、あんなことも書かせていただける特別な方です。
 それは今回の役者さん達ももちろんそうですが、声優さんのファンの方の愛はとても深いので、その愛情のイメージの邪魔をしてしまうのはあってはならないことだと思っています。私は漫画やアニメの世界の近くに居ますからなおのこと、それぞれお好きなキャラクターのイメージを壊すのも怖くて、慎重になるあまり気軽にお名前も口に出せないこともありました。
 今回、関俊彦さんに観ていただいたことを、関さんに了解をいただいてツイートしました。そこが私には、大きな終わりであり始まりだったので、言いたかったのは私一人のわがままです。
 どれだけ関さんが素晴らしい方なのか、私が知る範囲のことですが知っていただけたらという気持ちもありますので、もし良かったらおつきあいください。
 朝彦は関さんだったと言ったことへの説明も含めて、語ります。
 十二年前関さんには、私が書いた脚本で声のドラマを演じていただいて、そのとき、舞台に呼んでくださいました。
 関さんの声は充分素晴らしいですが、やはり、全身を生き生きとさせる舞台の上の関さんにも、役者さんとしてとても魅了されました。
 当時、関さんにはたくさん勉強させていただいたと思います。
 私が絶対に顔文字を使わないのは、関さんが「言葉を大切にしている証だね」と、言ってくださったことが大きいです。だから今でも決して使いません。
 関さんに演じていただく前提で、朝彦は書きました。
 アテ書きと言いましたが、関さんが朝彦的な人物という意味ではなく、関さんが演じるところを想像しながら書いたという意味です。
 書き上げた、本に掲載されているものと多分ほぼ同じ戯曲を、関さんにお渡ししました。
 まず、叱られました。
 褒めてはくださいませんでした。
 私はやはり小説が本業なので、どうしても自分のイメージ通りの表情、動きがあって、それを全部戯曲には細かく書き込んであります。
「こんなに自由度の低い戯曲では、何も演じることができない」
 最初にいただいたのは、そんなお言葉だったと思います。
 関さんはそれだけ真摯に、この本と向き合ってくださったんです。
「二週間公演したら死ぬけど、死ぬ気でやるよ」
 そう、言ってくださいました。
 その後そのときの話はなくなって、その経緯は最初の日記に書きました。
 関さんは一年のスケジュールを入れるときに、
「上演できそうなら、空けるよ」
 と、メールをくださることもありました。
 今回の上演が怒濤のように決まったとき、度々、関さんのことを考えました。
 まず、私にとってはとても不義理なことだし、でもこのまま何も言わないのもと、何度も考えてなかなか結論が出ませんでした。
 そして、私が知る限り関さんは嘘を吐かない方です。おためごかしを聞いたことが、多分私はないです。私の本をご自分で買ってくださって、熱心に読んで様々感想をくださったときもそうでした。この戯曲だって、最初は叱られましたから。
 だから、観ていただくのが怖かった。
 ツイートしましたが、朝彦の声が無駄にいいのは、関さんありきで書いています。白楽天の詩を読むのは、私が関さんの声で聞きたかったからという部分も大きくありました。
 今回の二人の朝彦には本当に申し訳ないのですが、私が役者さんの力量をわからずに、
「この設定直しましょうか?」
 と、企画さんに言いました。
「大丈夫です。彼らはちゃんとやってくれますよ」
 そう言われて、結果、彼らは充分やってくださいました。
 散々迷って、でも、胸を張って彼らを関さんに誇れるとも思い、ご連絡しました。
 私は長々と、不義理をお詫びするメールを書きましたが、関さんからはとても明るく祝福してくださるメールがすぐに返ってきました。
 結局何も力になれなくてごめんなさいと、書いてありました。関さんのお仕事は、役を演じることです。それ以外の何かを、一切関さんが負う必要はないしそんなことは絶対にさせられません。
 そのメールには、私もすっかり忘れていたことが書いてありました。
「二次選考まで残ったときは、嬉しかったなあ」
 もういよいよどうにもならなくなったときに、私は戯曲の新人賞を探して投稿しました。そのとき確かに、二次選考まで残ったんです。
 私の方は忘れてしまっていて、関さんはずっと覚えていてくださった。
 本当にお忙しい方なので、無理にお時間を作って来てくださいました。どちらのペアかは私が決めたのではなく、関さんが空いているお時間がそこしかなかったので、そちらのペアを観ていただきました。
 きっと喜んでくださると思いながらも、終演後は関さんに会うまで不安ではいました。
 会うなり関さんは朗らかに、
「素晴らしいね、彼ら! おめでとう、本当に良かったなあ」
 そう言ってくださいました。
 その言葉を聞いた途端私は堪えられなくなって、関さんには本当に申し訳なかったのですが、我慢できずに人目もあるのに泣いてしまい、大変困らせたと思います。このことは本当の申し訳なかったです。
 もうほとんどお時間がなかったのですが、楽屋で役者さん達と、中屋敷さんに会っていただきました。
「素晴らしい役者さん達だね」
 そう言って関さんから、彼らに握手を求めてくださいました。
 こんなことを言って、ごめんなさい。二人の朝彦には本当に申し訳ないことだけれど、私はとうとう関さんの白楽天を聞くことができなかった。
 もしかしたら関さんは、お願いしたら機会があれば読んでくださるかもしれません。
 それはでも、私の一つの心残りとして、置いておこうと思います。
 素晴らしい若い才能達と仕事をしているんだねと、笑ってくださいました。
 ここまで書いて、関さんには関さんのお立場があると思い、チェックをお願いしようと思ったら、見ないからそのまま公開してくださいとのお返事がありました。
 関さんはずっと自責の念で過ごされていて、もし私が関さんのことを少しでも良く書いていたら、全部駄目だと言ってしまうから見ないと言われました。長く、謝罪の言葉が書かれていました。
 元のタイトルがきちんと綴られていて、それを最高の形で見せてくださった、中屋敷さん、役者さん、スタッフさんたち全てへの、感謝の言葉も長く綴られていました。
 そんな、関俊彦さんのことでした。
  1. 2015/11/07(土) 01:47:52|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/客席のみなさまへ

 諸々不安の塊だった私ですが、一つ土下座したいことがあります。
 観客に、私は怯えていました。
 役者さんがお若いのもあり、役者さん自身がわからない言葉を調べて意味を自分のものにしてくださる苦労を感じたので(それぞれブログなどでおっしゃっていますが、初日にはみなさん自分のものにしてくださっていたと思っています)、なら初見のお客さんには全く訳がわからないのではという不安に苛まれました。
 だからゲネプロではもう充分だと思ったものの、やはりお客様が入ったら、なんだこれなんのこっちゃと思われたらどうしようと思いました。
 全員が満足するお芝居なんてないです。
 だから今回も、みなさんがとは思いません。
 でも、笑いどころでちゃんと笑ってくださって、泣いたり、いろんなことを感じてくださるみなさまを目の当たりにして、ありがたくもあり、疑ったことを本当に申し訳なく思いました。
 それはもちろん、中屋敷さんと役者さん達が全力で伝えてくださったからだけれど、いろんなものを持ち帰っていただけて、この空間の一助になれたことがとても嬉しかったです。
 皆まで言えば、あれだけ彼らが全力を尽くしてくれたのだから、もしわからなかったりつまらなかった方がいらっしゃったら、それは全く以て私の本のみの責任です。
 そういう気持ちだったからこそ、一人一人にありがとうと言いたい時間でした。
 ご来場、ありがとうございました。
  1. 2015/11/06(金) 23:23:21|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/演出家中屋敷法仁

 リーディングと聞いて私がそれでも結局お断りしなかったのは、間違いなく中屋敷法仁さんが演出なさることが、最初からはっきりしていたからです。
 中屋敷さんのお芝居は元々観ていて、お話が出た後も観て、この方なら全部お任せしたいと思いました。
 打ち合わせをしたのは、一度きりです。
 私は企画さんの隣で、中屋敷さんに尋ねられたことにほぼ全て、
「お任せします」
 と、繰り返しただけです。
 そのときは、わざわざ一つ一つ言質を取ってくださっていることが、ありがたいと思いました。中屋敷さんの才能を知れば、全て自由にしていただいてもいいと思う作家はたくさんいると思うのですが、一つ一つ確認してくださる誠意にも、正直驚きました。
 ツイートしましたが、元々は全く違うタイトルでした。
 長すぎるし覚えやすい方がいいと企画さんに提案されて、「朝彦と夜彦1987」に変えました。時代がいつなのかを説明しなくていいので、このタイトルにして良かったと思っています。
「僕、このタイトル好きなので何処かで使ってもいいですか?」
 元のタイトルを好きだと、中屋敷さんはおっしゃってくださいました。
 嬉しかったし、冒頭に入るのだろうと安易に考えて、快諾しました。
 ゲネプロを観たときには、完全に忘れた頃にそのタイトルが絶妙すぎるところに入っていて、それは嬉しいだけではなく、全てを生かすタイミングだったので震えました。
 公演中も、ずっと物語の答えを探し続けてくださっていました。
 熱量のある役者さん達が集まってくださって、あれだけ毎日全力を尽くしてくださったのも、完全に中屋敷さんありきです。
 文字を書いたのは私かもしれませんが、無責任な意味ではなく、私はこの作品は中屋敷さんのものだと思っています。
 私は思ったことはなるべく伝えたい人間なので、ゲネプロから中屋敷さんに言いたいことがあったのですが、それをお伝えするのはとても大変でした。
 私は今回の上演が土石流のような勢いで転がり出したときに、一瞬、不遜なことを考えたときがありました。
 十二年前とは、若手の方の演劇を取り巻く環境が、多分まるで違います。もしかしたら五年くらい前に、動かそうとしてみたら動いたのかもしれない。あまりにも勢いよく動いていくので、少しだけそんなことを思ったりしました。
 これは関わってくださった全てのみなさんに、もちろん言えることなのですが。
 ゲネプロを観て、私は十二年間、今現在の演出家中屋敷法仁をずっと待っていたんだと思えました。
 ちょっと長かったよ。かなり待ったよ。
 パンフレットのコメントを書いたときにもうその気持ちはあったのですが、ゲネプロを観て、干支ひとまわり待たされたのも仕方ないと完全に納得しました。
 十二年前、多分中屋敷さんは大学生です。
 私今のこの人を、今の今まで、ずっと待って待って待ち疲れたけど、それでも待ってたんだと思いました。
 これを最後まで伝えるのが、とても大変でした。
 企画さんが走っていたと書いたのは比喩ですが、中屋敷さんはいつもリアルに走っています。落ち着きもなく、目も合わせてくれません。
「最後まで聞いてください」
 何度もお願いしてやっと、私がどれだけ今現在の中屋敷さんを待っていたかをなんとか伝えましたが、中屋敷さん自身が何を思っているのか私は永遠にわからないと思います。
 天才ってこういうものなんだろうなと、理由もなく走って帰って行く中屋敷さんを見送りました。
  1. 2015/11/06(金) 03:10:20|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/制作のみなさん

「このチーム組めたの、奇跡だから」
 企画さんは、本当のことしか言わない人だったと思います。
 誰が何をしてくださっているのか、私が把握できたのは最後の最後です。
 私はど素人ですが、観客として芝居をたくさん観ています。
 音響さん照明さんがどれだけすごいのかは、観客として一目で理解しました。
 全てを総括している舞台監督さんには、ラスボスみたいな感じで最後の最後にお会いしました。
 パンフレットにみなさんお名前が載っているので、そのまま挙げさせていただきます。
 舞台監督さんは、川除学さんです。
「リーディングと言われてどう思われましたか?」
 そう尋ねられました。
 そのときにお答えしましたが、戯曲を読んだ方にはわかると思うのですが、私が書いた本にはセットから小道具から照明から小物から、何から何まで指定が書き込んであります。
「正直、お断りしようかと思いました」
 ここまで書き込んで十二年も経ったんだから、今更リーディングにするのはと、このお話をいただいたときには思いました。
 この辺は、企画さんの熱意とパワーに流された感があります。時間の行き来とか、セットなしでどうなるのかさっぱりわからないまま、説得されました。
 今は本当に、あのとき断らなくて本当に良かったと、思っています。観たら、リーディングでなければこの世界観は不可能だったと、はっきりと思えました。
「全て削ぎ落とした方が本が生きると思いました。せめて窓をという話も出ましたが、僕は椅子一つあればいいと思いました」
 なんというか、言葉が出なかったです。
 全く私の想像を超えたものに舞台はなっていて、言葉はそのままなのに、間違いなく想定していたセットや小道具が邪魔だったとわかりました。
 静まりかえった劇場の中で、役者さんたちの紙を捲る音、そのタイミングまで私には完璧だった。
 どれだけお礼を言ってもきりがないのにろくに言葉も出ないまま、舞台監督さんとはあまりお話しできませんでした。
 千秋楽終演後すぐに撤収作業を始められたとてもお忙しい川除さんを掴まえて、やはりろくに言葉もないまま、頭を下げました。
 すみませんお一人お一人どれだけ素晴らしかったか書きたいのですが、それは劇場で観てくださった方には一目瞭然だったと思うので野暮かと思い、この辺にします。
 音響の山本能久さん、音響操作の吉田可奈さん、照明の松本大介さん、照明操作の和田東史子さん、衣装さんメイクさん(パンフレットにお名前がない気がするので書きませんが、素敵なお二人でした)、みなさん素晴らしかったです。
 制作の藤井良一さんと制作進行の丸山立さんは、とても頼もしかったです。
 私を一番最初に安心させてくださったのは、カメラマンの宮坂浩見さんだったかもしれません。
 イメージ写真が上がってきたときに、そこで一度、安心というか、きっと大丈夫だと思えました。
 最後に聞いたのですが、宮坂さんは戯曲を読んで、朝彦の写真は夜彦が見ているように、夜彦の写真は朝彦が見ているように、撮ってくださったそうです。
 そのイメージは四人の役者さんともに私にはぴったりで、それはもう、そこで一度落ち着いた次第です。
 なんて素晴らしいプロの方々にお任せできたのだろうと、ただ、全てが驚きでした。
 みなさんには申し上げましたが、私の都合でご招待を掛けさせていただいた何人かが、
「この世界を構築したみなさんに対価を払いたいので、払わせてください」
 と、私にチケット代を預けて帰りました。
 そんな仕事をしてくださった、みなさんでした。
  1. 2015/11/06(金) 01:38:54|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/スタッフさん

 半信半疑がたたって、最初は後半だけ観ようとしていました。
 なんか怖かったんです。始終この物語ことを考えていたわけではないけれど、ずっと自分の中にだけあった物語が、どんな風に紡がれるのかを観るのが多分、怖くて。
 でも十二年も待ったのに初日も観ないの? と、逡巡の末思い直して、結局ゲネプロから千秋楽まで、ずっと観ていました。
 様々大きかった私の不安を(度々申し上げますが、私多分基本はそんな人間じゃないと思うんですよ……)、最初に簡単に溶かしてくださったのは、劇場にいたスタッフさん達でした。
 劇場にいらしたみなさんが触れ合った、そのスタッフさん達です。
 受付や物販、客席の案内をしてくださっていたみなさんです。
 丁寧だし、とてもお芝居が好きで動いているのが、感じられました。
 最初に釘を刺されていたのですが、みなさんとても作者を尊重してくださるから逆に気をつけるように言われていたのに、度々気を遣わせてしまいました。
 私の関係者の数が異常だと(みんなチケット代払って入ってくれたよ)企画さんに言われましたが、それは私は劇場で毎日感じていたことで、少しスタッフさんに申し訳ない気持ちもありました。でもそれも負い目に思わずに済んだのは、スタッフさんの気負いのなさと、友人達の気遣いでした。
 受付をしてくださったのは、たまたま私と同郷の方でした。
「あの、私も会津なんです」
 そう話しかけてくださって、嬉しくて色々お話をしました。
 最後には嬉しい誤算で、当日券の抽選販売になりました。
 本当にごめんなさい。入っていただけなかった方が、何人かいらっしゃいました。
 それが私は気になって、
「みなさん入れましたか?」
 と、受付の方に毎日訊いていました。
「今日は何人かの方が、入れませんでした。座布団敷いて通路に座っていただけないかと劇場と交渉したんですが、それは無理で」
 そんな風に、観たい方が一人でも入っていただけるように、スタッフさん達は必死でした。当たり前です。みなさんお芝居が大好きだから、観たい方の気持ちがきっと痛いほどよくわかるんだと思います。
「ごめんね、入れない方の気持ち受け取るの辛いよね」
 受付の子に、謝りました。
「大丈夫です」
 笑ってくれた彼女の顔は強くて、でも千秋楽はやっぱり少し辛そうに私には見えました。私にはです。彼女はずっと力強い笑顔でした。
 最後に、伝えられる限りの方に私の気持ちを伝えたいと思って、言葉足らずですがお伝えしました。
「ゲネプロまで私は、もしかしたら不安しかありませんでした」
 申し訳ないと思いながらも、打ち明けました。
「みなさんにはお芝居を打つことが日常でも、私にはとても長く眠らせていた戯曲の、初めての上演で。劇場に入って、それが日常の方と自分との温度差を感じたら辛いだろうななんて、そんなことまで考えていました」
 正直このときは、土下座したいような気持ちでした。
「愛情を持って、丁寧に一つ一つ考えてくださって、全くそんな思いをすることは一度もありませんでした。本当にごめんなさい。ありがとう」
 頭を下げたところで、企画さんがエレベーターを降りてきました。
「この子たちにごはん食べさせたいんだけど、残れます?」
 なんか今生の別れぐらいの勢いで頭を下げたところだったので、私はとても恥ずかしかったですよ。
 とても頼もしかったスタッフさんたちと最後にごはんを食べて、みんなが次の現場に向かうのを感じて、気持ち良く赤坂見附を離れられました。
 何をするにしても、私も明日からまたがんばろうと思えました。
 私は真面目に喋ると、友人達には政治家の答弁みたいだと罵られます。
 劇場では、企画さんが私が何か言う度に、
「また校長室になってる」
 と、笑っていました。
 何がいけないんだろうか……私思ってないこと言わないからね!
 私の感謝の気持ちが、どうかみなさんに真っ直ぐ伝わっていますように。 
  1. 2015/11/06(金) 01:19:07|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/企画さん

 一言で言うと、私の目には彼女が全てを動かしてくれたように見えました。
 しかし、何しろ私は不信感の塊なので(一応私を知らない方に申し上げますが、私がこんなにも不信感を持ったのはこの戯曲の件だけです)、私が彼女を信じようとしたのは、彼女が私が信じているこいでさんと信頼関係にある、ただそこから始まりました。
 とにかく私が考えている速度を超えて、彼女は走り抜けたと思います。
 同時進行の仕事もあり、千秋楽の翌日はもう次の現場だと言っていました。
 パンフレットも、彼女が作ってくれました。何もかも手配してくれたのは彼女です。全てが彼女の人脈と行動力と、勝負強さに、私には見えました。
 申し訳ないのだけれど、「え? 嘘でしょ? 待って待って」と思う間もなく走っていました。
 これはたくさんの方が、本気で考えてくださっていることなんだろうか?
 それなら私も、本気で受け止めなければならないのだろうか?
 そう思えた頃には、もう情報解禁目前だった気がします。
 関わった全ての方にだけれど、私のことさえ置いてとにかく走った彼女には感謝しかありません。
 しかし、今もしっかりと彼女を私は理解できていない気がします。
 そのくらい、パワフルでドライでウエットで丁寧で雑な、人物でした。
 もうちょっとゆっくり彼女と呑みたいです。
  1. 2015/11/06(金) 01:05:37|
  2. 朝彦と夜彦1987

「朝彦と夜彦1987」を終えて/経緯等

 今回私の名前を初めて見てくださった方も、たくさんいらっしゃると思うのですが、私は舞台関係とは他業種の文筆業です。
 何故これを書いたのか、どうして十二年も放っておいたのか、今回上演に至ったのは何故か。
 公演中、何度かこれを訊かれました。
 いろんな方が巻き込まれ事故に遭うので、あまり細かいことはお答えできないかと思います。
 まず、観劇エッセイの連載も持っているくらいのなので、私はそもそもお芝居を観るのが好きです。ただの観客です。その立ち位置は今回の公演を経ても、変わらないです。劇場にいらっしゃった皆様と同じに、ただお芝居が好きです。何故好きなのかに理由はないです。そこに素敵なお芝居があるから好き。
 好きだからこそこの戯曲は、十二年前に、書けば上演できるかもというタイミングがあったので、好きというだけで書きました。子どもが画用紙に絵を描き始めるが如きの、見よう見まね、想像で書きました。一応何本かプロの方の戯曲を読んで形式を学んだつもりで、頭の中にあった観たい舞台を文字に起こしました。今回上演に当たって、いくつか直しましょうかと申し上げましたが、台詞はほぼそのまま使ってくださいました。それは私には嬉しい驚きでした。
 二週間公演したい、役者さんも決まったりしたところで、諸々あって頓挫しました。
 十二年ただ、放って置いたわけではないです。
 私は基本出版の人間ですが、プロなので書いたものは活かしたいのは当たり前の感情です。
 しかし、こんな風に書いたものがお蔵入りすることは、私には特別に珍しいことではありません。文庫一冊分の小説、少女漫画の連載の原作、ドラマCDの脚本、プロになってから書いたものの世に出ていないものがいくつもあります。その中には、それなりに駄作なので眠っているものもあると思います。
 元々のタイトルは違いますが、敢えてここからは「朝彦と夜彦1987」と呼びます。
 様々今も眠っているものもありますが、この戯曲にだけは、強く固執し続けました。
 最初の一、二年は、自力で上演に漕ぎ着けようとして、いろんな舞台関係者と会って回って、結果、すっかり消耗してしまいました。そのことを思い出すと今でも疲れるので割愛します。
 このときに、私が舞台や芸能関係の方への不信感を培ってしまったところは否めません。よく芝居を観るのが嫌いにならなかったと思います。
 何年かして、長いつきあいの担当鈴木が、せめてと戯曲を無理矢理本に載せてくれました。
 もちろん何度も、小説に直そうとはしました。私は小説家です。
 観てくださった方はよくわかると思うのですが、多分全く無理なんです。同じテーマで違う内容の小説を書こうとそちらの話を進めている矢先、戯曲が動き出しました。
 今回の上演に向けてことが動いたのは、先日の上演期間を考えると、多分皆様も驚くほど最近です。
 長年の友人である漫画家のこいでみえこさんに、きっかけがあって戯曲を読んでもらいました。
 上演しようとしたときにどんな思いをしたか詳しくは語りませんでしたが、こいでさんは同業者だし察しのいい人なので、だいたいはわかったと思います。
 そこからこいでさんは、言葉を濁しながら、時々私に諸々希望を訊いてくれるようになりました。
 よくわからないまま、ぼんやり私は訊かれたことにだけ答えていました。
 こいでさんは、多分詳しく聞かないながらも、私がこの戯曲に関してどれだけ不信感の塊なのかをよくわかっていて、きっと二度と同じ思いをさせないようにとても慎重に話を運んでくれていました。
 そしてこいでさんの長年の友人でもある、企画さんとお話ししました。彼女は会社名でお仕事をなさっているので、わかる方にはお名前もわかると思いますが、一応伏せて企画さんと呼びます。
 ゴーチ・ブラザーズさんが上演したいとおっしゃってくださること、中屋敷法仁さんが演出してくださるとのことを聞かされました。
 今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいですが、もしかしたら私は、劇場を押さえました役者さんが決まりましたと言われても、ゲネプロまで半信半疑だったかもしれません。
 だって、「朝彦と夜彦1987」は、十二年間どんなに私が押しても引いても、あまのいわとの如く、全く動かなかったのです。
 終演後の今は、夢だったのかとも思います。
 干支が一回りして、やっと朝彦と夜彦の手を放すことができた。どうしても私はこの手だけは放したかったので、今はたくさんの方に力を借りて重荷を下ろした気持ちでいます。
 一人一人にお礼を言っていたらここから三万字くらい掛かってしまう。
 ありがとうございました。  
  1. 2015/11/06(金) 00:45:45|
  2. 朝彦と夜彦1987