菅野彰

菅野彰の日記です

「つかこうへいは二度死なないで(全て敬称略)」

 私はつかこうへいがご存命中に上演されたものは、稲垣吾郎主演の「広島に原爆を落とす日」の初演と再演しか観たことがありません。演出家はつかこうへいではなく、いのうえひでのりでした。
 後は脚本を書かれた映画を観ただけです。
 つかこうへい本人が演出した舞台を観たことがない。
 そんな無知は無敵状態で、最近思うことを綴ります。
 稲垣吾郎主演の「広島に原爆を落とす日」の初演は、稲垣吾郎目当てで観に行きました。
 結果、
「何!? この話!!」
 と、怒りに震えながら席を立ちました。広島でこの作品を上演すると聞いた時には、気が知れないとさえ思いました。正直な当時の感想です。
 そんなに腹を立てたのに、気持ちが残って、再演に行きました。
 なんだかよくわからないのだけれど、号泣したし、感動したし、胸に杭を打たれたような思いがしました。
 初演と再演の違いはわかりません。
 稲垣吾郎が力を付けて、初演では伝わらなかったことが私に伝わったのか。
 もしくは私の情操が変化して、初演で受け取れなかったことが受け取れたのか。
 草なぎ剛主演の「蒲田行進曲」は、チケットが取れず行けませんでした。今でもこの作品が観られなかったことは、一生の後悔です。
 時を経て、つかこうへいが亡くなり、「飛龍伝」(岡村俊一演出)を観に行きました。
 感動しました。泣きました。これも理由は説明できません。
 そこからつか作品への思いが募り、馬場徹主演の「広島に原爆を落とす日」(岡村俊一演出)を観に行きました。
 友人四人で観て、三人が、
「正直理解できない」
 と、言い、私も同じ気持ちながら、稲垣吾郎主演のときの話をしました。初演では受け入れられず、再演では感動したけれど説明はできないと。
 その後、馬場徹主演「広島に原爆を落とす日」再演、「新・幕末純情伝」(ともに岡村俊一演出)を観ました。
 熱量は伝わってくる。訴えかけるものもある。でも私には、やはりわからない部分も多い。
 先日、川本淳市演出の「新・幕末純情伝」が上演されました。
 行きたかったのですが、都合がつかず観られませんでした。なのでこれは観ていない状態で語りますが、観に行った知人からとても怒っていると、聞きました。
 理由を聞くと、差別用語や侮蔑、意味のわからない裏切りに怒りしか湧かなかったと。
 本当に観ていない舞台なのでなんとも言えませんが、それらの言葉はつか作品の特徴でもあります。
 だとしたらそれは、稲垣吾郎を観に「広島に原爆を落とす日」を観劇した私と同じ気持ちなのかなと、思いました。受け取れない私達が愚かだとは思いません。つかこうへいの言葉をまっすぐ受け取るのは、とても難しい。
 でも、私なりに沢山のつかこうへいの言葉を浴びて、全然説明できないんだけど、つかこうへいは多分、大事なメッセージをいっぱいくれた人なんだと思うんです。
 理屈立てて語れないんだけど、なんか、人間の弱さとか、本当に駄目なこととか、本当に大切なこととか、あるなって教えてくれた人なんだと思うんです。
 だから私は、つか作品が上演されると腕を引っ張られるみたいな気持ちになる。なんでご存命のうちにご本人演出のものを観ておかなかったのかと、後悔もする。
 大事なことが、今、余計に伝わりにくくなっているのはごく当たり前のことで、なにしろ答えを持ってたご本人がいなくなってしまった。
 丁度、二月十二日から紀伊國屋ホールで、演出家をそれぞれ違えたつか作品が上演されるようです。
 私はただの観客です。
 遺作を上演し続ける方々は、もっと焦燥があるのではないかと、これは勝手な想像です。
 原稿が終わったら、どれか観に行きたいです。観客として私はあきらめがつかない。まだ受け取りたいことがある。
 そしてつかこうへいが直接演出したつか作品の映像を、もう公開してくれないだろうかと、最近思うこととはそれなのでした。ご本人の正解がたとえ映像ででもつまびらかにされれば、それを受け取った上で今存在する作り手達が、その正解を越えて行こうとすることも可能なのではないかと。
 そして私のようなもたもたしていた観客にも、本物のつかこうへいを観せてください。
 理屈づけたようだけれど、私は未見の過去作品が映像だろうがなんだろうがただ観たい。
 結局ご存命中には一作品しか観たことがないのに、今ものすごく観たい。
 この募る思いは、つかこうへいの力です。 
  1. 2015/02/09(月) 12:30:01|
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