昨日、友人二人と、お茶をしました。
一人は私と同世代。三人で朝採りのブルーベリーで作ったというタルトを注文して、美味しく頂きました。
「朝採ったって味がするね。ブルーベリーは足が早いからね」
私が呟くと同世代の友人が、
「そうそう」
と、相槌を打ちました。
十歳年下のもう一人の友人が、
「ブルーベリーは足が早いってどういうこと?」
初めてその言い回しを聞いたとのことで、尋ねてきました。
「傷みやすいということかな。鰯は足が早いとか、そんな感じ」
「ああ、鰯足早いよね」
簡潔に説明して、そこから同世代の友人と、鰯談義になりました。
脂が乗っていて身がしまっている、銀色の美味しい鰯に出会えると感動します。
そのうち私がスーパーで半額のイクラを買わなかった話になって、何故買わなかったのか問われて、
「結局半額だから、ちょっと傷んでいて」
そう言ったらすかさず年下の友人が、
「イクラは足が早かった!?」
と、言いました。
「惜しい! 使い方ちょっと違う!」
でも覚え立ての言葉をすぐさま使ってみようという、彼女の心意気を買いたい。
それにしても日本語は、なかなか難しいものです。
お茶をした後、仕事場に二人に寄って貰って、桃をふるまいました。
まず、素晴らしく美しい桃を見せて、二切れそのまま食べて貰いました。
「これからこの桃を、サラダにします」
そう言うと二人は、かなり困惑していました。
私はその完熟のとても美味しい桃を、内田真美さんの「洋風料理 私のルール」に載っているレシピをちょっとアレンジして、桃とモッツァレラチーズとマスカルポーネチーズのサラダにしました。
これ、ものすごく白ワインに合います。
人様のレシピですが、二人が美味しい悲鳴をあげてくれて私は大満足。
友人達は、
「サラダ!? やめてお母さんこんな美味しい桃をサラダになんかしないでそのまま食べさせて!! と、思ったけど目茶苦茶美味しい!」
さっきは言わなかった本音を漏らしました。
私もこのレシピ、試すときに勇気がいったけど、完熟の良い桃が手に入ったら、迷わず内田真美さんの桃のサラダに!
鰻が高くてびっくりする、丑の日でした。
追記 ご要望があったので桃のサラダの写真も載せてみましたが、おいしそうに撮れてるかちょっと自信がないの……。

- 2013/07/22(月) 13:56:14|
- 日記
-
-
中学生の時に、Yさんという同級生がいました。
親しくはありませんでした。時々ちょっと、話したことがあるくらい。小柄で色白の、かわいい女の子でした。
二年生の時に、新任のHという男性の先生が、私達女子の体育を受け持ちました。その先生は、軽い体罰をふるう先生でした。遅刻したり校則に違反したりすると、叩かれました。後に彼は私が教育実習に行った頃良い先生になっていたと思いますが、私達を受け持った時の彼は今思えば大学を卒業したばかりの二十三歳です。一言で言えば、未熟だったのだと思います。
その体罰は昨今問題になっているほど深刻なものではなかったかもしれませんが、私達はもちろんいやでした。
Yさんはそんなに活発な女の子でも、ものすごく目立つ子でも、特別な優等生でもありませんでした。
しかしある日彼女が発起人になって、「H先生の体罰について話し合う会」というものが、放課後開かれました。学年主任に彼女が申し出て、二年生を受け持つ先生が出席し、
「H先生の体罰について申し出たいことがある生徒は、会議室に来てください」
と、校内放送が流れました。
恥ずかしながら、私も叩かれたことはあったのですが忙しかった訳でもないのに行きませんでした。会議室にはそんなに沢山の生徒が行った訳ではなく、後に聞いた話によると、Yさんは、
「女性の顔に手を上げるなんて最低の行為です」
そうH先生を咎めて、H先生は号泣して謝ったとのことでした。その後、朝礼でも彼は私達全員に謝罪しました。
体罰はなくなりました。
けれどしばらくの間、愚かな私達の間で、
「女性の顔に手を上げるなんて最低の行為です」
と、いう彼女の言葉は流行りました。
Yさんは三年生の時、学年で一番成績がいいけれど何故だかとても嫌われていた、Aくんという男子と付き合い始めました。
学校の行き帰り、二人は仲良く一緒に歩いていました。
Aくんが嫌われていたのは、ただ勉強ができるから鼻持ちならないように見えるという馬鹿な理由だったような気がしますが、Yさんは幼稚な男子からそのことを酷く揶揄われても、無神経な女子から「Aくんの何処がいいの?」と揶揄われても、涼しい顔をして、変わらず彼と登下校をしていました。
私は彼女と話したのは三回くらいだったのですが、何を話したのかを今でもよく覚えています。
何かふとした弾みで、こんなに時が経っているのに、彼女のことを思い出すことがあります。
Yさんはとてもかっこいい、素敵な女の子だった。
もっと親しくなって沢山彼女と話したかったと後悔することもありますが、Yさんの友人になるには当時の私は幼かったのだと思います。多分私達はみんな未成熟で、彼女は一人でベランダで本を読んでいることが多かった。
会議室には行くべきだったと、校内放送を聞きながら放課後の教室で友達と喋っていたことも、いつからか大きな後悔になりました。
Yさんには今会ってみたい気もするけれど、思い出だけでも彼女は充分に、何か助けになってくれることがあるような、そんな気がしたりするのです。
- 2013/07/09(火) 12:20:53|
- 日記
-
-
ご要望があったので、私の美容師語りを一つのカテゴリーにまとめてみました。プロフィール、最新記事、リンク、等の並びにある「カテゴリ」を開くと、「私の変な美容師」というカテゴリーが出て来ますので、そこをクリックして頂くと美容師の日記だけが出て来ます。
アイシスよりお知らせでした。
追記・一つ抜けがあったとご指摘頂いたので、追加しました。ご指摘ありがとうございます。(7月8日)
- 2013/07/06(土) 16:50:07|
- 私の変な美容師
-
-
今回は私の変な美容師というか、変な美容師のかわいいアシスタントの話。
「あー! もう限界!!」
と、限界を迎えて美容院に行ったら、見るなり彼に、
「しっちゃかめっちゃかだね」
と、言われました。
そこからしっちゃかめっちゃかな髪をなんとかして貰い、最後、私の変な美容師Sくんと、二十歳そこそこくらいのアシスタント嬢で、髪にアイロンを掛けてくれました。
Sくんは「八重の桜」を観ていて他に周りに観ている人がいないので、二人で八重の話をして、
「吉川晃司いいよね」
そう、彼が言いました。
「あんないい男になると思わなかったよね」
と、私が言ったら彼はちょっと意地悪く、
「それっていつの吉川晃司からの話?」
と、尋ねてきました。
私が答える前に彼は、
「サンドイッチマンのコントがあってね」
バラエティの話を始めました。
「KKって男が住んでるマンションが、モニカなの」
「そうだよ、その吉川晃司からの話だよ!」
古さに二人で笑い、話が少し脱線して、
「やっぱりサンドイッチマンのコントに、黒いタンクトップの男が出て来て、坂本一生かよ! ってのがあってね」
彼がそう、続けました。
「そのコント世代がピンポイント過ぎない? 加勢大周だってもう、覚醒剤で引退したよね」
彼と私は多分、同じ小学校に通える程度の年齢差。吉川晃司のモニカも阪本一生の話も、同世代なのでわかる話です。
アシスタント嬢は、多分なんの話か全くわからず笑うこともできず、黙ってヘアアイロンを掛けるしかない。
「全然わかんないよね」
Sくんが気を使ってか、アシスタント嬢に声を掛けました。
少し考え込んで、微笑んで彼女は言った。
「田代まさしなら、うちのお父さんに似ています!」
覚醒剤繋がりの、ブラックな乗っかりでした。
ブラックさに私は爆笑したのですが、Sくんは真顔で、
「それって事件前? 事件後?」
と、アシスタント嬢に聞いていました。
そこ重要だったらしい。
髪を切っているときに、私は何も考えずにふと、
「そう言えば昔、ドライカットって流行ったよね」
そう、呟きました。
「今でもあるよ」
彼は何故か、若干不機嫌になりました。
「僕、ドライカット嫌いなの」
あ、なんか変なツボ触ってしまったと思いながら、
「なんで?」
と、尋ねると、
「理由、誰にも言わないでね」
そう言って彼は、思いも掛けない理由を語ってくれたのですが、誰にも言わないと約束したので書きません。思いも掛けないけど、たいした理由じゃなかったです。
ところで「八重の桜」の話になると、私は「あした咲く花」のために山ほど資料を読んだのでちょっとは詳しい訳です。前回もSくんに聞かれましたが今回も、
「なんでそんなに詳しいの?」
と、尋ねられました。
途中Sくんは横を向いて、
「歴女だ、歴女」
と、三回くらい呟きました。横には誰も居ません。
「何それ」
笑って尋ねると彼は、
「陰口だよ」
いつもの真顔。
お店を出るとき、
「ああさっぱりした!」
と、浮かれたら、
「僕がさっぱりしたよ」
と、見送ってくれました。
カットした翌日会った友人の一人に、
「メンフィスのお姉さんみたい」
そう、評されました。
それを聞いていた別の友人から、
「ああ、アイシスな」
と、すかさず名前が出て来て、前日のブラックなジェネレーションギャップを、二人に語った次第。
年齢差のある人がわからない話をしているとき、ふとわかる単語が出て来ても乗っかるのはよく考えようという教訓。
- 2013/07/05(金) 14:36:37|
- 私の変な美容師
-
-