季刊小説誌「小説Wings」(新書館)冬号が、2/10に発売されます。
私は観劇エッセイ「非常灯は消灯中」を連載しています。
今回は「朝彦と夜彦1987」を取り上げました。
え? 自分で台本書いた芝居、観劇エッセイの題材にするの? すごくない? それ。
と、思われた皆様、ええ私はとても厚顔。
上演前は全くそんなことは考えられませんでしたが、観劇したらもうこの舞台の上で自分がしたことは文字書いただけで、作ったのは演出家さん役者さん舞台監督さん音響さん照明さん、たくさんのみなさんだと思ったのと、自分が関わってなくてもこれは私は観ていたら取り上げる作品だと思えました。
また、原作者としての気持ちや、内側から感じたことと一観客としての気持ちと、合わせて書ける今後なかなかない機会で、もしかしたらそれはおもしろい回になるのではと「朝彦と夜彦1987」を選びました。
今回は大増ページということで、19ページ書かせていただいています。
雑誌は完売すると増版されることがほとんどありません。そしてこの連載は今のところ、単行本になる予定は一切ありません。もし確実に入手なさりたい場合は、信頼できる書店でご予約をお願いします。
ご購入いただくに当たりいくつか注意点と、この機会にインターネットの私と紙媒体の私は若干違いますという話を、織り交ぜてさせていただけたらと思いますので、おつきあいいただけますと幸いです。
「非常灯は消灯中」は、毎回同じ書き出しです。
「 既に終わった舞台を、思い切りネタばれしてオチまで語ってしまう舞台観劇エッセイです。ネタばれしないで語りたいと考えましたが、全く無理でした。
だからもしタイトルの再演、DVD等を待つ方は、ここは読まないように要注意だよ!
毎回この書き出しで行きます。
今回の要注意は、「朝彦と夜彦1987」(2015)。」
今回もこのような書き出しになっております。
ネタバレ注意ということです。
本文中でも明言していますが、今回の上演は撮影されていないので、今後DVDになることも放送されることもないです。
ただ、今後絶対にお見せできないかというと、絶対にないとは断言はできません。私がサインした契約書は、そういう契約書でした。言えるのはこのくらいです。
先日放送された中屋敷法仁さんの番組に初演キャストが三人出演したものを私も拝見しましたが、みなさん同じメンバーで再演したいとおっしゃってくださいました。私もそれはとても観たいです。
ですが今後仮に再演があったとして、役者さんたちにお気持ちがあっても、みなさんお忙しいのでスケジュールが空いている保証は何処にもないです。そしてたとえば一人がどうしても調整がつかないから、なら一人だけいないというのはどうだろうと、全て違うキャストでとなる可能性もあるし(この辺は本当に客観的なただの推測で話しているだけで今は何も予定はないよ)、そんなわけで現状では何も言えないとしか私も言いようがないです。
回りくどい。わかりやすく言うと、再演される可能性はゼロではないです。ただ仮に再演されたときに、初演キャストで再演されるのかどうなるのかは今は誰にもわからない話ですということです。
そういうわけなので、
「でも可能性がゼロではないなら、未見だけれど死んでもネタバレはされたくない」
という方には不向きな内容になっているので、避けた方がいいかと思います。
もう一つ。本文中でしつこく注意喚起していますが、今回のエッセイを読んだら私の正解は読み取れてしまうかもしれません。解釈については断言を極力避けていますが、察しのいい方ならわかってしまう可能性があります。
何度も申し上げていることですが、私の正解は本当にどうでもいいんです。
観た方の正解が全部正解。
自分の持っている正解に、別の先入観を入れたくないという方も、避けた方がいいかと思います。
このエッセイはいつも、公式を通さないということを理念に続けていて今年で四年目です(今後一つだけ公式絡みの予定が入っています)。
何故公式を通さないのかというと、観客である私と公式には、必ず何かしら解釈違いが起こります。
私が公式と違う解釈を持ったときに公式はそれを目にしたら、
「そういうつもりではない」
と、言わざるを得ません。しかしこれはエッセイで私の主観を書かせていただく場なので、そうするとエッセイとしては成立しなくなります。
そういう理由で編集部と最初に公式は通さないことを決めて、やってきました。
じゃあそんなに自由に書いているのかと言われれば、編集部の検閲が二重三重に入り、とても厳しい中書かせていただいています。
そもそもこの連載の目的はなんなのかというと、
「良質の演劇に観客をいざなう」
ことです。
しかし私が何か観てえらく感動してその翌日にこのエッセイを書いたりすると、ストーリーを全部追うみたいなことになってしまうことがままあります。
そうすると編集部からは、
「他者の著作物の権利を侵害している行為になっているのではないか?」
と、厳しく調整を求められて、四回改稿して全部ボツになったものもあります。「ザ・ビューティフル・ゲーム」(2014)等は感動しすぎてそのまま伝えたくなり、「ならば観ろという話になりますし、作品の権利を侵害しすぎています」と何度も調整して結局お蔵入りになりました。
私は新書館のモラルハザードの高さにはとても感謝しているし、尊敬しています。
私も他者の権利を侵害したくはないです。
しかしその線引きは私と新書館で完全にできることではないので、今後も、
「怒られたら謝る」
という積極的なのか消極的なのかわからない姿勢で続けられたらと思っています。
私の主観による激しいファントークですが、目的はその作品や役者さんに興味を持ってもらうことなので、ご本人に読んでいただくことは常に想定しないことも理念にしています。ご本人が読むことを考えるとつまらない遠慮や媚びが出て、読者さんに申し訳ないことになるかなと思います。
今回も私はそれは例外とは考えずに、一点以外は公式の検閲を受けていません。
その一点は私と衣装さんだけが聞いた中屋敷さんの言葉で、何故それだけ確認したかというと、中屋敷さんの演出理念に関わるプライベートな言葉だったので、解釈違いはないかそもそも公にしていいのかを確認して記載させていただきました。
本来ならこういったことはレゴーダーで録音して書き起こしてなおかつご本人または事務所に確認を取る事項だと思い、確認した次第です。
役者さんについても、プライバシーに関わることは一切触れていませんが、私が「観た」ままを主観で書かせていただいています。
ご興味いただけたら、何しろとんでもなくページを取っているので、ご購入いただけますと幸いです。
その前に。
インターネットの私と紙媒体の私は、ちょっと違うんですという話を一応聞いておいてやってください。
この観劇エッセイにご興味のない方も、良かったらここは読んでいただけたらありがたいです。
何年か前から、私はインターネットに書く文章と、紙媒体に書く文章を意図して分けています。文体も違います。以前は公人には敬称をつけないことが公人への敬意だと考え呼び捨てにしていましたが、本人も簡単に目にすることのできるインターネットでは極力敬称をつけることに、その主義も変えました。
インターネットの私は多分、紙媒体の私より何もかもがとてもやさしいです。バファリンです。やさしさでできています。
私なりに理由があります。
インターネットやTwitterは、誰でもワンクリックで無料で読めます。
誰でもワンクリックで、簡単に傷つくことができてしまいます。
不用意に人を傷つけたくはないです。強い主張のあるときは、読んだ人も自分もある程度は傷つくことを覚悟してインターネットでも書くことはありますが、それ以外のときはなるべく多くの人を傷つけない言葉を選んでいるつもりです。そうしてどんなに気をつけたとしても、それでも世界の何処かには必ず傷つく方がいる。それが言葉だと思います。だったら世界に発信しているこういう場所では、極力気をつけたいです。
それと、この日記やTwitterは、不特定多数の方に知っていただきたいことを伝えるために書く場合があります。
一つ前の日記「もう少しも小さくないたかちゃん」は、長文になりましたが、一人でも多くのこの情報が必要な方の元に届くことを目指して書いた部分もあるので、言葉をやわらかくすることに努めました。必要な方に届いていることを願います。
今回の上演で私を知ってくださって、Twitterをフォローしてくださったり日記を読んでくださったりしてインターネットの私しか知らない方は、紙媒体の私に触れたら、もしかしたらですが驚くかもしれないと少し想像しました。
役者さんについても、この日記でも思っていないことは一つも書いていませんが、たくさんの方が簡単に読めるインターネットでは書けなかった私の主観も、観劇エッセイの中には多く、忌憚なく書いてあります。
他者を傷つけることを私は敢えては望みませんが、そのこととはまた別に、私は本にお金を出して買って読んでくださる方とは対等な関係だと考えています。
対価を支払って本を買ってくださった方は、その本に対してどんな感想を持つ権利もその感想を発信する権利も、私につきつける権利も持っていると、私は考えます。
ですからその対等な方に対しては、私もどんな反応が来てもそれを聞く覚悟で対等な気持ちで渡したいと思っています。
何より対価を支払う方に、つまらないものをお渡しするのは不本意です。
本を購入する、お金の掛かる今回のエッセイの中では、私は役者さん本人の気持ちも、役者さんのファンの方の気持ちも、慮ることをしていません。読む人のことを考えています。
そういうものであることをご覚悟の上ご購入なさって読んだなら、もちろん私を非難する権利も生じます。
そのときは私も、甘んじて聞きます。
堅苦しい文章になってしまって、申し訳ありません。
紙媒体の私はそんなにはバファリンじゃないのという話です。
私自身としましては、ご高覧いただけましたらただ幸いです。
- 2016/01/22(金) 20:52:10|
- 朝彦と夜彦1987
-
-
私の職業柄、声優さんのことを語るのには、とても慎重になります。
「あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します」に登場する声優さんは、ああいう方なのをファンの方がよく知っているので、あんなことも書かせていただける特別な方です。
それは今回の役者さん達ももちろんそうですが、声優さんのファンの方の愛はとても深いので、その愛情のイメージの邪魔をしてしまうのはあってはならないことだと思っています。私は漫画やアニメの世界の近くに居ますからなおのこと、それぞれお好きなキャラクターのイメージを壊すのも怖くて、慎重になるあまり気軽にお名前も口に出せないこともありました。
今回、関俊彦さんに観ていただいたことを、関さんに了解をいただいてツイートしました。そこが私には、大きな終わりであり始まりだったので、言いたかったのは私一人のわがままです。
どれだけ関さんが素晴らしい方なのか、私が知る範囲のことですが知っていただけたらという気持ちもありますので、もし良かったらおつきあいください。
朝彦は関さんだったと言ったことへの説明も含めて、語ります。
十二年前関さんには、私が書いた脚本で声のドラマを演じていただいて、そのとき、舞台に呼んでくださいました。
関さんの声は充分素晴らしいですが、やはり、全身を生き生きとさせる舞台の上の関さんにも、役者さんとしてとても魅了されました。
当時、関さんにはたくさん勉強させていただいたと思います。
私が絶対に顔文字を使わないのは、関さんが「言葉を大切にしている証だね」と、言ってくださったことが大きいです。だから今でも決して使いません。
関さんに演じていただく前提で、朝彦は書きました。
アテ書きと言いましたが、関さんが朝彦的な人物という意味ではなく、関さんが演じるところを想像しながら書いたという意味です。
書き上げた、本に掲載されているものと多分ほぼ同じ戯曲を、関さんにお渡ししました。
まず、叱られました。
褒めてはくださいませんでした。
私はやはり小説が本業なので、どうしても自分のイメージ通りの表情、動きがあって、それを全部戯曲には細かく書き込んであります。
「こんなに自由度の低い戯曲では、何も演じることができない」
最初にいただいたのは、そんなお言葉だったと思います。
関さんはそれだけ真摯に、この本と向き合ってくださったんです。
「二週間公演したら死ぬけど、死ぬ気でやるよ」
そう、言ってくださいました。
その後そのときの話はなくなって、その経緯は最初の日記に書きました。
関さんは一年のスケジュールを入れるときに、
「上演できそうなら、空けるよ」
と、メールをくださることもありました。
今回の上演が怒濤のように決まったとき、度々、関さんのことを考えました。
まず、私にとってはとても不義理なことだし、でもこのまま何も言わないのもと、何度も考えてなかなか結論が出ませんでした。
そして、私が知る限り関さんは嘘を吐かない方です。おためごかしを聞いたことが、多分私はないです。私の本をご自分で買ってくださって、熱心に読んで様々感想をくださったときもそうでした。この戯曲だって、最初は叱られましたから。
だから、観ていただくのが怖かった。
ツイートしましたが、朝彦の声が無駄にいいのは、関さんありきで書いています。白楽天の詩を読むのは、私が関さんの声で聞きたかったからという部分も大きくありました。
今回の二人の朝彦には本当に申し訳ないのですが、私が役者さんの力量をわからずに、
「この設定直しましょうか?」
と、企画さんに言いました。
「大丈夫です。彼らはちゃんとやってくれますよ」
そう言われて、結果、彼らは充分やってくださいました。
散々迷って、でも、胸を張って彼らを関さんに誇れるとも思い、ご連絡しました。
私は長々と、不義理をお詫びするメールを書きましたが、関さんからはとても明るく祝福してくださるメールがすぐに返ってきました。
結局何も力になれなくてごめんなさいと、書いてありました。関さんのお仕事は、役を演じることです。それ以外の何かを、一切関さんが負う必要はないしそんなことは絶対にさせられません。
そのメールには、私もすっかり忘れていたことが書いてありました。
「二次選考まで残ったときは、嬉しかったなあ」
もういよいよどうにもならなくなったときに、私は戯曲の新人賞を探して投稿しました。そのとき確かに、二次選考まで残ったんです。
私の方は忘れてしまっていて、関さんはずっと覚えていてくださった。
本当にお忙しい方なので、無理にお時間を作って来てくださいました。どちらのペアかは私が決めたのではなく、関さんが空いているお時間がそこしかなかったので、そちらのペアを観ていただきました。
きっと喜んでくださると思いながらも、終演後は関さんに会うまで不安ではいました。
会うなり関さんは朗らかに、
「素晴らしいね、彼ら! おめでとう、本当に良かったなあ」
そう言ってくださいました。
その言葉を聞いた途端私は堪えられなくなって、関さんには本当に申し訳なかったのですが、我慢できずに人目もあるのに泣いてしまい、大変困らせたと思います。このことは本当の申し訳なかったです。
もうほとんどお時間がなかったのですが、楽屋で役者さん達と、中屋敷さんに会っていただきました。
「素晴らしい役者さん達だね」
そう言って関さんから、彼らに握手を求めてくださいました。
こんなことを言って、ごめんなさい。二人の朝彦には本当に申し訳ないことだけれど、私はとうとう関さんの白楽天を聞くことができなかった。
もしかしたら関さんは、お願いしたら機会があれば読んでくださるかもしれません。
それはでも、私の一つの心残りとして、置いておこうと思います。
素晴らしい若い才能達と仕事をしているんだねと、笑ってくださいました。
ここまで書いて、関さんには関さんのお立場があると思い、チェックをお願いしようと思ったら、見ないからそのまま公開してくださいとのお返事がありました。
関さんはずっと自責の念で過ごされていて、もし私が関さんのことを少しでも良く書いていたら、全部駄目だと言ってしまうから見ないと言われました。長く、謝罪の言葉が書かれていました。
元のタイトルがきちんと綴られていて、それを最高の形で見せてくださった、中屋敷さん、役者さん、スタッフさんたち全てへの、感謝の言葉も長く綴られていました。
そんな、関俊彦さんのことでした。
- 2015/11/07(土) 01:47:52|
- 朝彦と夜彦1987
-
-