菅野彰

菅野彰の日記です

「自分や身近な人の、耳の聞こえ方に悩む方へ」

 聴覚の真面目な話です。
 同じようなことで悩んでいる方、特に、
「もしかしてうちの子どもはそのことに悩んでいるのかもしれない」
 という方に届くといいなと思いながら書きます。
 全て自分のこと、自分の経験を通しての話になりますが、
「あ、自分もそうかも。身近な人もそうかも」
 となったときに、調べる具体的な方法、調整できるかもしれない療法が存在するので、そうしたいと思ったらご紹介した方や、同じような療法士の方にお問い合わせしてみてください。
 これを書く上で強く思うのは、自分の感覚だけを気にかけて欲しいということ。
 たとえば他者に聴覚の悩みを話して、
「気のせいでは。精神的なものでは。別に特別なことではないのでは」
 と言われても、それは一切気にしないで欲しい。耳や目のことは本当に1人1人違うので、専門家ではない他者の言葉にほとんど意味はないというのが現在のわたしの考えです。
 あなたがどんな風に音が聞こえているのかは、言葉では他者には伝わらない。けれど数値化することができます。
 読みながら「私もだ」と自分で思う部分があれば、その数字を調べてみるのもいいと思います。
 なるべく整理して書きたいけれど、何処に共感点があるのかわからないので、自分のことを一つ一つ書いていきます。
 長くなりますが、拾いながら読んでください。

 結論から言うとわたしの聴覚は、一般的な聴覚よりかなり聞こえ過ぎているという数値になりました。
 40過ぎているので聴力は普通衰えるし、実際衰えるている自覚もあるので、子どもの頃の聞こえ方は酷いものだったと思います。
 35歳くらいまでは、時折、
「音に殺される」
 という苦痛とともにいました。

 具体的なことを幼児期から順に書いていきます。
 最初に、
「自分は音に対する感覚がおかしいのだろうか」
 と思ったのは6歳でピアノを習い始めた時です。
 大きく響く高い音に、尋常ではない恐怖を覚えました。きっかけは譜面台のビスがピアノの音で振動するのを見た瞬間だったのもあって、自分でも精神的なものだと思い込みました。
「強く打鍵して」
 と言われても恐ろしくてできない。
 ピアノ教室でも家でも叱られるし、
「大きな高い音が死ぬほど怖い」
 と言っても理解はされません。
 ピアノだけでなく、音楽、テレビ、大きな音という音が恐ろしく、聞こえると過剰に心拍数が上がり、
「音を小さくして、音を消して」
 と半狂乱になることもある。
 周囲からしたら神経質で頭のおかしな子どもです。
 自分でも、自分はおかしいと思っていました。
 ピアノは続けられず、中学生になって吹奏楽部の男の子がわたしの聴覚の過敏に気づきました。
 トロンボーンを持って近づいてきて、わたしの近くで大きな高音を鳴らす。
 その恐怖で極度に怯えるわたしを、彼は多分ただからかっているだけだっただろうし、周囲もじゃれていると思っていたと思います。
 その時、彼がわたしに近づいてくる恐怖は、心拍数は極端に上がり貧血になるほどで、けれどそのことも誰にも理解はされませんでした。
 わたしも言えなかった。
 どう言ったらいいのかわからないし、ふざけているだけなのもわかっていたのです。
 彼もこんな思いをさせようとしているわけではなく、させていることもわかっていないのだろうとは思いました。なので彼のことは今も悪くは思っていません。
 このこと以外もそうですが、トロンボーンがそんなに恐ろしいと言ったら、自分の頭がおかしいと思われるだろうとも思い言えませんでした。
 その後も、音楽やテレビが無作為に掛かっている状況が苦痛で、言える相手なら消してもらい、無理ならイヤホンや耳栓をして遮断して、それは現在も変わらずです。
 音楽ならばまだいいけれと、もちろん騒音は死ぬほど辛い。
 30歳過ぎて転居した場所が騒音が辛く、
「ここに暮らしていたら死んでしまう」
 と、そこから転居を2度しました。
 無音の世界に暮らしたいと、この頃が一番音に苦しんだ時期でした。これは最初の騒音の中で数ヶ月を暮らしたことが引き金になったと、今は思います。

 最近、その音に対する神経質さが、過剰ではなくなったと気づきました。
 年齢のせいかなとも思ったけど、ここ2年ほど好きな音楽がはっきりしたので、可能な限りその音楽を聴き続けていて、ずっとかたわらにあったストレスが劇的に軽減したんだと思います。好きな音だけ聴き続けている。
 ただこれも今回聴覚を調べて色々お話しして、
「ずっと耳を疲労させてるからいいことではないです」
 と言われました。
 わたしは日常的に自宅の仕事部屋でもカナル式のイヤホンで音楽を聴いていて、耳栓も持ち歩いています。聴けない音を遮断できない状況だとうろたえるので、イヤホンが見当たらないと落ち着きをなくします。普通の狼狽ではないです。

 それらのことがメンタルのせいではなく、聴覚のせいなのではないかと初めて思ったのは、今年になってからでした。
 大分音に対する感覚がマシになったと思ったのは2年ほどなのですが、今年の頭にある男性の歌を聴いていて高音域が辛く感じました。
 元々高音域が得意な声量のある方で、スキルアップしてすごい声量で高音を出すように最近なられた。
「高音大き過ぎない? しんどくない?」
 同じ歌を聴いている方に尋ねても、しんどいのはどうやらわたしだけ。
 次に彼のコンサートに行ったとき高音を張られるところで無意識に両手が耳にいって両耳を塞いでしまいそうになりました。
 とても失礼な行為だと慌てて手を下ろして、でもそれほどこの高音が自分には辛いと自覚しました。
 その後、恐らくは絶対音感があり聴力もとても高い方とお話しする機会があって、その方が発信する音楽の話をさせていただきました。
 普段音楽を聴いて誰かに、
「こうだったよね?」
 と話しても、
「そうかな?」
 と言われることがその方だと、
「そうそう、そうなんですよ」
 と返って、やはりその音は存在すると知り、けれど多分多くの人には聞こえないのが当たり前なのだとも気づきました。
 そこでやっと、
「わたしの可聴音域は生まれつき広すぎるのでは? もしくは聞こえ方が何か違う」
 という考えに至りました。
 たとえば色盲の方は、自分の見え方が色盲ではない方と違うということに成人しても気づかないということがあります。
 誰しも自分の見え方聞こえ方が、みんなと同じ世界の色世界の音だと思っているもので、わたしもそう思っていたけど違うのかもしれない。
 けれど耳鼻咽喉科の聴力検査では測れないだろうと思っていた所に友人が、
「友達が、多分そういったことを調べて、日常に障りがあるなら調整もするという療法士をしている」
 と、その方を紹介してくれました。
 わたしが紹介していただいたのは、二村典子先生です。吉祥寺と麻布で療法士をしてらっしゃいます。
 療法はトマティスというもので、信号の出る機材を使って5つの検査をします。
 結果としては、やはりかなり聞こえ過ぎていました。
「現在の年齢でこれだけ聞こえていたら、子どもの頃は辛かったでしょうね」
 そう言われて、わたしは子どもの頃からの経験を二村先生に話しました。
 今まで仕事の取材で、カウンセリング的なもので自分のことを話す、言い当てられるというような経験はたくさんあったのですが、子どもの頃からの自分の経験や思いをあんな風に滝のようにお話ししたのは初めてでした。
 そういう自分に驚き戸惑ったけれど今思うと、
「自分にはこんなにも苦痛で恐怖である音が、誰にも理解されない。他者には聞こえていない。幻聴かもしれない。自分は心が病んでいるのではないか」
 そう思わない日が、その日までただの1日もなかったのだと気づきました。
 それは長い苦痛で、病んでいるわけではないと初めて思えたことはとても大きく、今後生きていく中でわたしには大切な安堵でした。
 惜しむらくは子どもの頃にこのことを知れたならと、心から思います。
 トマティスは本来、たとえば「さ行」が発語できないお子さんに、
「もしかしてさ行が聞こえていないのでは?」
 と調べてあげて、可能なら聞こえるように、発語できるように調整する。
 というようなことが目的の多くかと思います。
 またわたしのような聞こえ過ぎで音に過剰な恐怖を感じる子どもがいれば、その恐怖を軽減することを試みる、何より理解するということ。
 時代は常に進化して、医療や技術に対して、
「あの頃これがあれば」
 と思うことはいくつもあるし、けれどそれはもう考えてもしかたがないので普段ならわたしは考えないです。
 でもこの聴覚のことだけは、子どもの自分に与えたかった。
 一番辛かったのは、時には殺されるというほどの恐怖が、
「神経質な子どもだ」
 と理解されないことと、何より自分自身でも、
「こんなに音が恐ろしいわたしは頭がおかしい」
 と思っていたことです。
 もし身近に、
「もしかしてこの子も?」
 と思うお子さんがいたら、そんなに堅苦しい検査ではないので、試みていただけたらと願います。
 現在のわたしは過剰だった聴覚も恐らく年齢なりに衰え、
「音楽を聴くにはとてもいい耳。けれど聞こえ過ぎていることには変わりないので、自衛はしてください」
 と言われ、ならばテレビが辛い自分は仕方ないとわかったし、好きな音楽をできる限り楽しもうとそんな感じでおります。
 でも長かったなあと何度でも思う。
 自分はおかしい、音が辛い、という毎日。
 知ることができたので、ここからはまず聞こえ方について自分をおかしいとは思わずに過ごすね。
 それは本当に、とても大きな幸いです。
 残念だけど今は好きだった歌い手さんの高音が辛いけど、折り合い方を探すうちにわたしの聴力も変化するかなとそれも楽観的な気持ちでいます。理由がわかったから。
「何か音楽をやらないんですか?」
 二村先生に訊かれました。
 よく聴こえているなくらいには思っていたので自分でもたまに不思議に思うけど、全く奏でられないいつでも聴くのみ。ピアノも怖かったというのもあり。
 音楽はただ聴くために生まれてまいりましたよ。
 これからも楽しみたいです。

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 今回わたしがお世話になった、二村典子先生のホームページです。
 私は一音聴いてから押している自覚がありました。
 二村先生が、
「本当はもう一音前に聞こえていますよね。ですからこのグラフより上になります」
 とおっしゃって、本当にきちんと診てくださっているのだなと驚きました。
 とても優秀でやさしい、楽しい方です。
  1. 2017/09/25(月) 21:23:45|
  2. 日記

「ぼくのワンピース」作画・山田睦月先生/「隔月刊 WINGS8月号」から連載スタート中(書き下ろし漫画原作)

 十二年ぶり、「デコトラの夜」以来の山田睦月先生の描き下ろし漫画原作を担当させていただいています。
 自分のカテゴライズに悩む等と、悩まない真人の物語。
 この物語には二つの曰くがある。私にのみですが。
 これは「デコトラの夜」が終わる頃に、次の山田先生の原作にやらせていただけないだろうかと十二年前にプロットを書いた話です。ふとプロットが出て来てタイミングも合い、今回実現に至りました。
 でも十二年が経ったことは、よかったと今回書いていて思いました。
 等のような悩みを取り巻く環境が十二年の間に激変していて、現在の方が私は書きやすかった。
 そんな風に変化して行くテーマを扱っているので、やがてこの話も「いつの時代の話だ」となるかもしれませんが、珍しく今を生きるのである。

 そして書き始めて気づいたのですが、等と真人は、「朝彦と夜彦1987」の朝彦と夜彦の二卵性双生児のような二人です。
 同じキャラクターではありません。
 何故十二年前にこの二人を考えたのか、少し申し訳ない経緯ですが書きながら二人が産まれたわけを思い出しました。
 当時、「朝彦と夜彦1987」が完全にお蔵に入って。
 小説にしようかどうしようか、漫画の方がより生きるのではと、それで山田先生の力を借りようとしたんだと思います。等と真人は、原型は朝彦と夜彦だと書いてて気づいた。
 読まれたら「どの辺が?」と思われるかもしれませんが、そこから生まれた違う人生を生きてる等と真人です。
「ちょっと台詞が戯曲的過ぎる」
 とは担当さんにも指摘されて、大分漫画よりにしました。
 漫画として山田先生が昇華してくださると信じて、私はただ楽しみです。

 キャラクターを立てたあとの発想は当時はもう少し安易だったのですが、いざとなるとそうもいかずかなり山田先生の力を借りながらの船出です。
 どうか最後まで見守ってやってください。
 楽しんで!
  1. 2017/06/26(月) 19:32:49|
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「華客の鳥」(ディアプラス文庫)/7月10日頃発売(協力書店特典SSあり)

 また新刊なのか。
 そう言わずに。これはちょっと特殊な本です。
 「華客の鳥」は、1999年に「小説ディアプラス vol.2」に掲載された、「HARD LACK」シリーズの登場人物シンとハルを主人公にしたスピンオフです。当時の挿画は松崎司先生で、掲載は十八年前。そんな長い時間そのままにしていたのは私で、担当さん及び新書館さんがあきらめずにいてくださって7月にようやく本になります。
 「華客の鳥」のその後の物語「鳥の行方」と、エドとタクヤも登場する「By the way」を書き下ろしたのは四年前でした。「鳥の行方」を書いたときは、よくもこんなに長いことこの続きを放置していたと自分に呆れ果てました。書けて良かった。
 一言言いたい。「華客の鳥」を書いたのは十八年前だ。古くさいんじゃなくて古いの。その古さを堪能してください。
 後書きに書き忘れた気がするのですが、「華客」は本来の「かかく」と読ませる言葉とは違う意味で私の造語です。「かきゃく」と読ませます。

 美しいシンとハルを今回描いてくださったのは、「レベッカ・ストリート」でも別次元のシンとハルを描いてくださった珂弐之ニカ先生です。
 カバーの美しさ、口絵のハルの少年の健気さや脆さは、言葉が出ないです。
 そしてその美しさを存分に生かしてくださった新書館デザイン部にも感謝しかない。
 十八年が経って、美しい本になりました。
 是非読んでやってください。

 この本には、協力書店特典SSというものがついてきます。「デート」という短編を書きました。
 どうしてもこの特典ペーパーを入手して欲しい。
 何故かというと、シンとハルと、エドとタクヤで楽しくデートする話だからです。楽しいよ。
 時々この特典SSでやってしまうのですが、
「ここまで本に入れたかった」
 というやつです。今回はやってしまった。本に入れたかったけどペーパーなので手に入れてやってください。
 アニメイト全店と、ネット書店通販もあります。
 青文字がリンクになっております。よろしくね。
「華客の鳥」特典情報
「華客の鳥」特典SSペーパー配布書店リスト
 書店さんが把握していない場合もたまにあるようなので、ついて来ない場合は書店員さんにお尋ねください。

 きれいな本にしていただいて、感謝です。
 読んでいただけたら、なお嬉しいです。
  1. 2017/06/22(木) 19:49:46|
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「成仏する気はないですか?」(キャラ文庫)/「小説Chara vol.36」に続編「成仏してはみたのの」掲載

 また新刊だな。
 また読んでくださいな。この間の新刊と違って、こちらには絶賛花粉が飛んでいた。
 タイトルから花粉が飛んでるでございましょう。

 これは珍しく最初から、
「ラブコメください」
 というオーダーをいただいたので、
「じゃあ幽霊お渡ししやしょう」
 という感じでお渡ししました。幽霊、三角関係、片思い、法律、銀行、横領、そして未亡人BL!
 未亡人BLだよ。
 表紙に三人いるのは、かなり前に出していただいたやはりホラーBL「恐怖のダーリン♡」以来です。あれはゾンビBLでした。
 大丈夫怖くない。私はホラー映画観られない。
 ならなんで書くのだ。
 書くのは好きだ。
 表紙の真ん中にいる優が、私としてはかつてなく可愛くなったんでないのと思っているので可愛がってくださったら嬉しいです。
 発売中の、
「小説Chara vol.36」
 に続編、「成仏してはみたのの」が掲載されています。
 こちらにはイラストをくださった田丸マミタ先生の、このキャラクターたちの美しいポスター、そして描き下ろし扉がついております。
 すごいかっこいい。
 雑誌は売り切れたら再版はないので、是非入手してやってください。

 幽霊はともかく法律は、去年ちょっときっかけがあって法律そのものについて考えるようになりました。
 真面目に考え始めたのは去年なので色々拙いかと思いますが、キャラクターを生かしていたらいいな。
 法律のことを考え始めていたところに丁度二十七歳女子と仲良くなって、呑んでるときに受験の話になりまして。そうとう勉強したんだなと何気なく、
「何学部?」
 って訊いたら、
「法学部。法の番人よ♡」
 とプリキュアみたいなポーズを取られて爆笑したんだけど、その後気になることは彼女に聞いてみたり、その中に初めて知ることもあったり、今回も色々質問に答えてくれてたくさん教えてもらった。
 自分の考えと現実のズレや甘さもすっと教えてもらえて、若い友人に感謝の一冊となりました。
 知らないことわからないことまだまだたくさんですが、身近な人にこうして自分の持ってなかった部分を分けて貰えるのは嬉しいことです。ありがたいよ!
 できればまた書きたい人たちになったので、その機会が巡ることを願いながらもうちょっと勉強します。

 楽しく萌えて読んでくれたら、それ以上に嬉しいことはない。
 読んでやってください!
  1. 2017/05/26(金) 20:47:15|
  2. 告知

「おまえが望む世界の終わりは」(ディアプラス文庫)5/10発売(協力書店特典SSあり)

 まずは、特典協力書店さんのお知らせです。
 とても美しい草間さかえ先生のポストカードや、私の特典ショートストーリーがついて参ります。ショートストーリーは、かわいい話を書きました。読んでいただけたら嬉しいです。
「おまえが望む世界の終わりは」特典情報

 映画の特殊効果スタッフ孔太(25)✕俳優兼映画監督佳人(31)の物語。
 孔太は男とつきあうとかマジ考えたこともないノンケ。佳人はノンケで年下の男なんか真っ平ゴメンのゲイです。どうやってつきあうんだ。

 なんていうか、とても大切に書きました。
 須磨子がツイートしてくれてたけど、「ザ! 私!」みたいなタイトルです。
 でも中身は、今までとはもしかしたら少し違うかもしれない。
 書きたいことを書いて、いつも「楽しく書きました」と嘘のない気持ちを言っていますが、これは「大切に書きました」という感じです。
 書き終わってしばらくぼんやりしました。書きたいな、書かなきゃ、と強く思うことの中の一つを書いた。
 これは本当の気持ちなので、どうかまっすぐ聞いていただけたらと願うことなのですが。
 私は、という話です。他の作家さんは関係ないよ。私の話。
 私は、どのジャンルも気持ちは同じ気持ちで書いてます。BLも、ライトノベルも、時代小説も、一般小説も、漫画原作も、戯曲も、全部同じ気持ちです。
 もちろんそれぞれにルールはあるので、そのルールは守るけど。
 BLも、ファンタジーだとは私は思ってないです。異性の物語だけど、人間の話だし。その定義でいうのなら、私には全てのフィクションはファンタジーになる。
 だから全部ファンタジーか、BLもファンタジーでないのか。それはどっちでも良くて、全部同じ気持ちで書いていますと、言いたいのはそこだけです。切り替えとか難しいし。ライトだったりちょっと踏み込んだりそれは色々だけど、どれも書くときの向き合い方は一緒です。
 という、もしかしたらわがままなのかも知れない部分が少し強くなってしまった本かもしれません。
 BLはとても好きなので、片思いじゃないといいなとずっと思ってます。まだ書いていきたい。
 時々、こんな話も書けたらいいなと思ってます。時々。
 読んでいただけたら幸いです。
 寄り添ってもらえたらもっと嬉しい。
 よろしくお願いします。
  1. 2017/05/01(月) 21:29:48|
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