菅野彰

菅野彰の日記です

「子どもたちは制服を脱いで 毎日晴天!13」/「小説Chara vol.35」11月発売 シリーズ刊行物まとめ

「子どもたちは制服を脱いで 毎日晴天!13」 11月26日発売
 三年ぶりになってしまいました。「毎日晴天!」シリーズの新刊が11月に発売になります。今年の「Chara原画展」で、展示色紙に今年中に新刊を出しますと誓ったので、誓いが果たせて良かった。400ページ超えるようです。楽しんでいただけますように。
 タイトル通り、新章に入るような感じなのでこれを機会に「子供」を「子ども」と開きました。「子供は止まらない 毎日晴天!2」からずっと気になっていたのですが今更という気持ちでそのままにしてきました。制服を脱いだこともあり今回からこの表記にさせていただきます。これはこれという理由はなく、好みの問題なので開かせてください。
 私はもう二宮悦巳先生の美しいカラーを見てしまった。早くお見せしたい。
 次巻はそれほどお待たせせずに出せたらと思っています。よろしくお願いします。

 新刊発行に伴い、2012年から再開させていただいたこのシリーズの著作物を、遡る形で纏めます。もう入手できない物も入っていますが、四年の間にこれだけ書いたよということで。一つ一つ思い入れもあるので少し内容に触れさせてください。

「子どもたちは制服を脱いで 毎日晴天!13」 2016年11月26日発売
収録作品
「どこでも晴天!」
「はじめての二人旅」
「卒業」
「子どもたちは制服を脱いで」
「大人たちのひと夜」
 タイトル通り、新しい生活に身を置いた真弓と勇太、そして家族たちの物語です。
「紙本と電子の違いについて」
 今回初めて紙本と電子版が同時発売になって、私も把握が行き届かずきちんとした告知ができなくて申し訳ありませんでした。
 紙本と電子の違いは、まず電子にはカバー以外のイラストが一切ありません。代わりに、電子限定SS、本編の翌日の3カップルと丈の「それぞれの朝」が入っております。
 よろしくお願いします。
「私だけが気にしてる裏話」
 そして発売日が過ぎたので、裏話というか後書きに書こうと思っていて書くのを忘れた話です。
 どうでもいい話かもしれないのですが私が気になる!
 新キャラ八角優悟の身長は、相方の大越忠孝と同じく180センチ超えです。
「俺は大越より五キロ体重が足りない」
 という台詞が出てくるのですが、これは最初十キロでした。
 野球を観る人には納得だと思うのですが、たとえば阿部慎之助は180cmで97キロ、坂本勇人は186センチで83キロ(両方巨人だということに他意はないよ! ダルとか背が高いから!)。野球選手だと筋肉付けたい人付けない派の人でこのくらい普通に体重差があるので10キロと書いたのですが、
「八角が極端に華奢だという誤解を招きかねない……」
 という懸念から五キロにしました。
 本当は気持ち10キロ差です。大越が筋肉がつきやすくて鍛えている人なのです。
 そして八角は、
「俺はバッティングマシーンでも130キロを超えると当たらなくなる」
 と言っていますが、これは最初150キロでした。
 150キロは甲子園などで記録される球速なので、そりゃ当たらないだろうと思われるかもしれないということで130キロに直したのですが、実はバッティングマシーンの150キロなら私でも当てることはできます。打ち返せないけど当てられる。130キロが当たらなかったら八角は相当できないことになる! とここは最後まで迷いましたが、150キロのままだと「普通当たらないでしょう」となりやすいのではという意見多く直しました。
 八角はそこまでできなくないんだ本当は! という私のみが気になったポイント裏話でした。
 そして昨日再読して、いつか何処かで「ウオタツの花嫁」という話を書いてやらんとあかん……と思いました。
 裏話でした。

「小説Chara vol.35」 2016年11月22日発売
「竜頭町夏祭りの夜はいつも大変」収録
 長めの中編で、時制的には13巻の二ヶ月後くらいになるので13巻を先に読んでいただけたら嬉しいですが、これだけでも読めるかと思います。
 13巻にちらと話だけ出てくる、秀の教育実習の回想なども入ります。
 オールキャラ+新キャラです。

「Chara全員サービス 小冊子」 2016年11月発送
「竜頭町三丁目の夏休み」収録
 勇太と真弓が高三の夏休み。達也や龍も居合わせての、みんなでどっか行こうかというオールキャラです。

「Chara バースデーフェア小冊子」 2016年6月発行
「次男はすっごく教えたい」収録
 レポートに苦しむ勇太と達也に、明信が「冷戦とは」を教えようとする短編。この辺りから、1巻から明信が持っていた本来の強さみたいなものを私も思い出せた気がしますがコメディです。
 一応オールキャラです。

「花屋の二階で 新装版」 2015年11月発行
 二宮悦巳先生によるコミカライズの最終刊です。本当に美しいカラーとお別れするのは寂しかったけれど、来月13巻でまた二宮先生の絵に会えます。
 私は「次男の恋人」という、物語後の、明信の少し意外かもしれない高校時代を絡めた短編を書きました。

「小説Chara vol.33」 2015年11月発行
「どこでも晴天!」(漫画・二宮悦巳先生)
「夢のころ、夢の町にて。」
「SF作家は何度でも家出する」小説二本収録
 以前書いた短編「どこでも晴天!」を二宮先生が漫画にしてくださっています。コミカライズが終了しているので、今のところこの漫画が何かに収録されるという想像がつかないので、お手元にあれば是非。
 小説一本目は、大河と秀とで、勇太と秀が暮らしていた京都を旅行する短編です。「夢のころ、夢の町で。 毎日晴天!11」と繋がっている話なので、よかったらそちらも合わせて読んでやってください。
 二本目はいつもの、仕事を挟んでの大河と秀の大喧嘩コメディです。

「Chara Collection 2015」 2015年11月発行
「おまえのおらん俺」収録
 AGF発行の、厚い本です。勇太の物語を書きました。

「Chara全員サービス小冊子」 2015年11月発行
「女子会プラン男子会プラン」収録
 受けチーム攻めチームに分かれてのわちゃわちゃコメディ。

「Chara バースデーフェア小冊子」 2015年6月発行
「次男の誕生日を探して」収録
 初めての、登場人物の誕生日もののような気がします。明信の誕生日の、龍との短編。

「いそがないで 新装版」 2015年5月発行
「いそいでください」収録
 雨樋直せちゃう大河がかっこいい秀の短編。

「子供の言い分 新装版」 2014年12月発行
「うちの子の言い分」収録
 本編の後始末編を書き下ろしました。

「小説Chara vol.31」 2014年11月発行
「はじめての二人旅」収録
 二人旅をするのは勇太と秀。お留守番は大河と真弓。そんな話です。13巻に収録されます。

「チルドレンズ・タイム 新装版」 2014年8月発行
「バレンタインの夜に」(漫画・二宮悦巳先生)
「どちらさまにもバレンタイン」収録
 二宮先生の短編漫画の原作を書かせていただきました。御幸がステキ。
 私はそれぞれのバレンタイの短編を書き下ろしました。

「Chara 全員サービス小冊子」 2014年11月発行
「竜頭町三丁目に大雪の降る」収録
 大雪が降って、うっかり二人きりになれた大河と秀でございました。

「Chara バースデーフェア小冊子」 2014年6月発行
「花屋と次男は七歳差」
実は意外と年の差カップルの、龍と明信でした。
こう考えると龍は本当に罪深い。

「子供は止まらない 新装版」 2014年3月発行
「初めてのクリスマス」収録
 勇太と真弓の初めてのクリスマス。そして秀と勇太の今までのクリスマスの短編。
 二宮先生が随所にかわいい漫画を描いてくださっています。

「花屋の店番 毎日晴天!12」 2013年11月発行
「花屋の店番」
「子供はわかっちゃくれない」
「大人のおつかい」三本収録。
 久しぶりの文庫の新刊となりました。三カップルそれぞれの中編集です。

「暴風注意!」
 12巻の初回特典SSです。明信と勇太が浮気したのかと真弓が暴風になる短編。

「毎日晴天! 新装版」 2013年11月発行
「僕らがまだ知らなかった未来」収録
 これは今も入手可能な本で、このシリーズの一冊目に当たるということもありますが、書き下ろした短編をもし未読なら読んでいただけたら嬉しいです。
 大河と秀がどんな高校時代を過ごしていたか。二人の原点的な短編です。

「小説Chara vol.29」 2013年11月発行
「どこでも晴天!」収録
 大河と秀が、真弓と勇太の高校に三者面談に行くものの……という短編。13巻に入ります。

「夜空も晴天!」 2013年11月発行
 スターターセット特典小冊子。龍と明信の短編です。

「Chara Novels Collection 2013」 2013年11月発行
「次男の意外なモテ事情」
 過去の巻に出て来た、明信の大学のゼミの先輩男性が、眼鏡を割ってしまった明信を送り届けるとそこには家族と龍がいて。みたいな話。

「Chara 全員サービス小冊子」 2012年11月発行
「エゴマのゴマはゴマじゃない」収録
 秀がいやいや大河におつかいを頼んだものの、頼んでもいないエゴマ豚を買って来て大喧嘩になる所帯じみた話。

 長くお休みしていた「毎日晴天!」でしたが、再開はこの全員サービスからでした。
 少しずつ高いハードルを跳ばせていただくような感じで短編をいくつも書いて、13巻は本編は長い書き下ろしになります。
 もうしばらく、おつきあいいただけたら本当に嬉しいです。 
  1. 2016/11/18(金) 15:01:20|
  2. 毎日晴天!

「いつか何処かで作家志望の誰かのお役に立ちますように」

 いつか何処かで作家志望の誰かのお役に立ちますようにと一月に書いたのですが、「毎日晴天!」の担当さんに一度見ていただかないとと思ってそのまま発売の今月まで忘れておりました。
 ものすごくピンポイントな方に向けての言葉なので、お役に立つことはあまりないかもしれませんが。
 丁度今月「子どもたちは制服を脱いで 毎日晴天!13」が出るので、一応その誕生秘話的なものにもなるかなとアップしてみます。
 読み物としてお読みくださいな。
 以下を、一月に書きました。


 絶対にできない仕事、それは新人賞の選考委員だと、ずっと思っていました。
 ちなみにできないと思っていただけのことはあって、頼まれたことは一度もありません。
 引き受けてらっしゃる先生方は、本当に私はすごいと思います。
 自分でもできないと思い頼まれたこともない私は、人にものを上手に教える才能に恵まれていない。
 だがしかし、経験からくる助言くらいはできるのではと先日、ふと思った出来事があったので、全ての作家志望の方に当てはまることではないのですが、こういうこともありますという話をしてみようと思います。
 私はこのペンネームで仕事を始めて、多分今年で24年目……多分。初期の私は何処がデビューなのかも曖昧で、多分あれが最初に商業誌に自分のペンネームが載った仕事だなという記憶はあるのですが、手元にも残っていないし雑誌名も思い出せません。BLではありませんでした。
 そりゃどういうこっちゃと思われるでしょうが、それは自分の話になるのでまたの機会がありましたら。
 今回は、出版不況の昨今ハイリスクハイリターンのハイリスクが高まるばかりの商業作家に、それでもなりたい方へ、もしかしたらお役に立つかも知れない経験談です。

 先日、Twitterで友人漫画家の最初の商業誌カラーを覚えていると私が言ったことから、その友人が何故その最初の商業誌カラーを私に電話で報告してくれたのか、理由を友人が語ったことにより私も思い出しました。お互いツイートしていますし、お名前を伏せる理由は特にないですが、ツイートは流れるけど日記は残るものなので伏せておきます。
 二十年前、私が友人を某誌に紹介して、そこでカラーが決まったので友人は報告の電話をくれたのだなと、やり取りの中から私も思い出しました。
 その友人のツイートを見て、私と彼女には、その紹介の件について認識の極端なずれがあることに気づきました。
 今、大人気作家である友人が、「デビュー当時で仕事もなく実力もなく」というようなことを言っていて読者の方も驚かれたと思いますが、彼女が言ったような理由で私は彼女を某誌に紹介したのではないのです。
 もちろん二十年経っていますから、技術的にも情操的にも年月分の進化はあるでしょうけれど、当時も充分彼女は魅力的な作品を描いていたし、精力的に作品も描いていました。
 そして、私は実は彼女の他にもたくさんの友人を、様々な出版社に紹介して、デビューしてもらったりステップアップしてもらったりしていました。
 私はもしかしたらそういうこと疎そうに見えるかもしれません。他者からの私のイメージはわかりませんが、当時はこうして彼女を某誌に紹介したことさえ今ではうっかり忘れるほどの友人たちを、次から次へとあっちゃこっちゃに紹介していました。
 理由があります。
 あ、一応言っておきますが、完全なる趣味でそれはやっていました。何処からも謝礼はいただいていませんし、ブローカーだったわけでもなんでもないです。
 私はBLではない仕事でBLの夜明け前に商業誌の仕事をしていたので、各社がBLに乗り出したときに橋渡しができたというのもあります。某社の某誌に至っては、創刊のための立ち上げを手伝い、編集者、作家のほとんどを紹介して、私はさよならしました。なんでさよならしたかというとそれは漫画誌だったので、立ち上げだけを手伝ったわけです。
 その後も、友人たちの紹介を好んでしました。紹介した先のことは自己責任でお願いしますと関わらなかったけど、みなさん紹介した甲斐がある仕事をなさってくれました。
 私はそんなにものを見る目があるわけではないのに、幸運にも才能のある友人たちには恵まれていました。なかなかデビューが決まらず私がきりきりしてもしょうがないけどきりきりしていた友人も、今は引く手あまたです。その友人は、今思えば別に私がなんもせんでも今のように人気作家になっていたことには間違いありません。
 今回当時のことを思い出して、何故「自分は当時実力がなかった」と思っている彼女と私に認識のずれがあるのかに気づきました。
 彼女だけでなく、何人かに対して本当に余計なお世話ですがあの頃手伝ったことは、
「もしかしたら今の出版社、今の担当さんと合わないのでは? そんなに実力があって魅力的なものを描いているのに、仕事がないのは普通におかしい。目先を変えて、違う担当さんに会ってみない?」
 というようなことをしただけです。
 具体的に言うと、大手の少年誌に投稿し続けて、担当がついたものの全くデビューさせてもらえないままかなり時間が経っている友人がいました。
 私は彼女の投稿作を読んでいたので、これが商業レベルではないのは、出版社もしくは担当さんと気が合わないんだろうなあと思って、青年誌の編集さんを紹介しました。
 その編集さんは彼女の作品を読むなり顔色を変えて、
「ここから先は私とその方でやり取りさせてください」
 と瞬く間に彼女の担当編集者となり、あっという間に大々的に彼女を最良の形でデビューさせた。
 Twitterでやり取りしていた友人も、そういうことです。
 デビュー当時なので今より未熟なところはもちろんありはしたでしょうけれど、彼女を生かせる編集さんに出会えてなかっただけなので、私がしたことはちょいと橋を渡しただけです。
 この話の何が、新人さんのお役に立つかも知れないと思ったかというとですね。
 私の友人たちには何人かいましたが、投稿や持ち込みスカウトで担当さんがついて、その担当さんの元で何年もどうにもならない状態が続く場合があります。
 それはもしかしたら、残念ながら作家本人に才能の目がない可能性ももちろん充分あります。
 でも今上げた例のように、この担当さんが私を唯一デビューさせてくれる人、生かしてくれる人だと、勘違いしてる場合もあるかもしれません。
 あなたがもしそれなりの才能があって、努力をしていていいものを描いていたとします。
 だけどあなたの担当さんが、真逆のものが好きな編集さんである場合があるという話です。
 これはその編集さんが悪いのではありません。
 好みが違う。相性が合わない。それだけです。全てのヒット作の内容に一貫性はないですよね。
 でもそこが合う合わないということは多分とても大事で、たとえばあなたが東の方角に向かってとてもいいものを創れるのに、担当さんの行きたい好きな場所は西なので、全力で西に行きましょうと東に向いているあなたを改変されていることもあるのです。
 それではせっかくの才能が生きない。
 若いうちやデビュー前に自分でこのことに気づくのは難しいですが、もし膠着状態に陥ったときは、たった一人の好みの合わない人に向かって作品を発信し続けている可能性も疑ってみてください。

 私自身にも、こういったことはありました。
 実は「毎日晴天!」は、最初はキャラ文庫から発行される予定ではありませんでした。
 某レーベルさんが、
「シリーズをやりませんか」
 と声を掛けてくださって、丁度家族ものが書きたいと思っていたので、シリーズの原型になるプロットが手元にありそれを渡しました。「毎日晴天!」の次巻は「子供は止まらない」というところまで、私のプロットでは最初から決まっていたことでした。大河と秀の話から始めて、次は勇太と真弓の話にすると内容も設定も細かく決めていました。
 ところが某レーベルさんは、どうしても1巻を「子供は止まらない」から始めたいとおっしゃいました。
 私はとにかくいつでも強情なので、テコでもこの提案に頷かず、スタートを切れずに話し合いは平行線のまま時間が過ぎました。
 私は勇太と真弓の話から始めることを受け入れられず、行く当てもないのにプロットを引き上げるところまで来ていました。
 そこに、キャラさんが現れて、私がこの話をすると、大河と秀の話から始めさせてくださるとすぐに快諾してくださいました。
 某レーベルさんには、
「1巻から書かせてくださるところがあるので、このプロットは下げさせてください。また機会があればお仕事ができたら嬉しいです」
 とお話しして、今回はご縁がなかったのですねとお互い納得して完全にプロットを下げさせてもらいました。
 その後この某レーベルさんと私は一度もお仕事をしていませんが、じゃあこのレーベルさんが能力がないのかというとそうではなく、大きなヒット作も人気シリーズもいくつも排出しています。
 私はたまたま合わなかった。本当にそれだけの話です。
 結果、私にとっては最良と思えるキャラ文庫で「毎日晴天!」をきちんと大河と秀の話からスタートできて、お休みもしたのに現在も続けさせていただいています。
 あのときのことを振り返ると、たらればになりますが、がんばって勇太と真弓の話から始めても、こんなには続かなかっただろうし、何より二宮先生という最高のパートナー(私が勝手にそう思っている)に引き合わせていただくこともなかったと思います。
 このシリーズをスタートしようとしていたときに、私がキャラの担当さんと出会えたことはただ幸運でしたが、どうしても子どもたちの話から始めたいという提案にそのときまで長く頷かなかないでいたことは、自分を褒めたい判断だったと思います。
 大きなレーベルだったし担当さんは乗り気で、「その方がきっと注目される。売れる」という気持ちで考えてくださったことであり、好意からの改変提案でした。
 頷かなかったのは、判断できたというよりはただ私が強情だったからとも言えます。

 間違った判断も、たくさんしてきました。
 一番間違っていたと思うのは、仕事があることが嬉しい、書くことが楽しい、そして体力があるという状態に任せて、インプットする時間や休む時間を作らないまま、何年もひたすらアウトプットし続けたことです。
 こういうアドレナリンが出ている自分を止めることは難しかったと思いますが、
「もう少し仕事をセーブしては」
 と助言してくれた方もたくさんいたのに、耳を貸さずに結果、長く休むことになりました。
 休んだきっかけはプライベートで心身ともに参ることがあったからですが、そこからの小説休業が何年もに及んだのは、空っぽになるまでアウトプットし続けてしまったからだろうと今は思います。
 そのときには気づけなかったし立ち止まれなかったけど、今は大きく後悔しています。
 あの、「もう二度と小説が書ける気がしない」という気持ちのまま何年も過ごすということは全く経験する必要がないと思うので、できればアウトプットが続いて自分が疲弊していると気づいたなら少し休むことは強くおすすめします。

 歳を取って、この仕事を何年もして、失敗もたくさんして、もしかしたら同じ轍を踏まないように気をつけてくらいのことは言えるのではと思い、この日記を書いてみました。
「私いいものを書いているのに認められない!」
 くらいの勢いの良い気持ちがもしあるのなら、一度本気で認めてくれる人を探してみてもいいのではということ。
 フリーで仕事をしているのなら、リスクを負うだけでなく、そういうメリットも最大限に活用してもいいかと思います。
 そして何より、波に乗っているときでも休憩とインプットは、アウトプットの一部だと気づきましょうと、そんな話でした。
 私は今はそこそこ頑張れてると思いますが、今後あのときのようにはならないように、充分気をつけていきたいです。
  1. 2016/11/16(水) 18:55:00|
  2. 日記

「一つのことに、二つの気持ち」

 最近頻繁に思い出すことがあるので、冬の初めの日記です。
 何故このことを思い出すのかはわからないです。日記にはアメリカ大統領選挙や「ミス・サイゴン」も絡みますが、この件を度々思い出すようになったのはもう少し前からです。よく思い出すので書いてしまおうと思う。
 今、「ミス・サイゴン」上演中に読み終えたいなと、「憎しみの子ども―ヴェトナム戦争後のもうひとつの悲劇」キエン・グエン著を読んでいます。まだ半分。ベトナム戦争後の、革命に倒された側である著者の子ども時代からのノンフィクションです。「ミス・サイゴン」のジョン役上原理生さんが読んで欲しいとブログに書いていらっしゃったので、読み始めました。
 最後まで読まないとわからないけど、今のところホー・チ・ミン側の共産党が悪魔のよう。それは著者が共和党側の富裕層で何もかもを革命で奪われて、手におしろいをはたいていた高慢な母親が、共産党側に立った庭師やメイドに酷い目に遭っているからなんだけど。
 でもあのアメリカがあきらめた戦争の結末だよと、共産党側の言い分も聞きたいと思うけれど私が見ているベトナム戦争ものはだいたいアメリカ発信。グエンもアメリカに渡っている。アメリカ発信のものはアメリカは間違っていると描かれていたとしても、ベトナム・コンバットはまるで人ではないかのように狂ってることが多い。そうなのかな? 違うんじゃないかな? そちらがわからちゃんと見てみたい。ベトコン側から。
 頻繁に思い出すというのは、二十代始めのころに読んだある雑誌と、本のことです。
 ある雑誌というのは今も存在するしチャンネルもあるけど手元にないので、伏せて書きます。記憶で書くから伏せるのです。記憶というものは自分の記憶も書き換えられるので信用ならぬ。
 美しい写真で世界のあらゆる国の自然、文化、内乱などを伝える雑誌です。興味が向いたときに読んでいました。その号はたまたま買った。世界的な、社会的な雑誌だと思います。アメリカ発信だけど日本版もある。
 巻頭に見開きで、痩せた下半身不随の男性を、少年が背負っているとても美しい写真が載っていました。
 記事はインドのカーストを伝えるもので、「厳しい自然の中で、障害を持って生まれて来たら生きてはいけない。だからたとえば下半身が不自由なら、何かしらの神のような存在として高いカーストになる。そしてその人を背負う役割のカーストがある。人を生かすために、カーストとは必要なものだ」というような内容だった。
 写真の荘厳さと記事の筆力から、私も若かったのでそのまま、
「なるほど気候や土地に即して必要なものなのだ」
 と思ってしまうのは簡単だったような気がします。
 けれどそのとき、「花嫁を焼かないで―インドの花嫁持参金殺人が問いかけるもの」など、インドのカーストが低い女性がカーストの高い男性に嫁ぐときに、親は不安で不安で高い持参金を持たせるけれど結局人とも思われていないので持参金だけ取られて花嫁は生きたまま焼かれてしまうというノンフィクションを読んでいました。この件には深い関心があって、他にも当時のカーストがもたらず残虐な事件を書いた本を何冊か読んだ。
 怖いことだなと思いました。
 美しい写真と素晴らしい筆致で書かれた文章だけを見ていたら私は、
「カーストは必要なものだ」
 とその言い分だけが正しいと思い込んだかもしれない。
 手元に「花嫁を焼かないで」があって良かったと思う。
 あまりにも前のことでここは記憶が曖昧なのですが、私は先にこの記事を読んで友達に話したんだと覚えています。そしたらその友達が「花嫁を焼かないで」をくれたような気がする。
 もちろん、障害のある方を背負う方は必要な土地なのかもしれません。それ自体が間違っているという話ではなく。
 二つの立場で物事が揺れるのなら、両方の事情、気持ち、大きな命のやり取りをちゃんと知りたいと思った最初のできごとでした。
 先日、アメリカ大統領選挙がありました。
 トランプを指示する人々の言い分も読んだ。
 そうすると、その白人層の貧困は何故始まったのかと私は考える。
 けれどそもそもという話を始めると、欧米やイスラム圏では、ユダがキリストをというところまで遡ってしまうこともありそれは建設的ではないと思う。
 ただ、強い言葉や虐げられた人からの言い分だけを聞いてしまうと、
「そうか」
 と納得してしまったりしやすいです。
 こういうとき何かに対して「そうか」と思ったら、反対側の気持ちを探れたらいいなと思う。
 「憎しみの子ども―ヴェトナム戦争後のもうひとつの悲劇」は最後まで読み終えてからまた感想を書きます。反対側の気持ちがわからずに終わったら、革命側から書いたものも読みたい。
 「ベトナムよちよち歩き」のためにベトナムに行ったころには、まだまだ戦争の爪痕が生々しかった。あれから二十年が経って今ベトナムが何処に向かっているのかも、できれば自分の目で確かめられたらと思います。
 友達の言い分とかもこうなんじゃないかなと思う。
 一方の言葉だけ鵜呑みにするともしかしたらいつか大きな後悔が待っているかもしれない。
 かもしれないというか、最近自分が追わなかった友人の言い分を尋ねなかったことを後悔しているので。
 そういう後悔は、とても大きいという話でした。
  1. 2016/11/15(火) 00:09:03|
  2. 日記

「レベッカ・ストリート」(ディアプラス文庫)10月10日頃発売/10月1日初回特典情報追記

 10月10日頃、「レベッカ・ストリート」(新書館ディアプラス文庫)が発売になります。
 ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、この本は1995年にノベルとして発行されたものです。
 10年くらい前から出し直したいというお話をいただいていて、この10月に文庫化されることになりました。
 「HARD LUCK」の文庫化の時にほぼ手を入れなかったので、そんな感じになるかと思い安易に快諾して、結果、一文を除いて全文を書き直しました。
 じゃあ違う話になったのかというと、話は変わっていないと思います。
 こんなにも書き直すことになると思わなかったので、書き直している間中、
「担当さんは何故この話を欲しがってくださったの? こんなことになるんだったら新しい話を一から書いた方が良かった!」
 毎日そう思いながら地獄のような夏を過ごしておりました。終わりが見えない。何度も頭に戻る。
 けれどようやく直し終えて、今この物語と向き合って良かったと思いました。
 実際に書いたのは22年前になりますが、私は今もそのときと、書きたいことは何も変わっていないと知りました。
 今の私がもし多少飲みやすいカルピスだとしたら、「レベッカ・ストリート」はカルピスの原液みたいな物語です。私にはとても、大切な物語でした。
 しかし若書きというやつで、何もかもがふわっとした知識で書いてあり適当な状況描写が乱舞していて調べ直したことも多く、一ヶ月掛かりました。
 舞台は、1996年のニューヨークです。当時はそのときリアルタイムのニューヨークだったわけですが現代に直せない理由があり、90年代のニューヨークのままで書き直しました。
 ノベルの時のイラストは、高口里純先生に描いていただきました。アシスタントとして友人がたくさんお世話になっていて、その友人たちから先生が今仕上げているイラストがどんなに素敵か電話をもらったりしたことを思い出して、少し涙が出ました。
 今回美しいイラストをくださった珂弐之ニカ先生は、BL文庫の挿画を担当するのは初めてとのお話です。
 何か、感慨深い気持ちになりました。
 この物語にはシンとハルが登場しますが、「HARD LUCK」のパラレルのシンとハルで少し違う二人です。けれど思えばシンとハルも、松崎司先生、高口里純先生、峰倉かずや先生、そして今回の珂弐之ニカ先生と四人の素晴らしい作家さんに描いていただいてただありがたいばかりです。
 脱稿した日に担当さんから、私の書いたもので最初に好きになってくださったのは「レベッカ・ストリート」だったと聞きました。その話は初めて聞きました。
 長いおつきあいの担当さんの手元から新しく「レベッカ・ストリート」が出ることが、私自身とても嬉しいです。
 この話には、書きたい続きがありました。プロットも書いてないのに22年経ってもまだその話を覚えていて書きたいので、それも書かせていただくことになりました。続きの刊行は、来年を予定しています。
 カルピスの原液、どうかよろしくお願いします。

●10月1日追記●
 見本誌が届きました。いつになく捲るのに勇気が要る本です。それだけ力を込めました。
 本編には書き下ろしがあります。カイルと幸也の出会い、つきあい始めの話です。

 そしてディアプラス文庫恒例(なのかな?)初回特典ペーパーもあります。
 こちらは本編のあと、クリスマス前のカイルと幸也の短編です。本編が割となんというかこう寒めなので、付録短編は二人にしてはかなりの甘めにしました。かわいい話になりました。
 このペーパーは私の感覚で言うのは危険ですが、すぐになくなるということはないように思っていますが……お近くの書店さんを訪ねてみてください。書店員さんも全ての販促物を把握し切れていない場合があるので、該当書店さんでもしペーパーがついていなかった場合その場で申告してね。
 WEB書店での通販もあります。お近くに協力書店がない場合は、WEB書店をご利用ください。
 読んでいただきたいペーパーです。
 よろしくお願いいたします。
「レベッカ・ストリート」特典情報
「レベッカ・ストリート」初回特典ペーパー協力書店さん一覧

rebek.jpg

 
  1. 2016/10/01(土) 13:14:03|
  2. 告知

「夏の終わりの日記ですよ」

 釜石に行ったのが七月の末で、そのときのことをずっと書きたいと思っているのですが。なかなか、冷静な気持ちで書くのが難しい。そこに台風が来て、なんとも。現地の方にできることなど伺ってから、改めて書きたいと思います。静かな気持ちで書かないと聞いてもらえないこともあるよねと思う。聞いて欲しいことがたくさんあった。

 そして一つ前の「音源を探しています」をそろそろ削除しようかと思っています。申し訳ありません。見つかる気配は今のところないです。

 この音源問題と、無断上演問題が重なってさすがに気持ちが参っていた時期がありました。
 無断上演についてはここで改めて申し上げますが、私の個人的な感情です。言ったら契約とは無関係です。
 たとえば他の作品の同人誌が送られてきても、私は楽しく読んでいます。それは他の作品を軽んじているのではないのです。
 この戯曲だけは駄目なんです。私は本当にいやなの。いやだって言ったはずなのにどうして、と。
 そういう、契約とか権利とかではない感情のことなので却って参りました。

 そんな感じで低空飛行で、夏場都内の百貨店に入りました。
 広い食品売り場の日本酒コーナーで四合瓶を一本買って、煎餅屋に移動しました。
 この話、お金のある人の話だと受け取らないで欲しいのですが。できればまっすぐ、人ってという話として届くことを願います。
 煎餅屋までは日本酒コーナーから遠く、そこで贈答用お煎餅の熨斗の宛名書きを書こうとして、床に日本酒の入った袋を置きました。
 角度が悪かったのか、見事に二つに割れてしまった。
 こういう気持ちが落ちてるときに物が壊れたりすると、十倍くらい参る。
 百貨店の中で買って百貨店の中で割ったので、もしかしたら日本酒コーナーにこのまま戻れば新品と変えてくれるかもしれないとは思いました。
 百貨店って、いい意味でそういうものだと私は思っています。値段が張る理由は、信頼とアフターケアで、時にはやさしさ。やさしさをお金で買うのかって話になるかもしれませんが、長くつきあえば信頼関係ができて、しない無理をしてくれたりすることもあるのが百貨店なんじゃないかと私は思います。気持ちがあるかないかを信じるのは、受け手次第。
 この百貨店の話と、私が接客していただいた女性のことは関係ないともあるとも言える話です。
 前二つの件ですっかり疲弊していたので、私はもういいという気持ちになりました。変えてくれるかもしれないけど、割れたのではなく、自分で割ったのは確かだし変えてもらうのもと思って、
「大変申し訳ないんですが、このまま処分だけお願いしてもいいですか?」
 煎餅屋の店員さんにお願いしました。
 二十歳くらいに見えました。とても若い女性でした。
 随分長いこと、彼女は考え込んでいました。
「これ、お預かりしてもいいですか?」
 私が割った日本酒を持って走って行きました。
 長い時間が経って、彼女は厳重に包まれた同じお酒を持って戻って来ました。
「お気を付けてお持ちください」
「でも私、自分で割ったのに」
「宛名書きしていただくときに、お預かりしなくて申し訳ありませんでした」
 その上頭を下げてくれました。
「ありがとうございます」
 お礼を言って、お酒をいただきました。
 これは私の想像ですが。
 彼女はとても若かったし、私が「処分してください」とお願いしたときにかなり長く考え込んでいました。
 新品と変えてもらえるかどうかはわからなかったけれど、彼女の考えで遠い日本酒売り場まで走ってくれたのではないでしょうか。
 自分で一生懸命考えて、答えがわからないかもしれないのに走ってくれて、息を切らして戻ってくれた彼女の勤めているこの店舗、この百貨店でまた買い物をしようと思いました。
 これは何処ででも言えることです。何処ででも、またお願いしたいという人に出会えたら仕事をお願いしたいです。
 疲労や落ち込んでいた気持ちも少し晴れて、後日百貨店宛てにお礼のメールを書きました。
 人材ってこういうことなのかなと思ったりしました。
 ふとやさしくされるとただ嬉しい。ただありがたい。
 書いておきたかったので、夏が完全に終わる前の日記でした。
  1. 2016/09/04(日) 20:42:12|
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