菅野彰

菅野彰の日記です

「オーディオドラマの音源を探しています」

 大山鳴動して鼠一匹出ずという可能性がとても高いので、どのようにこの記事を書いたらいいのか悩んでいたのですが。
 「デコトラの夜」のオーディオドラマの音源を探しています。
 すみませんがなるべくコンパクトに、ご説明させてください。
 このオーディオドラマに、私は原作者としてではなく、原作の帰属する出版社の許諾を得て脚本家として参加しました。時間としてはかなり前のことになります。
 発注元はA社、制作はB社で、出版社とは関わりなくフリーで受けたイレギュラーな仕事です。
 何故そんな仕事を受けたのかと言われれば、オファーを持ってきた仲介者を信頼してのことでした。当時私はオーディオドラマの脚本をいくつかやっていたということもありました。
 このオーディオドラマには完パケ(編集されてSEが入り商品として成立する完成品)が間違いなく存在するのですが、私の手元にはなく聞くこともできていません。
 私は脚本家として雇われただけなので、この完パケに対して私には一切権利がないのです。完パケは「世界に一つ」の状態で発注元に制作が渡すのが契約で、A社以外の何処も持つことができません。
 仲介者を通してこの完パケがどうなったのか何度か確認して来ましたが、ただ時間が過ぎてしまい、私自身が動こうと決めたのは去年でした。
 B社は確かに完パケを渡したけれど、A社は存在しないとの答えです。
 この辺の確認の経緯は、申し訳ありませんが考えるだけで疲れるので割愛させてください。
 どうしてこの記事を書いたのかというと、この完パケが持ち出されて誰かがダウンロード販売していたことが判明したからです。
 この件は、私には権利のない商品の話なので誰が販売したのか等追求はできないし、ごめんなさいそこまでは私もする気力がないです。
 ただ、この世にこの完パケが存在するとしたら、そのダウンロード販売で購入した方を探すしかもうないというのが現状なので、記事を書きました。購入した方は、このような経緯で販売されたことを知らずに買っているので、購入者に何か負債が生じることはないのでそこはご安心ください。
 大変申し訳ありませんが、もし購入して手元に音源が残っている方がいらっしゃったら、拍手コメントかサイトのメールフォームからご一報いただけないでしょうか。
 A社は権利を手放しているので、その音源が見つかれば今後どうするかをそれから新しい版元と協議します。
 出て来ない可能性が高いので、徒に皆様を騒がせるだけかと思い記事を書くのを躊躇っていましたが、後回しにしていいことでもないと思い書かせていただきました。

 この作品はもともと書き下ろし原作で漫画にしていただいたもので、私はそれを演出家指導のもとオーディオ用に脚本化しましたが、完パケに権利のない私がこの音源を探している理由は一つです。
 二人の役者さんがアフレコしてくださいました。
 お二人ともキャリアも実力もある方でしたが、演出家が映像畑の方で、普段は受けないようなダメ出しとリテイクを繰り返されたのではないかと思います。予定の収録時間は大幅に過ぎて終電もなくなりスタジオには酷い緊張感でいっぱいになりましたが、お二人とも愚痴一つ言わずに熱演してくださいました。
 深夜に収録が終わって、明日も朝早くから別のお仕事だというのに、役者さんの一人が留まってくださいました。
「とても勉強になる仕事で、自分はこの仕事で実力がついたと思います。この仕事ができて本当に良かったです。ありがうございました」
 深く頭を下げて行かれました。
 かなり前のことですが、そのときのことは忘れようもなく、それで音源を探しています。
 ファンの方にも届けたいし、何より私も聞きたいです。
 心当たりのある方は、お知らせください。
 どうかよろしくお願いします。

 最後に、大変身勝手ながらお願いがあります。
 検索するともしかしたら、この二人の役者さんがどなたなのかはわかってしまうかもしれません。その検索から出てくる会社は、持ち出してダウンロード販売をした会社ではありません。制作元に当たります。
 けれどどうか、騒がないでいただけたらと願います。
 まず完パケが出てくる可能性は残念ながら低いです。ダウンロード販売は短い期間に行われたようで、買った方がいたのかさえ不明です。
 そしてその音源が出て来たとして、使い物になる状態なのか、また音源があれば販売を考えると言ってくれている版元が実際どうするか。販売することになれば、予定の販売方法と異なるので役者さんの事務所と契約を交わし直さなければならず、今のところこの音源をお届けできる可能性は高くはありません。
 そういうものがあるのなら聞きたいというファンの方に、期待だけさせてしまうのは心苦しいです。
 出てくるにしても出てこないにしても、あのときの役者さんたちには謝罪してもしたりません。過酷な収録を見ていたので、音源が完全になかったらと考えると思うと私も言葉がないです。
 今後はこういった仕事を安易に受けないことを、強く心に留めていきます。自分には権利のない音源だと思わずに、原作者としてもっと早く動いていればと心から悔やみます。役者さん、ファンの方には謝ることしかできません。本当にごめんなさい。
 お騒がせする事項が続いて申し訳ありません。
 しばらくこの記事を置いて、どなたからもご連絡がなければ削除します。
 重ねて、よろしくお願いいたします。
  1. 2016/08/21(日) 13:30:32|
  2. 告知

「舞台bareと、過去と未来とそんな話。そうだ明日は選挙だタイムリー」

 まず最初に、昨日この日記を読んでしまった方、本当にごめんなさい。
 Twitterで舞台「bare」の土地を「マサチューセッツ州の」と自分で書いているのに、日記ではミシシッピ州になっていて、昨日の日記の中では無意味にアメリカ南部の話を結構してました。古い時代の、それも封建的な土地柄での出来事だなと思ったことから、自分の中でミシシッピ州に置き換えてしまったんだと思います。こういうことがあるから自分の記憶は本当に信用ならない。人は都合良く物事を置き換えることがあるのだな!という礎にせめてしてください。すみませんでした。
 マサチューセッツは北部だし、ハーバード大学などがあるところで、そうだ登場人物たちは大学進学の話をしていたと思い出しました。
 アメリカは南部と北部で多分大分意識が違うので、土地を間違えたから時代も勘違いしていたら怖いと思い日記を一度閉じました。
 でも明日は選挙でちょっと関係ある話かなとも思い、私は観ていて80年代90年代の話だと思ったので私の主観だということで「bare」の感想とともに、人の思いやりの進化みたいなお話におつきあいいただけますと幸いです。


 先日一仕事終えて、「bare」「ジャージー・ボーイズ」「エリザベート」を観劇しました。ミュージカルばかりやないかい。
 それで「bare」について、私の思うところですが友人三人に続けて説明のようなことをしたので、もう日記に書こうかなと思い日記に書くよ。
 公演もあと二日です。チケットも完売状態だったりするようですが、当日券も出ているようなのでご興味を持たれましたら是非シアターサンモールへ。
 なんの先入観も欲しくない方はもちろん読まない方がいいです。過程のことを書いていますが、内容にも触れております。

 パンフレットも買ってサイトもあちこち見たのですが時代表記が見つけられず、私は初見でしたが始まってすぐなんとなく、
「80年代か90年代初頭くらいの話かな?」
 と思いました。
 これはなんか、なんとなくです。若い頃そういう舞台をたくさん輸入して見せてくれたのは青井陽治だった。名作もあったし、私には共感できない作品もあった。でも日本にいては観られないものを、とにかくたくさん見せてくれた。
 20世紀の先進国のトップを走っているアメリカで、マイノリティであることがどういうことかを、翻訳舞台を通してたくさん教わりました。
 他にも映画「トーチソング・トリロジー」や「カーテン・コール」等が、90年代の初頭にゲイであるということは、HIVに寄ってすぐさま死をもたらせられる可能性に怯えなければならないと教えてくれた。HIVが蔓延し始めたこの頃は感染はそのまま死を意味して、感染経路や治療方法について落ちつくまではたくさんのデマも飛び交い自分も信じた記憶もあります。日本の献血ルームには「同性愛者お断り」と書かれていた。みんなまだわからなかった頃です。映画の中のニューヨークの日常は、毎週末が誰かのお葬式だった。
 ゲイヘイトから、無残に殺される人々もいました。これは現在もゼロにはならない。

 「bare」に戻ります。
 脚本、作詞、作曲のジョン・ハートミアとデーモン・イントラバルトーロはパートナーなのかな? ハートミアがこれを書き上げたのが22歳で、アメリカ初演が2000年だということは80年代は言い過ぎなのかな。80年代を経験した人ともにある物語だという前提で語ります。確証はない。
 80年代がどんな時代だったのか、わかりやすいのは映画かなと思うのですが。
 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の公開が1985年です。パート2が5年後かな(この辺は適当に記憶で許して)。主人公のマーティが未来と現在を行ったり来たりする中で、2015年の未来も登場する。そこで黒人(アフリカ系アメリカ人と表記するところかもしれませんが、時代や意味合いも鑑みてこの後も黒人と表記します)市長になっている人物が、80年代ではハンバーガー屋かなんかの店員をしている。
「あんたは未来の市長だ」
「黒人が市長になれるわけないだろ」
 この会話は、マーティがどれだけあり得ないような未来と現在を行き来しているかを当時わかりやすく表す象徴で、80年代は黒人の市長なんてどんだけ未来なんだよと観客に思わせる社会だった。
 2016年の現在、オバマ大統領の任期が終わろうとしています。彼は自分が完全な黒人とは言えないことに苦悩さえしたことがある。それが30年後の今。

 何処にも記載がみつからないので論拠がないままに、80年代か90年代くらいかなという感じで「bare」について語ります。
 マサチューセッツはアメリカ国内では同性婚を認めるのがアメリカ国内でもっとも早く、2004年だったと昨日の公式ブログに書かれていました。北部なので人種間同士の結婚を禁じることなども早くにやめたことでしょう。昨日南部について触れたのは、ミシシッピ州でこの法律が撤廃されたのが1987年だということです。アメリカの古い映画や老夫婦の過去の回想には、黒人と白人の結婚を禁止され州を追われ、家族と断絶したエピソードもいくつも出てくる。
 もちろん、同性愛などもってのほかと、そういう時代、そういう土地がいくつもありました。過去のように語っているけれど、これらのことはまだまだクリアにはならない。
 少し前に、アメリカの都市部ではカミングアウトという概念がなくなったというツイートを見かけました。本当なら素晴らしいことです。それなら現代のニューヨークやロサンゼルスでは、ピーター(私が観たのは橋本真一)はジェイソン(私が見たのは鯨井康介)を、
「ママ、僕の愛する恋人だよ」
 と紹介して、
「あらなんて素敵な人なの。いい恋人を見つけたわね」
 それで終了です。
 ジェイソンもピーターを家族に簡単に紹介できる。愛する人として。
 もちろん現代の都市部でもそうではない家庭はいくつもあるでしょうけれど、社会が今LGBTQに対して差別をする者をむしろ軽蔑するという風潮になりつつあると、個人的には感じています。当事者じゃないので、外側からの感覚でそこは申し訳ないことです。
 具体的には私は出版物の中で、「ホモ」「レズ」と書くことを控えることを求められ始めていて、理由がない限りは応じています。侮蔑語だからです。「侮蔑されている者」という意図では表記することは今後あるでしょうが、何処かで誰かが傷つく言葉であると、私が仕事をしている先では認識されています。
 少なくとも、80年代90年代と現代はまるで違う。
 黒人の市長もあり得ない、いくつもの州で黒人と白人の結婚は法的に禁止されている。
 そして何よりアメリカ人の多くはキリスト教徒で、生まれつきそこにいる絶対神がお赦しにならない。
 神に赦されない彼らの恐怖と不安は、私には学んでも学んでも寄り添うことのできないものです。
 洋画が好きなので、若い頃から何度も「聖書を読み解く」「キリスト教と生きる」というような本を読んできました。「あした咲く花 -新島八重の生きた日々-」を書いたときには、会津戦争を闘った武家の娘だった八重がプロテスタントになるということが全く理解できず、本を積み上げどうして八重は神に救いを求めたのかを考え続けました。あの本を書いたときの一番の難関はそこで、私は今もそのことについてはちゃんとは理解できていないです。
 でも洋画や洋ドラを観ていると、キリスト教徒にとって、
「神がお赦しにならない」
 ことの負の圧力の大きさが計り知れないことはわかるし、最後に悪魔が出て来て物語を突然全て終わらせてしまったりする。
「なんなの? この悪魔が全部終わらせる話」
 意味がわからんと思っていたら友人から、
「生まれたときからキリスト教徒である者には、悪魔は本当に恐ろしいものなんだ。ギャグじゃないんだよ」
 そう教えられて、輸入される物語を理解したいので学んだけど、未だにきちんとした共感には至っていません。
 ただ、全寮制の、神父がいてシスターがいる高校の生徒であるピーターとジェイソンにとって神がお赦しにならないことがどれだけ重いのかは、なんとかわかる。
 ピーターはジェイソンを愛している。
 ジェイソンも心からピーターを愛していると、私は受け取りました。
 ジェイソンは、スクールカーストの頂点にいる男子です。卒業劇の「ロミオとジュリエット」では、ジェイソンがロミオをやるのが当たり前。カリスマ的存在で、かっこよくてみんなジェイソンに一目置いている。きっと幾人かはジェイソンが、足下を掬われればいいと思っている。
 ジェイソンには双子の妹ナディア(私が見たのはあべみずほ)がいます。ナディアは多分、生まれつき太っているのでしょう。太っているだけで、競争社会からはもうドロップアウトです。スクールカーストの頂点にいる美人女子アイヴィ(私が見たのは増田有華、歌上手かった!)への厭味や距離は激しくあるけれど、ナディアは自分の人生はもしかしたらもうあきらめている。ジェイソンが好きで、ジェイソンが自慢の兄。両親もジェイソンのみへの期待と信頼がとても大きい。
 20世紀の終わりと思われる時代に、ジェイソンが「ゲイだ」とカミングアウトすることで失うものの大きさは計り知れないと想像がつきます。
 立場、家族、友人、もしかしたら大学への進学、引いては未来の何もかもをジェイソンは「ピーターを愛している」の一言で失うかもしれない。
 一方、そんなに目立たないかわいらしいピーターは、母親へのカミングアウトを強く望んでいます。母親クレア(秋本奈緒美)は、ピーターが幼い頃にはもうピーターがゲイだと気づいていて、告白から逃げ続けている。夫との不和も、ピーターがゲイだからだと思っているし、それは間違いなくそうなのでしょう。それでもクレアはピーターを愛しているからピーターの告白を受け止めたいけれど、聞くのが恐ろしい。私の愛する子どもが異端者だとわかっていて愛したけれど、それでも「僕は異端者だよ」と息子の口から聞くのが怖くて堪らない。
 一見ピーターは平凡でかわいらしいですが、私は強いのはピーターの方だと思います。ジェイソンほどではないけれどピーターも失うものはあるのに、「自分が自分であることを隠さない」ことを第一に望んでいる。
 この時代の(昔だと決めつけているが……)ゲイを題材にした映画等は、かなりの確率でパートナー同士がカミングアウトを巡って揉めています。
「自分はカミングアウトした。親にも縁を切られた。社会からの迫害も受けている。何故あなたはしないの。僕を愛していることが恥ずかしいの」
 ピーターの主張も多分、こんな感じ。
 ジェイソンにはジェイソンの立場があるんだから許してやれよと思うかもしれませんが、愛している人と愛し合っていると言えない苦悩は、ピーターにとって自分を隠して騙して嘘を吐くことそのものなのかと思います。
 ピーターが望むことは、タイトルのまま。
 「bare」。ありのまま、裸であること。
 アナと雪の女王は称賛されるのに、ピーターは簡単には歌えません。
 ジェイソンの選んだ結末に、もしかしたら納得が全くいかない方がいるかもしれない。
 日記を書いたのはそれでです。
 そうするほかない「とき」が確かにあったと私は思う。
 たくさんのジェイソン、たくさんのピーターがいて、LGBTQという言葉とその意味が認知されて、きっと20世紀よりは差別の少ない、アフリカ系の父親を持つ大統領が現れる21世紀がやってきた。
 それらのことをできれば知って、「bare」は観て欲しい。
 あと二日しかないけど。チケットないみたいだけど。当日券があったりなかったりするみたいだから。
 極端な話、ドラマ「ルーツ」に描かれたアフリカから攫われてアメリカで奴隷となったクンタ・キンテは、部族の誇りを失うまいと本来の名前を名乗り脱走を繰り返して、足の指を切断された。
 時が経ち社会は差別を許さない方向へ、確実に進化している。
 それはその差別と闘ったり、闘えずに命を落とした人々が礎になってある現在で、まだ今は過程の中にいる。
 もっと、不当な差別の少ない未来がきっとある。
 それは自然とやって来るのではなく、今を生きている自分たちで作っていくものだったと、「bare」を観て思い出せた気がしました。
 明日、7月10日は選挙です。望む未来を求めるために、たった一人自分の一票を投じられる日です。


 続きから以下は、隣で観た友人が疑問に残ったと言い、私は個人的にこうなのではないかと解釈したのですが、結末に関わるネタバレになり得ると思うので畳みます。
 観た方で「あれはどうした?」と思った方、私はこう思いましたがという話ですが気が向いたら開いて見てください。

 一応付け加えますが、私はただの観客で「bare」制作とは縁もゆかりもございません。
 あ、田村ピーターが観たかったんですが。
 理由は橋本ピーターは顔が可愛すぎるからです。
 それ田村くんディスってる、いやそうじゃないんだ。
 橋本くんはちょっと極端にかわいいと思うんですよ。
 心と心が求め合う話だと思うので、ピーターの容姿は普通よりちょっとかわいいくらいが丁度いいというのと、田村くんは私は歌が好きなので田村ピーターが観たかった。
 鯨井ジェイソンには、スクールカーストの頂点にいて失うものが大きいけれど、それでもピーターを愛しているという強い説得力を感じました。
 あとね、誤解を恐れずに言いたい。
 何もかもが安いです。
 でも安いと思って観るといいと思うし、キャストたちもまだ自分たちは安いと思って明日を頑張って欲しい。
 それを育てているのであろう原田優一さんのマリウスはとても高い。
 お金の話ではないけど、お金で考えてくれてもいいです。
 私はその安さと若さが爆発するのを堪能しました。
 貴重な時間でした。
 以下が続くです。 続きを読む
  1. 2016/07/09(土) 14:15:35|
  2. 舞台感想

「秋に呑み会がしたいの私」(満席ありがとうございます。締め切りました)

 満席ありがとうございました。締め切らせていただきました。
 すごいねみんな遠路ありがとう。是非周辺各地にも足を伸ばしてみてください。
 参加者名、希望席、等を書いた最終のメールはみなさまお返しくださっているでしょうか。

 もう二つ訊きたいことがあった!
 自己申告で、「私は酒呑みです!」と書いてくださっている方々がいらっしゃるので、酒呑みは酒呑みで固めて行こうと思います。何故なら飲み放題の日本酒が、片口で来るのです。片口で来て、それをお猪口についで呑むので、酒呑みで固まればいろんな種類の日本酒が楽しめます。
 「それ私申告していない!」
 という方は、改めて参加者名とともにメールください。
 そして飲み過ぎには注意です(私が言うのか)。

 もう一つ。年齢の幅が割と広いかもしれません。もし良かったら参加者の方、年齢をだいたいでいいので教えていただいても良いでしょうか? たとえば離れて過ぎている方隣同士とかに、あんまりならない感じにできたらなと思います。


 以前Twitterで呟いたのですが、秋に呑み会がしたい私です。
 何処でかというと、
 弦やさん。
 @genya_kitakata
 福島県喜多方市「弦や」です。
 二階座敷貸し切りで、3時間飲み放題で7500円だそうです。
 二階の収容人数は40人。
 会津までそんなに人が来てくれるかしら……。わからないけど試しにちょっと呼びかけてみる。
 四人くらい集まったら、それはそれでこじんまりと呑んでも私はかまわないのだが四人きりとか気まずいだろうかね?
 その辺は集まり次第で考えてみるね。八人の座敷もあるので、八人集まったらやろうかな。

 休日前日の6時スタートにして、会津若松市の宿にも電車で帰れる時間に終了します。
 私がご一緒するのは、この3時間の呑み会だけで、何をするのかというと酒(ソフトドリンクでも大丈夫だよ!)を一緒に呑もうというそれだけなんですが。
 本当にただの呑み会です。3時間まんべんなくみなさんと呑めたらなと思います。
 酔っぱらいに寛容な方は、よかったらご参加くださいませ。

 土日を絡めるつもりなので、祝日または有給などを使っていただけたら、その3時間以外は会津や、足を伸ばして宮城や岩手を旅行していただけたりなんかしたらありがたいなあと思っております。
 会津旅行の手引き
 宮城旅行の手引き
 岩手の海辺は今年の夏に改めて行きたいと思っているので、行けたらまた旅日記を書きますね。
 東京方面からは、高速バスが安くて楽ちんです。

 場所をオープンにしているので、日にちをクローズにします。
 参加ご希望の方は、拍手コメントからお名前(本名ではなくてもいいです)とメールアドレスと、以下の質問にお答えの上お問い合わせ下さい。私はパソコンメールで返信しますので、パソコンメールが受信できるメールアドレスで書き込んでください。
 こちらから日にちの提案をお返事します。

 以下の質問は、ただ日にちを知りたいとかそういう感じの通りすがりの方を避けるための質問です。
 もう一つ理由がありまして。
「でも一人参加は躊躇われる……」
 という方を、同じものが好きと言ってくださる方同士で席が同じになるように配置したらいいんでないの我ながら名案と思い、質問です。
 また、友達と二人で参加したいけど友達が菅野さんのことを全然知らないのですが! という方は、お友達がいいのであればそれもありなのでその旨ご記入の上、人数を書いてください。

 三十人くらい集まったら貸し切りできるのかな?
 そこまだ聞いてない。

 とりあえず様子見の投げかけです。

 では以下の質問にお答えの上、お名前、パソコンメールが受信可能なメールアドレスをご記入の上、拍手コメントから書き込んでください。私の拍手コメントは全て私にしか見えないように設定してありますので、ご安心ください。

質問1 私の小説の読者さんですか? エッセイの読者さんですか? 両方の読者さんですか?
質問2 上記の質問にお答えいただいたら、その中でお好きな本を三冊くらい上げてやってくださいませ。

 よろしくお願いします!
  1. 2016/05/22(日) 20:46:44|
  2. 告知

「できれば笑って読んでくれたら嬉しいです」

mi04.jpg

 これは私個人の素人考えですが、猫の巨大化は個体差の問題だと思います。
 何故私がそう思うのかというと、実家のお兄ちゃん猫ミイは、一時期10キロを超えていました。
 先代猫ニャン太と、ミイの妹分である蛍と雪は3キロくらい。
 しかしミイは8年前に、
「このままだとこの子死にます」
 と獣医さんに言われて、そこから病院で売っているお高い療法食を与え続けました。
 本当はその症状に該当しない猫にも同じ療法食を与えるのは良くないそうなのですが、
「ミイはこのおいしくない療法食を、蛍と雪はこの安くて美味しい普通のカリカリ食べてね」
 などと言っても猫は聞いてくれないので、ミイの命優先と言うことで、蛍と雪は巻き添えで高くて恐らく美味しくないのだろう療法食を食べてました。
 たまに切らしてしまったときに市販のカリカリを上げると三匹とも、
「やべーちょーうめーまじうめー!」
 みたいにガツガツ食べていたので、体に良い物はまずいのが世の常なんだなと思いました。
 その上ミイは、そんなに食い意地が張っているわけではありません。むしろ一番痩せている雪の方がすごい食いしん坊。お兄ちゃんも分もぶんどります。
 缶詰も駄目だと獣医さんに言われたので、缶詰は蛍と雪で半分こしてミイはいつも匂いだけ嗅ぐというかわいそうな中でも、ミイは10キロ超えたので私は猫の巨大化は単なる個体差なんだと思っています。
 でも個体差でも肥満はどんな動物でも健康には良くないので、寝ている時間が長くなっていくミイを見ていて、私はこの子はそんなには長生きしてくれないだろうとは思っていました。
 三月の末に私が都内にいたら、
「お姉ちゃんどうしよう。ミイの呼吸が荒い」
 そう弟からメールが入りました。
 ミイは十二歳です。そのときが来てしまったかと思いましたが、もしかしたらおしっこが詰まっているだけという可能性もあると考えました。
 猫は臓器が小さいので、尿が詰まっただけであっという間に死んでしまうことがあります。でも逆に、尿が詰まっているのなら獣医さんで処置してもらえばそこから長らえることも充分できる。
「すぐ病院に連れて行きなさい。お会計私が後でするって先生に言いなさい」
 弟は甲斐性なしなので、四万五万とかかることも考えられるから、無理だろうと思いメールを返しました。
 翌日夜帰宅すると、ミイのそばに母がいました。
「病院に連れて行った?」
 尋ねると母は、
「K病院がミイを連れてこないでくれと言うから、連れて行っていない」
 と言いました。
 K病院は、雪が便秘で長く掛かっている病院です。
 8年前にこのままだとミイは死ぬと言われたのもその病院だし、ミイはそのあとも一度そこで診てもらっています。
「そんなことあるの? 明日私電話してみる」
 確かにミイは呼吸が荒くぐったりしていて、でも尿が詰まっているなら少しでも早く処置してもらわないといけないのにと、弟にも獣医にも腹を立てながら私は寝ました。
 ミイは家では、私に押しつけられた双子の妹に酷い目に遭わされても怒らない、おっとりした大人しい猫です。日だまりの気持ちのいい一番のスポットがあってそこでまったりしていると、雪がテテテとやってきて、
「お兄ちゃんどいて」
 と体を押しつけられたら、すぐあきらめてのそのそどきます。
 蛍がやって来て、
「どいてよお兄ちゃん」
 とかなりの力でミイの横っ面を殴っても、怒らずにどいてしまうような猫です。
 母はその光景を見ては、蛍や雪からミイの居場所を取り返そうとしていました。
 ですが外に対しては、全く違いました。窓辺に来るよその猫にたいして威嚇するミイの声は私も腰を抜かすほどだったし、10キロあるミイが動物病院で暴れるさまは、家でのおっとりからは想像もつかない暴れっぷりです。
 それで「もう連れて来ないでくれ」だということは私も理解しましたが、そんな猫一匹抑えられない獣医がいるかと思い翌朝早くに起きて病院が開く前にK動物病院に電話をしました。
「連れて来るなら、診る前にまず全身麻酔を掛けます」
 そう言われて、連れて来て欲しくない理由をくどく言われたので「もう結構です」と電話を切りました。
 もう一つのT病院に電話を掛けると、すぐ連れて来てくださいと言われました。そこはミイを拾ったときに、虫の駆除や予防注射、去勢手術をしていただいた病院でした。
 弟は本当にいくじがなくて呆れたのですが逃げたので、私と母で連れて行きました。
 電話をしたときに、今までK病院で診てもらっていた事情を説明する中で、
「妹猫が便秘でそちらに掛かっていましてそれでミイも……あ、妹でもなんでもないんですが」
 言ってから雪とミイは血なんか一滴も繋がっていなかったわと思い、そうして病院に行きました。
 受け付けで、
「飼い主さんの名前が、前と違いますが」
 と、問診票の飼い主が弟の名前から私の名前に変わっている理由を聞かれました。
「弟は甲斐性がないので、もう今日から私の猫にします。書き換えてください」
 そうお願いしましたが、実は、私とミイは仲良しではありませんでした。
 ミイには一方的に嫌われていました。
 動物にこんなに嫌われることがあるんだと私は日々驚いていましたが、ミイは私に懐かず、私が撫でると唸ったりしました。
 ミイには多分、一人っ子でぬくぬくと母の愛を受けていたのに、
「ラノベでもないのに突然頼みもしないおてんば極まりないとんでもない双子の妹を僕に押しつけたのはこの人!」
 という認識がちゃんとあるのだなと、私は嫌われる度に思っていました。
 でも私はミイが好きでした。
 ニャン太にも、蛍にも雪にも一度も思わなかった、
「いいな。私はミイみたいな猫になりたいな」
 そんなやさしい空気感が、ミイにはありました。私には冷たかったけどね。
 T病院の先生は、その日はおじいちゃん先生でした。
 看護師さんと三人でミイを抑えてくれたのですが、聞きしに勝るミイの暴れっぷりには本当にびっくりしました。
 そらK病院でも連れて来るなと言うわなと最初は思いましたが、T病院の看護師さんたちはきっちり二人でとんでもなく暴れるミイを抑えて微動だにしません。思えばK病院では3キロないような雪でさえ抑えられずに、私は雪を連れて行くときには手袋を持って自分で雪の前足を固定することが普通になっていました。
 心電図を取り、レントゲンを撮ることになりました。
 待合室で、
「治る何かだといいんだけど」
 と母と話していたら、すごい勢いで診察室に呼ばれました。
 先生が慌てて注射器に何か薬剤を入れようとしていました。
 ミイは呼吸しているようにもしていないようにも見えて、瞳孔は開いて見えました。
 まさか今すぐとは思わなかったので私は激しく動揺して、何度も大きな声で名前を呼んでミイを呼び戻そうとしました。
 先生はカンフル剤をミイに打とうとして、薬剤を取り落としました。二度取り替えました。それだけ動転していたのだと思います。
「ミイ!」
 何度目か叫んだときに、母に、私が名前を呼ばれて背を摩られました。意味を悟って、ミイを呼ぶのをやめました。
「すみません」
 先生にミイの臨終を告げられて、私はその場で泣き崩れてしまいました。
 あまりに泣くので看護師さんに慰められて、
「この子私のこと大嫌いなんです! 私に全然懐かないんです!」
 そう口走ったのは、だからそんなに同情しないで下さいという意味だったのですが、看護師さんはわけがわからなかったと思います。
 ひとしきり母と泣いて、先生から説明がありました。
 健康な猫の胸部写真と、ミイの胸部写真を並べて見せられました。
 ミイは心臓も肺も、よく今まで生きてたねと驚くほど真っ白でした。こんな状態なら問答無用で全身麻酔を掛けられた瞬間に死んでしまっただろうと、こちらに来て本当に良かったと思いました。
「レントゲンを撮らずに帰してあげていればせめて家で逝けたのに……すみませんでした」
 先生は、私と母に謝ってくれました。
 いや、ここまでこの限界のミイを病院に連れて来なかったのはこちらだし、そんな猫が死んだ場で飼い主にすぐ謝るだなんてあなた、人によってはどんな目に遭わされるかわからないよ先生気を付けて! と思いながら頭を下げました。
「写真を見たら、納得しました。こちらの勝手ですが、家で逝ったら何かしてやれたのではないかと後悔したと思います。ありがとうございました」
 先生はミイをきれいにしてくれて白い布で包んで、花を添えて車まで運んでくれました。
 このとき私はニャン太を送ったときの記憶があってので、
「火葬はしなくていいのですか?」
 と尋ねると、
「お庭があるなら、焼かないで埋めてあげていいんですよ」
 そう教えられて、そうか田舎のいいところだなと思いました。
「お会計は」
 かなりかかったはずだと思い尋ねましたが、私はこのとき目も当てられないくらい泣いていたので先生は、
「いつでもいいですよ。何もお力になれませんでしたし」
 そうおっしゃいました。
 この日は土曜日だったので、月曜日にお支払いに行って、今後は雪もこちらでお世話になりたいとお願いしました。
 二個駄目にしたはずのカンフル剤が、明細に入っていませんでした。この方はきっと長く獣医をやられているのに、それでも目の前で動物が逝くことに激しく動揺して嘆く心を失っていないのだなと、私は先生がカンフル剤を落としたことを後からありがたく思ったのですが、お会計には一切入っていませんでした。お気持ちがありがたくて、唇を噛み締めました。
 土曜日に説明しきれなかったので今更ですがと、ミイのカルテを見せられたら「5キロ」と書いてあったので、
「随分小さくなって……」
 と私が涙ぐんだら先生は、
「あの……全然小さくないです」
 とそれだけははっきりおっしゃいました。
 土曜日は、花をたくさん買ってカゴを買って、実家に帰りました。
 カゴにミイを寝かせて花を飾って、いつも妹たちに取られていた一番好きな窓辺からミイに庭が見えるようにしました。
 蛍はすぐにお兄ちゃんが逝ってしまったことがわかったようで、二度ミイのそばに来て鼻先を押しつけていました。
 雪が「お兄ちゃん動かない。なんで?」と気づいたのは深夜の午前二時で、私がミイを眺めていたら膝に乗ってミイのカゴを覗き込んで、「なんで?」と私を見てはミイの周りをうろうろして、やがてミイのそばで眠りました。
 いくじのない弟は、ミイを連れて帰ってしばらくしてから帰宅しました。
 私はもう弟に会わずに仕事場に行きたかったのですが、母からの、
「お姉ちゃんから説明して」
 という圧に、仕方なく弟を待ちました。
 一目見てミイが逝ってしまったとわかって、弟は声を上げて泣きました。
「レントゲンを見たら、生きてるのが不思議なくらい肺と心臓が真っ白だった。もしかしたら、二年、三年前に気づいて病院に連れて行っていたらとも考えた。でも、あんなに暴れるほど病院が大嫌いだったなら、何年も病院通いすることはミイにはとんでもないストレスだったと思う。ゆっくりゆっくり動いて何年かを疲れながらものほほんと過ごして、最後の三日苦しくなって。病院に連れて行ったとたんに、病院に連れて来られるくらいならここで死んでやる! と死んでしまったミイは、私は幸せだったと思う」
 泣き止まない弟に、私が思ったままを伝えました。
 十二年前弟は体調を崩して、仕事ができない時期がありました。友人はいたけれど弟は携帯を持つのを嫌って長く持たずに過ごしていたので、その時期社会と隔絶されていたと思います。
 そのときに、土手に落ちていてくれたのがミイでした。
 弟が拾って来ました。
 弟の人生で一番辛かったかもしれない時期に、そばにいて慰めてくれたのがミイでした。カルテの名義を書き換えたことを、私は後悔しました。
「一晩お通夜をして、明日庭に埋めよう」
 弟を一人にしようと思い、私は仕事場に行きました。
 翌日、ミイが好きだった居間からまっすぐ見えるところに埋めようと、弟が穴を掘り始めました。
 ミイを連れて私と母で庭に出て、弟が穴を掘るのを見ていました。
 私も思っていたことを、母が言いました。
「何処から見てのまっすぐなのかしらね」
 弟のまっすぐが謎でしたが、かなり深く掘っていたのでもういいと、母娘で待ちました。
「もういいと思う」
 弟が言うので、ミイを土の上に置きました。
 ゆっくりゆっくり、弟が土をかけていきました。
 最後に顔だけ、残りました。
「顔、かけるよ」
 弟が言うので母とミイの顔を眺めて、弟は土でミイの顔を完全に隠すと蹲って泣きました。
 私も泣きましたが、母が私の隣でふと、
「あきらめた」
 と言いました。
「あきらめてなかったの?」
 驚いて尋ねると、
「今にも動き出しそうに見えたから、生きてるんじゃないかってちょっと思ってた。だって、パパより長く一緒にいたのよ」
 亡父と母の結婚生活は、十年です。
 ミイは十二歳。
 言われて見ればそうだなと、手をあわせて台所に戻りました。
 私はお茶を飲んで、母は何か台所仕事をしていました。
「来ないわね」
 ぽつりと母が言いました。
「何が?」
「台所に立つと、必ずミイが来て足に頭をすりつけられて。やめてよおじいちゃんって、いつもおじいちゃんおばあちゃんごっこしてたのよ」
 母はいつまでも、ぼんやりしていました。
 私は驚きました。
 母は実は、動物愛ゼロと言ってもいい人です。子どもの頃うちにいた犬のチロへの冷淡さは忘れられないし、ニャン太をうちで飼いたいと説得するのも本当に大変でした。家が荒れるから猫は嫌だし動物は嫌いだと、今でもずっと文句を言います。
 そんな母が、ミイをとても愛している。ミイを惜しんで、ミイとの別れに悲しみに暮れている。
 母の喪失感が心配で、私は母を旅行に誘いました。
「温泉に行かない?」
「あんたと旅行なんか真っ平ご免よ! そんな体力残ってないわよ!」
 即答で断られました。過去の積み重ねですよ。
 それを友人に愚痴ると、福島県花見山が今盛りだから花見山に連れて行ってさしあげてはと提案してくれました。
「花見山に行かない?」
 母を誘うと、
「……花見山なら、テレビで毎日開花状況を見てるわ。花見山なら秘湯じゃないわね」
 いつも秘湯に連れて行く娘への疑心暗鬼をなんとか解いた母を、花見山に連れて行きました。
 花見山はまるで、桃源郷でした。
 丁度花盛りで、天気も良く、現実とは思えない美しい風景に母の寂しさも少しは癒えたようでした。
 かわいいピンク色の木瓜の花を眺めて、
「なんだかおっとりしてミイみたいだね。ミイのお墓には、この花を植えようか」
 そんな話をして、帰りました。
 弟にも花の写真を見せるとそれがいいというので、造園業者さんに苗を探していただいて、昨日、ミイのお墓に植えました。
「大きくなるけど大丈夫ですか?」
 造園業者さんに言われました。
 少し離れたところに植えたニャン太の赤い百日紅が、もう二メートル超えたくらい。
 そんな日が来たらこの寂しさも、また変わっているのだろうなと想像します。
 私はミイは、幸せな猫だったと思っています。
 動物を愛さない母の愛を一身に受けて、母に甘えて、いらない妹を私に押しつけられたけど時々はやんちゃな妹たちもかわいかったでしょ?
 無防備に腹を出して寝ているミイを思い出すと、ミイは幸福な猫でいてくれてありがとうと私は思う。
 悲しいし寂しいけど、おまえが幸せそうに見えたおかげで、そんなに悪くない一生だったよねとたくさんは悔やまずに済む。
 自分の人生を幸せに思い切り生きるって、多くの悲しみをいつまでも誰かに遺さないやさしさなんじゃないかなって、ミイを見てたら思った。
 誰かを亡くしていつまでも立ち直れないときには、亡くなったそのときではなく、いなくなってしまった人の生きていた時間を一度思ってみるのは大切かもしれません。
「ミイを見習って、あの人やりたい放題やって生きたよねって言われるような人生送るわ!」
 友人に言ったら、
「ミイちゃん菅野さんほどやりたい放題生きてないと思う」
 と言われたので、そこそこに私も幸せらしいとミイが教えてくれたよ。
 深夜、仕事場から実家に帰ると、雪がぽつんと眠っています。
 今まではミイとお尻をくっつけて寝ていた。
 その雪の姿を見るときにはまだ、寂しくて涙が出て、雪を撫でくり回します。
「寂しいね、雪」
 そう言うと雪はとても迷惑そうです。
 でも忘れっぽいのに時々雪は、寝場所が上手く見つからずにうろうろします。
 ミイを探しているのかなと思うと、やんちゃな妹もおまえが大好きだったみたいだよミイと、寂しいけど羨ましいような気持ちになる。
 木瓜が大きくなって花が咲く度、私は嬉しく寂しいんだろうなと思います。 

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私の一番好きな写真なのですが、人に見せると怖いと言われることが多い。

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なので普通の写真も上げておきます。

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去年の大晦日、大間のマグロの血合いを削って、分厚い骨をさすがに食べられないだろうけれど大晦日だから舐めてはと、三等分して猫皿に置きました。母と談笑してふと見ると、床まで舐めたように何もなくなっていて、蛍と雪が、「ちょう美味しかった! ちょう美味しかった!」とはすはすしていた。そのとき一口も食べられなかったのであろうミイ。

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かわいそうだと母が、マグロの赤身をあげて、ミイは満足そうでした。母の膝の上でまったり。

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ミイと雪はなんだか仲良しでした。仲良しというか。なんかこんな感じ。

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今はまだ小さな、木瓜の木です。

またいつかね。ミイ。





  1. 2016/05/19(木) 15:08:00|
  2. 日記

「自分の話と、被災地のことと、少し具体的なこと」

すみません少し自分の話から始まりますが、具体的にこうしたいというところにたどり着くのでよかったら最後まで読んでやってください。

九州方面の大きな地震が起こって、二週間が経ちました。
二日前に地元友人と話しました。
彼女は二週間前に地震があってから、Twitterを見るのをやめたと言いました。
理由は、友達が「震災のとき福島の人ずっと怒ってたよね。県民性かな」とツイートしたのを目にしてTwitterが見られなくなったとのことでした。
たくさんの方が、何もかもを置いて町ごと突然生活を奪われた、原発による人災があった土地です。友人は震災発生当時には仕事の関係で、何も持たない子どもが凍える日に裸足で放射能検査を戸外で受けなければならないのを見るという日々を過ごしていました。
その何気ない気持ちで呟かれた言葉に彼女が、ネットそのものに怯えるのは私には当然に思えました。

私はと言えば、四月二十一日にこのようなツイートをしました。
『叔母が、 「雀が帰った」 と言う。震災以来初めて今年庭に雀が帰ってきたと言う。
「私の仕事場には去年燕が帰ってきたよ」
と言うと、
「やっと安心な土地になったのかな」
と叔母が笑った。 原発のある福島県の五年目です。 九州にはもっと早く復興が来ると思う。 どうか絶望しないで』
他にこのときには言葉が見つからなくて、私に言える精一杯でした。
たった一人、多分通りすがりの方に、
「東北とか福島の人ってすぐ絶望するよね!」
と言われました。
震災関連死、行方不明者まで含めると現在では28000人が失われた震災のことを言ってるのかなこの人はと、情けないけど私は私で何を言うのも怖くなってしまいました。

外側からだけでなく、被災地の中にも温度差はあります。
五年経って、「もう復興は終わった」と感じる方と、身近な方を亡くした悲しみや生活をなくした辛さから前に進めない方とで、被災地も様々です。
震災発生当時、私と友人の間にさえも多少の温度差はありました。
友人は無関心が一番辛いと、そのことに胸を痛めていました。
私はそこはそうでもなかったので、友人の気持ちを聞くことしかできませんでした。

地震発生から二週間経った九州方面も、そうなっていくのかなと想像します。
自分だけがまだ辛いのかな、自分だけがまだ震災のことから逃れられないのかなと、苦しむ方々がきっともしかしたら今もいらっしゃるのかなと想像しました。

三月に日記に書きましたが、痛みや悲しみに寄り添えず想像が及ばないのなら、そういう方はたった一つできることがあると私は思います。
沈黙して欲しい。

そして情けない臆病さで、できることもないと沈黙していた私自身は、一つできるかなということに気づいたのでそれを実行できたらと考えています。

私は被災地在住と言っても、ライフラインも生きていたし、避難所生活もしませんでした。
一月近く、道路、鉄道が寸断された中で余震と物流に不安を抱えながら過ごした程度の被災者です。
でもやはりその一月の怖さは覚えているし、今も言葉にするのを躊躇う喪失もありました。

それは専門家に尋ねていただかなくてはならないということも多々あるだろうとは思うのですが、震災を経験した者として、答えられる限りのことに答えていこうと思います。

怖い、悲しい、不安、そういった負の気持ちは閉じこめないで欲しい。
お彼岸に、津波に全てがさらわれた宮城県の閖上地区を訪ねました。命がたくさん失われた土地です。
閖上地区の子どもの精神的なケアとして、震災当時の子どもたちが見てしまった光景をジオラマのようなもので子どもたち自身に再現してもらって、それらを言葉にして吐き出すということが行われたという映像を見ました。
その映像の前にはたまたま、今は閖上地区に住めなくなった閖上小学校出身の少年がいました。歯をくいしばってまっすぐ、当時の映像を見ていました。

理解されないという怖さから、悲しみや怖さを誰にも言えずにいることは本当に心によくない。
身近に分け合える方がいたら分け合って欲しいし、どうしても誰にも言えないなら、よかったら私に聞かせてください。
聞くことしかできないことも、たくさんあるとは思います。
「地震酔い辛いよ。余震怖いよ」
そういうことでも、誰かに聞いて欲しいときに相手が見つからなかったら、私が聞きます。
具体的に震災を経験した者としてアドバイスできることがあればさせてください。

Twitterでリプしてくださってもいいし、私のホームページのメールフォームを使ってくださってもかまいません。
可能な限り、一つ一つお返事をしていくつもりです。

私も自分の日常を保ちながらのことになるので、ゆっくりゆっくりのことになってしまうとは思いますが、問いかけがなくなるまで続けられたらと思います。

よろしくお願いしますね。
  1. 2016/04/29(金) 07:42:28|
  2. 日記
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