菅野彰

菅野彰の日記です

「レベッカ・ストリート」(ディアプラス文庫)10月10日頃発売

 10月10日頃、「レベッカ・ストリート」(新書館ディアプラス文庫)が発売になります。
 ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、この本は1995年にノベルとして発行されたものです。
 10年くらい前から出し直したいというお話をいただいていて、この10月に文庫化されることになりました。
 「HARD LUCK」の文庫化の時にほぼ手を入れなかったので、そんな感じになるかと思い安易に快諾して、結果、一文を除いて全文を書き直しました。
 じゃあ違う話になったのかというと、話は変わっていないと思います。
 こんなにも書き直すことになると思わなかったので、書き直している間中、
「担当さんは何故この話を欲しがってくださったの? こんなことになるんだったら新しい話を一から書いた方が良かった!」
 毎日そう思いながら地獄のような夏を過ごしておりました。終わりが見えない。何度も頭に戻る。
 けれどようやく直し終えて、今この物語と向き合って良かったと思いました。
 実際に書いたのは22年前になりますが、私は今もそのときと、書きたいことは何も変わっていないと知りました。
 今の私がもし多少飲みやすいカルピスだとしたら、「レベッカ・ストリート」はカルピスの原液みたいな物語です。私にはとても、大切な物語でした。
 しかし若書きというやつで、何もかもがふわっとした知識で書いてあり適当な状況描写が乱舞していて調べ直したことも多く、一ヶ月掛かりました。
 舞台は、1996年のニューヨークです。当時はそのときリアルタイムのニューヨークだったわけですが現代に直せない理由があり、90年代のニューヨークのままで書き直しました。
 ノベルの時のイラストは、高口里純先生に描いていただきました。アシスタントとして友人がたくさんお世話になっていて、その友人たちから先生が今仕上げているイラストがどんなに素敵か電話をもらったりしたことを思い出して、少し涙が出ました。
 今回美しいイラストをくださった珂弐之ニカ先生は、BL文庫の挿画を担当するのは初めてとのお話です。
 何か、感慨深い気持ちになりました。
 この物語にはシンとハルが登場しますが、「HARD LUCK」のパラレルのシンとハルで少し違う二人です。けれど思えばシンとハルも、松崎司先生、高口里純先生、峰倉かずや先生、そして今回の珂弐之ニカ先生と四人の素晴らしい作家さんに描いていただいてただありがたいばかりです。
 脱稿した日に担当さんから、私の書いたもので最初に好きになってくださったのは「レベッカ・ストリート」だったと聞きました。その話は初めて聞きました。
 長いおつきあいの担当さんの手元から新しく「レベッカ・ストリート」が出ることが、私自身とても嬉しいです。
 この話には、書きたい続きがありました。プロットも書いてないのに22年経ってもまだその話を覚えていて書きたいので、それも書かせていただくことになりました。続きの刊行は、来年を予定しています。
 カルピスの原液一気飲み、どうかよろしくお願いします。
  1. 2016/09/16(金) 23:13:28|
  2. 告知

「夏の終わりの日記ですよ」

 釜石に行ったのが七月の末で、そのときのことをずっと書きたいと思っているのですが。なかなか、冷静な気持ちで書くのが難しい。そこに台風が来て、なんとも。現地の方にできることなど伺ってから、改めて書きたいと思います。静かな気持ちで書かないと聞いてもらえないこともあるよねと思う。聞いて欲しいことがたくさんあった。

 そして一つ前の「音源を探しています」をそろそろ削除しようかと思っています。申し訳ありません。見つかる気配は今のところないです。

 この音源問題と、無断上演問題が重なってさすがに気持ちが参っていた時期がありました。
 無断上演についてはここで改めて申し上げますが、私の個人的な感情です。言ったら契約とは無関係です。
 たとえば他の作品の同人誌が送られてきても、私は楽しく読んでいます。それは他の作品を軽んじているのではないのです。
 この戯曲だけは駄目なんです。私は本当にいやなの。いやだって言ったはずなのにどうして、と。
 そういう、契約とか権利とかではない感情のことなので却って参りました。

 そんな感じで低空飛行で、夏場都内の百貨店に入りました。
 広い食品売り場の日本酒コーナーで四合瓶を一本買って、煎餅屋に移動しました。
 この話、お金のある人の話だと受け取らないで欲しいのですが。できればまっすぐ、人ってという話として届くことを願います。
 煎餅屋までは日本酒コーナーから遠く、そこで贈答用お煎餅の熨斗の宛名書きを書こうとして、床に日本酒の入った袋を置きました。
 角度が悪かったのか、見事に二つに割れてしまった。
 こういう気持ちが落ちてるときに物が壊れたりすると、十倍くらい参る。
 百貨店の中で買って百貨店の中で割ったので、もしかしたら日本酒コーナーにこのまま戻れば新品と変えてくれるかもしれないとは思いました。
 百貨店って、いい意味でそういうものだと私は思っています。値段が張る理由は、信頼とアフターケアで、時にはやさしさ。やさしさをお金で買うのかって話になるかもしれませんが、長くつきあえば信頼関係ができて、しない無理をしてくれたりすることもあるのが百貨店なんじゃないかと私は思います。気持ちがあるかないかを信じるのは、受け手次第。
 この百貨店の話と、私が接客していただいた女性のことは関係ないともあるとも言える話です。
 前二つの件ですっかり疲弊していたので、私はもういいという気持ちになりました。変えてくれるかもしれないけど、割れたのではなく、自分で割ったのは確かだし変えてもらうのもと思って、
「大変申し訳ないんですが、このまま処分だけお願いしてもいいですか?」
 煎餅屋の店員さんにお願いしました。
 二十歳くらいに見えました。とても若い女性でした。
 随分長いこと、彼女は考え込んでいました。
「これ、お預かりしてもいいですか?」
 私が割った日本酒を持って走って行きました。
 長い時間が経って、彼女は厳重に包まれた同じお酒を持って戻って来ました。
「お気を付けてお持ちください」
「でも私、自分で割ったのに」
「宛名書きしていただくときに、お預かりしなくて申し訳ありませんでした」
 その上頭を下げてくれました。
「ありがとうございます」
 お礼を言って、お酒をいただきました。
 これは私の想像ですが。
 彼女はとても若かったし、私が「処分してください」とお願いしたときにかなり長く考え込んでいました。
 新品と変えてもらえるかどうかはわからなかったけれど、彼女の考えで遠い日本酒売り場まで走ってくれたのではないでしょうか。
 自分で一生懸命考えて、答えがわからないかもしれないのに走ってくれて、息を切らして戻ってくれた彼女の勤めているこの店舗、この百貨店でまた買い物をしようと思いました。
 これは何処ででも言えることです。何処ででも、またお願いしたいという人に出会えたら仕事をお願いしたいです。
 疲労や落ち込んでいた気持ちも少し晴れて、後日百貨店宛てにお礼のメールを書きました。
 人材ってこういうことなのかなと思ったりしました。
 ふとやさしくされるとただ嬉しい。ただありがたい。
 書いておきたかったので、夏が完全に終わる前の日記でした。
  1. 2016/09/04(日) 20:42:12|
  2. 日記

「オーディオドラマの音源を探しています」

 大山鳴動して鼠一匹出ずという可能性がとても高いので、どのようにこの記事を書いたらいいのか悩んでいたのですが。
 「デコトラの夜」のオーディオドラマの音源を探しています。
 すみませんがなるべくコンパクトに、ご説明させてください。
 このオーディオドラマに、私は原作者としてではなく、原作の帰属する出版社の許諾を得て脚本家として参加しました。時間としてはかなり前のことになります。
 発注元はA社、制作はB社で、出版社とは関わりなくフリーで受けたイレギュラーな仕事です。
 何故そんな仕事を受けたのかと言われれば、オファーを持ってきた仲介者を信頼してのことでした。当時私はオーディオドラマの脚本をいくつかやっていたということもありました。
 このオーディオドラマには完パケ(編集されてSEが入り商品として成立する完成品)が間違いなく存在するのですが、私の手元にはなく聞くこともできていません。
 私は脚本家として雇われただけなので、この完パケに対して私には一切権利がないのです。完パケは「世界に一つ」の状態で発注元に制作が渡すのが契約で、A社以外の何処も持つことができません。
 仲介者を通してこの完パケがどうなったのか何度か確認して来ましたが、ただ時間が過ぎてしまい、私自身が動こうと決めたのは去年でした。
 B社は確かに完パケを渡したけれど、A社は存在しないとの答えです。
 この辺の確認の経緯は、申し訳ありませんが考えるだけで疲れるので割愛させてください。
 どうしてこの記事を書いたのかというと、この完パケが持ち出されて誰かがダウンロード販売していたことが判明したからです。
 この件は、私には権利のない商品の話なので誰が販売したのか等追求はできないし、ごめんなさいそこまでは私もする気力がないです。
 ただ、この世にこの完パケが存在するとしたら、そのダウンロード販売で購入した方を探すしかもうないというのが現状なので、記事を書きました。購入した方は、このような経緯で販売されたことを知らずに買っているので、購入者に何か負債が生じることはないのでそこはご安心ください。
 大変申し訳ありませんが、もし購入して手元に音源が残っている方がいらっしゃったら、拍手コメントかサイトのメールフォームからご一報いただけないでしょうか。
 A社は権利を手放しているので、その音源が見つかれば今後どうするかをそれから新しい版元と協議します。
 出て来ない可能性が高いので、徒に皆様を騒がせるだけかと思い記事を書くのを躊躇っていましたが、後回しにしていいことでもないと思い書かせていただきました。

 この作品はもともと書き下ろし原作で漫画にしていただいたもので、私はそれを演出家指導のもとオーディオ用に脚本化しましたが、完パケに権利のない私がこの音源を探している理由は一つです。
 二人の役者さんがアフレコしてくださいました。
 お二人ともキャリアも実力もある方でしたが、演出家が映像畑の方で、普段は受けないようなダメ出しとリテイクを繰り返されたのではないかと思います。予定の収録時間は大幅に過ぎて終電もなくなりスタジオには酷い緊張感でいっぱいになりましたが、お二人とも愚痴一つ言わずに熱演してくださいました。
 深夜に収録が終わって、明日も朝早くから別のお仕事だというのに、役者さんの一人が留まってくださいました。
「とても勉強になる仕事で、自分はこの仕事で実力がついたと思います。この仕事ができて本当に良かったです。ありがうございました」
 深く頭を下げて行かれました。
 かなり前のことですが、そのときのことは忘れようもなく、それで音源を探しています。
 ファンの方にも届けたいし、何より私も聞きたいです。
 心当たりのある方は、お知らせください。
 どうかよろしくお願いします。

 最後に、大変身勝手ながらお願いがあります。
 検索するともしかしたら、この二人の役者さんがどなたなのかはわかってしまうかもしれません。その検索から出てくる会社は、持ち出してダウンロード販売をした会社ではありません。制作元に当たります。
 けれどどうか、騒がないでいただけたらと願います。
 まず完パケが出てくる可能性は残念ながら低いです。ダウンロード販売は短い期間に行われたようで、買った方がいたのかさえ不明です。
 そしてその音源が出て来たとして、使い物になる状態なのか、また音源があれば販売を考えると言ってくれている版元が実際どうするか。販売することになれば、予定の販売方法と異なるので役者さんの事務所と契約を交わし直さなければならず、今のところこの音源をお届けできる可能性は高くはありません。
 そういうものがあるのなら聞きたいというファンの方に、期待だけさせてしまうのは心苦しいです。
 出てくるにしても出てこないにしても、あのときの役者さんたちには謝罪してもしたりません。過酷な収録を見ていたので、音源が完全になかったらと考えると思うと私も言葉がないです。
 今後はこういった仕事を安易に受けないことを、強く心に留めていきます。自分には権利のない音源だと思わずに、原作者としてもっと早く動いていればと心から悔やみます。役者さん、ファンの方には謝ることしかできません。本当にごめんなさい。
 お騒がせする事項が続いて申し訳ありません。
 しばらくこの記事を置いて、どなたからもご連絡がなければ削除します。
 重ねて、よろしくお願いいたします。
  1. 2016/08/21(日) 13:30:32|
  2. 告知

「舞台bareと、過去と未来とそんな話。そうだ明日は選挙だタイムリー」

 まず最初に、昨日この日記を読んでしまった方、本当にごめんなさい。
 Twitterで舞台「bare」の土地を「マサチューセッツ州の」と自分で書いているのに、日記ではミシシッピ州になっていて、昨日の日記の中では無意味にアメリカ南部の話を結構してました。古い時代の、それも封建的な土地柄での出来事だなと思ったことから、自分の中でミシシッピ州に置き換えてしまったんだと思います。こういうことがあるから自分の記憶は本当に信用ならない。人は都合良く物事を置き換えることがあるのだな!という礎にせめてしてください。すみませんでした。
 マサチューセッツは北部だし、ハーバード大学などがあるところで、そうだ登場人物たちは大学進学の話をしていたと思い出しました。
 アメリカは南部と北部で多分大分意識が違うので、土地を間違えたから時代も勘違いしていたら怖いと思い日記を一度閉じました。
 でも明日は選挙でちょっと関係ある話かなとも思い、私は観ていて80年代90年代の話だと思ったので私の主観だということで「bare」の感想とともに、人の思いやりの進化みたいなお話におつきあいいただけますと幸いです。


 先日一仕事終えて、「bare」「ジャージー・ボーイズ」「エリザベート」を観劇しました。ミュージカルばかりやないかい。
 それで「bare」について、私の思うところですが友人三人に続けて説明のようなことをしたので、もう日記に書こうかなと思い日記に書くよ。
 公演もあと二日です。チケットも完売状態だったりするようですが、当日券も出ているようなのでご興味を持たれましたら是非シアターサンモールへ。
 なんの先入観も欲しくない方はもちろん読まない方がいいです。過程のことを書いていますが、内容にも触れております。

 パンフレットも買ってサイトもあちこち見たのですが時代表記が見つけられず、私は初見でしたが始まってすぐなんとなく、
「80年代か90年代初頭くらいの話かな?」
 と思いました。
 これはなんか、なんとなくです。若い頃そういう舞台をたくさん輸入して見せてくれたのは青井陽治だった。名作もあったし、私には共感できない作品もあった。でも日本にいては観られないものを、とにかくたくさん見せてくれた。
 20世紀の先進国のトップを走っているアメリカで、マイノリティであることがどういうことかを、翻訳舞台を通してたくさん教わりました。
 他にも映画「トーチソング・トリロジー」や「カーテン・コール」等が、90年代の初頭にゲイであるということは、HIVに寄ってすぐさま死をもたらせられる可能性に怯えなければならないと教えてくれた。HIVが蔓延し始めたこの頃は感染はそのまま死を意味して、感染経路や治療方法について落ちつくまではたくさんのデマも飛び交い自分も信じた記憶もあります。日本の献血ルームには「同性愛者お断り」と書かれていた。みんなまだわからなかった頃です。映画の中のニューヨークの日常は、毎週末が誰かのお葬式だった。
 ゲイヘイトから、無残に殺される人々もいました。これは現在もゼロにはならない。

 「bare」に戻ります。
 脚本、作詞、作曲のジョン・ハートミアとデーモン・イントラバルトーロはパートナーなのかな? ハートミアがこれを書き上げたのが22歳で、アメリカ初演が2000年だということは80年代は言い過ぎなのかな。80年代を経験した人ともにある物語だという前提で語ります。確証はない。
 80年代がどんな時代だったのか、わかりやすいのは映画かなと思うのですが。
 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の公開が1985年です。パート2が5年後かな(この辺は適当に記憶で許して)。主人公のマーティが未来と現在を行ったり来たりする中で、2015年の未来も登場する。そこで黒人(アフリカ系アメリカ人と表記するところかもしれませんが、時代や意味合いも鑑みてこの後も黒人と表記します)市長になっている人物が、80年代ではハンバーガー屋かなんかの店員をしている。
「あんたは未来の市長だ」
「黒人が市長になれるわけないだろ」
 この会話は、マーティがどれだけあり得ないような未来と現在を行き来しているかを当時わかりやすく表す象徴で、80年代は黒人の市長なんてどんだけ未来なんだよと観客に思わせる社会だった。
 2016年の現在、オバマ大統領の任期が終わろうとしています。彼は自分が完全な黒人とは言えないことに苦悩さえしたことがある。それが30年後の今。

 何処にも記載がみつからないので論拠がないままに、80年代か90年代くらいかなという感じで「bare」について語ります。
 マサチューセッツはアメリカ国内では同性婚を認めるのがアメリカ国内でもっとも早く、2004年だったと昨日の公式ブログに書かれていました。北部なので人種間同士の結婚を禁じることなども早くにやめたことでしょう。昨日南部について触れたのは、ミシシッピ州でこの法律が撤廃されたのが1987年だということです。アメリカの古い映画や老夫婦の過去の回想には、黒人と白人の結婚を禁止され州を追われ、家族と断絶したエピソードもいくつも出てくる。
 もちろん、同性愛などもってのほかと、そういう時代、そういう土地がいくつもありました。過去のように語っているけれど、これらのことはまだまだクリアにはならない。
 少し前に、アメリカの都市部ではカミングアウトという概念がなくなったというツイートを見かけました。本当なら素晴らしいことです。それなら現代のニューヨークやロサンゼルスでは、ピーター(私が観たのは橋本真一)はジェイソン(私が見たのは鯨井康介)を、
「ママ、僕の愛する恋人だよ」
 と紹介して、
「あらなんて素敵な人なの。いい恋人を見つけたわね」
 それで終了です。
 ジェイソンもピーターを家族に簡単に紹介できる。愛する人として。
 もちろん現代の都市部でもそうではない家庭はいくつもあるでしょうけれど、社会が今LGBTQに対して差別をする者をむしろ軽蔑するという風潮になりつつあると、個人的には感じています。当事者じゃないので、外側からの感覚でそこは申し訳ないことです。
 具体的には私は出版物の中で、「ホモ」「レズ」と書くことを控えることを求められ始めていて、理由がない限りは応じています。侮蔑語だからです。「侮蔑されている者」という意図では表記することは今後あるでしょうが、何処かで誰かが傷つく言葉であると、私が仕事をしている先では認識されています。
 少なくとも、80年代90年代と現代はまるで違う。
 黒人の市長もあり得ない、いくつもの州で黒人と白人の結婚は法的に禁止されている。
 そして何よりアメリカ人の多くはキリスト教徒で、生まれつきそこにいる絶対神がお赦しにならない。
 神に赦されない彼らの恐怖と不安は、私には学んでも学んでも寄り添うことのできないものです。
 洋画が好きなので、若い頃から何度も「聖書を読み解く」「キリスト教と生きる」というような本を読んできました。「あした咲く花 -新島八重の生きた日々-」を書いたときには、会津戦争を闘った武家の娘だった八重がプロテスタントになるということが全く理解できず、本を積み上げどうして八重は神に救いを求めたのかを考え続けました。あの本を書いたときの一番の難関はそこで、私は今もそのことについてはちゃんとは理解できていないです。
 でも洋画や洋ドラを観ていると、キリスト教徒にとって、
「神がお赦しにならない」
 ことの負の圧力の大きさが計り知れないことはわかるし、最後に悪魔が出て来て物語を突然全て終わらせてしまったりする。
「なんなの? この悪魔が全部終わらせる話」
 意味がわからんと思っていたら友人から、
「生まれたときからキリスト教徒である者には、悪魔は本当に恐ろしいものなんだ。ギャグじゃないんだよ」
 そう教えられて、輸入される物語を理解したいので学んだけど、未だにきちんとした共感には至っていません。
 ただ、全寮制の、神父がいてシスターがいる高校の生徒であるピーターとジェイソンにとって神がお赦しにならないことがどれだけ重いのかは、なんとかわかる。
 ピーターはジェイソンを愛している。
 ジェイソンも心からピーターを愛していると、私は受け取りました。
 ジェイソンは、スクールカーストの頂点にいる男子です。卒業劇の「ロミオとジュリエット」では、ジェイソンがロミオをやるのが当たり前。カリスマ的存在で、かっこよくてみんなジェイソンに一目置いている。きっと幾人かはジェイソンが、足下を掬われればいいと思っている。
 ジェイソンには双子の妹ナディア(私が見たのはあべみずほ)がいます。ナディアは多分、生まれつき太っているのでしょう。太っているだけで、競争社会からはもうドロップアウトです。スクールカーストの頂点にいる美人女子アイヴィ(私が見たのは増田有華、歌上手かった!)への厭味や距離は激しくあるけれど、ナディアは自分の人生はもしかしたらもうあきらめている。ジェイソンが好きで、ジェイソンが自慢の兄。両親もジェイソンのみへの期待と信頼がとても大きい。
 20世紀の終わりと思われる時代に、ジェイソンが「ゲイだ」とカミングアウトすることで失うものの大きさは計り知れないと想像がつきます。
 立場、家族、友人、もしかしたら大学への進学、引いては未来の何もかもをジェイソンは「ピーターを愛している」の一言で失うかもしれない。
 一方、そんなに目立たないかわいらしいピーターは、母親へのカミングアウトを強く望んでいます。母親クレア(秋本奈緒美)は、ピーターが幼い頃にはもうピーターがゲイだと気づいていて、告白から逃げ続けている。夫との不和も、ピーターがゲイだからだと思っているし、それは間違いなくそうなのでしょう。それでもクレアはピーターを愛しているからピーターの告白を受け止めたいけれど、聞くのが恐ろしい。私の愛する子どもが異端者だとわかっていて愛したけれど、それでも「僕は異端者だよ」と息子の口から聞くのが怖くて堪らない。
 一見ピーターは平凡でかわいらしいですが、私は強いのはピーターの方だと思います。ジェイソンほどではないけれどピーターも失うものはあるのに、「自分が自分であることを隠さない」ことを第一に望んでいる。
 この時代の(昔だと決めつけているが……)ゲイを題材にした映画等は、かなりの確率でパートナー同士がカミングアウトを巡って揉めています。
「自分はカミングアウトした。親にも縁を切られた。社会からの迫害も受けている。何故あなたはしないの。僕を愛していることが恥ずかしいの」
 ピーターの主張も多分、こんな感じ。
 ジェイソンにはジェイソンの立場があるんだから許してやれよと思うかもしれませんが、愛している人と愛し合っていると言えない苦悩は、ピーターにとって自分を隠して騙して嘘を吐くことそのものなのかと思います。
 ピーターが望むことは、タイトルのまま。
 「bare」。ありのまま、裸であること。
 アナと雪の女王は称賛されるのに、ピーターは簡単には歌えません。
 ジェイソンの選んだ結末に、もしかしたら納得が全くいかない方がいるかもしれない。
 日記を書いたのはそれでです。
 そうするほかない「とき」が確かにあったと私は思う。
 たくさんのジェイソン、たくさんのピーターがいて、LGBTQという言葉とその意味が認知されて、きっと20世紀よりは差別の少ない、アフリカ系の父親を持つ大統領が現れる21世紀がやってきた。
 それらのことをできれば知って、「bare」は観て欲しい。
 あと二日しかないけど。チケットないみたいだけど。当日券があったりなかったりするみたいだから。
 極端な話、ドラマ「ルーツ」に描かれたアフリカから攫われてアメリカで奴隷となったクンタ・キンテは、部族の誇りを失うまいと本来の名前を名乗り脱走を繰り返して、足の指を切断された。
 時が経ち社会は差別を許さない方向へ、確実に進化している。
 それはその差別と闘ったり、闘えずに命を落とした人々が礎になってある現在で、まだ今は過程の中にいる。
 もっと、不当な差別の少ない未来がきっとある。
 それは自然とやって来るのではなく、今を生きている自分たちで作っていくものだったと、「bare」を観て思い出せた気がしました。
 明日、7月10日は選挙です。望む未来を求めるために、たった一人自分の一票を投じられる日です。


 続きから以下は、隣で観た友人が疑問に残ったと言い、私は個人的にこうなのではないかと解釈したのですが、結末に関わるネタバレになり得ると思うので畳みます。
 観た方で「あれはどうした?」と思った方、私はこう思いましたがという話ですが気が向いたら開いて見てください。

 一応付け加えますが、私はただの観客で「bare」制作とは縁もゆかりもございません。
 あ、田村ピーターが観たかったんですが。
 理由は橋本ピーターは顔が可愛すぎるからです。
 それ田村くんディスってる、いやそうじゃないんだ。
 橋本くんはちょっと極端にかわいいと思うんですよ。
 心と心が求め合う話だと思うので、ピーターの容姿は普通よりちょっとかわいいくらいが丁度いいというのと、田村くんは私は歌が好きなので田村ピーターが観たかった。
 鯨井ジェイソンには、スクールカーストの頂点にいて失うものが大きいけれど、それでもピーターを愛しているという強い説得力を感じました。
 あとね、誤解を恐れずに言いたい。
 何もかもが安いです。
 でも安いと思って観るといいと思うし、キャストたちもまだ自分たちは安いと思って明日を頑張って欲しい。
 それを育てているのであろう原田優一さんのマリウスはとても高い。
 お金の話ではないけど、お金で考えてくれてもいいです。
 私はその安さと若さが爆発するのを堪能しました。
 貴重な時間でした。
 以下が続くです。 続きを読む
  1. 2016/07/09(土) 14:15:35|
  2. 舞台感想

「秋に呑み会がしたいの私」(満席ありがとうございます。締め切りました)

 満席ありがとうございました。締め切らせていただきました。
 すごいねみんな遠路ありがとう。是非周辺各地にも足を伸ばしてみてください。
 本日9/7に、参加者のみなさまへの最終確認メールを送ったのですが……送ったメールを数えたら参加者と数が合わない。
 ごめんなさいもしこのメールが来ていない。
 もしくは参加表明をした時点から何も私からのメールが来ていない。
 などの方は、改めましてメールまたは拍手コメントからメアドなどご連絡くださいませ。
 参加表明をしたのに返信がない方は、どの時点から返信がないのか書いてやってください。
 最終メール来ていないという方は、参加名とメアドをお知らせください。
 よろしくお願いいたします。

 祝日または有給などを使っていただけたら、その3時間以外は会津や、足を伸ばして宮城や岩手を旅行していただけたりなんかしたらありがたいなあと思っております。
 会津旅行の手引き
 宮城旅行の手引き
 岩手にも本当に行っていただきたいのですが、遠野、釜石に行って翌月先日の水害があり。
 でも釜石の方に伺ったところ、一番望むことは来て、見て知っていただくことですとおっしゃっていたので、行けそうな方は岩手についても調べてみてください。
 釜石は本当にお刺身が美味しかったよ。
  1. 2016/05/22(日) 20:46:44|
  2. 告知
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