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菅野彰

菅野彰の日記です

「硬い爪、切り裂く指に明日」(河出書房新社)11月1日頃発行

 小説の新刊が出ます。大切に書きました。
「僕は穴の空いた服を着て。」のときと同じく、イラストは川野さま。デザインも同じく坂野公一さま。
 とても嬉しい。
 ジャンルは一般小説になります。
 どんなジャンルでもいつも同じ気持ちで書いてます。
 生きるよということ。
 おもしろいです。わたしはいつも自己肯定上手ですが。それにしてもおもしろいです。
 あらすじはこんな感じ。

「宮城県の海のある街に暮らす平良はもうすぐ16歳の誕生日を迎える。
極端に若く見える眞宙が実の父親ではないと気づきながらも、
かたわらに在り続けることを強く望む平良。眞宙と平良の本当の関係は? 
そして左腕に残る火傷の痕に隠された真実とは──。」

 読んでやってください。
 書き終えて抜け殻になりました。
 自信作。

 少し前に全く自分のこととは別件で、
「誰一人傷つけない文章はない」
 とSNSに書きました。
 そのときこの小説は既に脱稿して発行日も決まっていました。
 これは中でも、もしかしたら多くの人を傷つけてしまうことがあり得ると思いながらその言葉を書きました。今までになく、そういう不安は大きく持っています。
 テーマは全く別ですが、舞台が2018年9月の宮城県です。
 でも震災小説ではありません。
 毎年海辺を歩いて、非日常が日常となった7年目の宮城県を舞台にしようと思いました。
 震災小説ではありませんが、切り離せないことなので震災にまつわる描写はあります。
 自分にはまだ2018年の宮城県を舞台にした物語は早いかもと悩む方がいらっしゃったら、ご自身のタイミングを選んでください。
 数年前ある震災を題材にしたエンタメ映画を観た時に自分がPTSDを起こしたので、注意喚起は必要だと思い今回はこうして書きました。
 舞台が何処なのかとは無関係に、誰かを傷つけることはこの小説に限らずあると思います。
 わたしの場合はですが、そのときは教えてほしい。
 誰かを傷つけることも覚悟して書いている場合もあります。そのときは手紙を読ませていただいて、ごめんなさいと思う。
 まれに、意図せず傷つけてしまうことがあります。たまにですがそういうお手紙をいただくことがあります。
「そんなつもりではなかった」
 という傷つけ方はしたくないです。
 そうか、そういう立場の方もそう受け取る方もいるのかと教えていただいて。
 それでわたしが変わる場合と、変わらない場合があります。
 でも、変わらなくても、傷つく方が存在するということはわたしは知っていないといけないと思うので。
 お手間をおかけしますが、この本に限らずそういう気持ちも打ち明けてくださったらありがたいです。
 小説はおもしろいです。
 本になるときそう思わないことはないです。
 よろしくお願いします。

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  1. 2018/10/15(月) 17:57:54|
  2. 告知

「色悪作家と校正者の貞節」(ディアプラス文庫)初回特典SSあり・7/10発行

大好きな楽しく書いているシリーズ「色悪作家と校正者」シリーズ第二弾、「色悪作家と校正者の貞節」7/10発売です。
第一弾は「色悪作家と校正者の不貞」発売中。
歴史校正と本のラブ。
楽しいよ!

文庫には、「色悪作家と校正者の弟」を書き下ろしています。弟光希と、森鴎外と井伏鱒二。
後書きに大事なことを書き忘れた! 正祐が光希にスッと「罪と罰」渡してますが、なんとわたしはまだ読んでない。読んだ気になってるけど読んでない。読ますに死んだらどうしよう。読むよ。

【初回特典一覧】です。
初回特典ペーパーは、書き下ろしの後日談「色悪作家と校正者の弟帰宅後です。ルビなのくらいみちみちに書いたので虫眼鏡で読んでね。こちらは森鴎外「舞姫」。「弟」で大吾が大変かっこつけてたので、実はヤキモチですという後日談です。
そして。
この初回特典SS制度ができてわたしはしばらく、わかってなかった。
こういうものに求められているのは、おまけ感だということを。
しかしまだ慣れてない。
本編に入れるべきだったー、という短編を書いてしまうことがままあります。
思い切りやっちまったぜなのが、コミコミさん特典の「色悪作家と校正者のシェイクスピア殺し」です。
コミコミさんだと、「色悪作家と校正者の弟帰宅後」も合わせて入手できるのでお願い入手してー!
渾身なの!
【店舗特典・コミコミスタジオ様で購入した方のみ】書き下ろしSS小冊子

本と一緒に生まれて来て、本当に本が大好き。
このシリーズ書いてるときすっごく楽しいです。
続けていきたいので、なにとぞよろしくお願い増す。
  1. 2018/07/05(木) 22:52:03|
  2. 告知

「震災とメディア」/「感情による認知の歪みと呪いの解き方について」

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  1. 2018/07/03(火) 19:36:21|
  2. 講義録

「今だからこそ知っていただきたいこと、一緒に考えたいこと/児童相談所非常勤弁護士」(代理掲載・菅野彰)

はじめに。
わたしが親しくしている弁護士さんから、今回多くの方が胸を痛めている虐待死と、児童相談所の件についてメールをいただきました。
この文章の中でわたしがたくさんの方に留意して欲しいと思うのは、ここです。
「いろいろな署名活動が回っていますが、ひとつひとつ、制度を調べて、本当によいのかなってみんなで考えていければと思います。」
SNSには、様々な言葉が飛び交います。
それらを読みながら、「実体験です」「これが今回の件の全てだ」というような断定を多く見かけます。
それが本当に事実なのか、検証することは難しいように思うかもしれない。
けれど、ネット社会である今、ある程度は事実に近いところまで当たることは可能です。
今回、本当に痛ましい出来事が起きて、わたしも言葉にならないです。このことについては何も言葉が出ない。ごめんなさい。
こういった出来事が多くの人に周知されて、同じようなことが起こらない明日を迎えるためには、「事実」をもって向き合わなければならないと、私はこの件だけでなく、どの件にも思うことです。
大きな悲劇は、「感情による認知の歪み」を引き起こして、その歪みは、「同じことを起こしたくない」という望みから逆行してしまうことがある。
少しかたい言い方になってしまいました。
うーんと。
「こんなこと起こらないようにしなきゃ! 子どもたちの命を守らなきゃ! あ、こんなツイートがある! そうなの!? 酷い! 署名しなきゃ! 拡散しなきゃ!」
その「署名しなきゃ。拡散しなきゃ」の前に、一旦止まって、調べてみよう。せっかくそこに救いたいという尊い気持ちがあるんだから、有効にそれを作用させたいよね。一人でも助けることが、望みのはず。
具体的には、多く拡散されているツイートにもし共感したら、リプ欄を読んでみることをわたしはお薦めします。これはとても簡単な方法。そこには、「いえ、わたしはこういう逆のことがあった」という事例が書いてあったりします。もちろんそれも事実とは限らない。
でもこれが一番、「様々な事実がある」ということを知る簡単な方法なんじゃないかと思うの。
そこから更に知ろうと思えたら、検索など、方法は広がっていくと思います。
そういう様々な「知ることのできる言葉」の中の、実際に児童相談所の非常勤弁護士をしている方の一人の経験です。
参考の一つとして、読んでみてください。
(菅野彰)


私は、2009年からはある児童相談所の嘱託弁護士として、2017年度からは、非常勤弁護士として稼働しています。

今、結愛ちゃんの件で、皆さんが心を痛めておられて、二度とこのような虐待が起きないように、いろいろ考えてくださっています。この分野の専門家として、とてもありがたい事だと思っていますが、専門家であるが故になかなか声に出しずらい部分もおおくてここまでなにもお話ししてきませんでした。

でも、伝えたいこと、一緒に考えたいことがあるので、菅野さんにメールを送らせていただきます。ながいけど!
 

児童相談所の虐待対応件数は、私が関わっている間にも、どんどん増えていき、負担はどんどん大きくなってきています。

面前DV(子どもの前でDVを見せる)が心理的虐待として通告されることが原則になってからは虐待対応件数も倍増し、通常業務の間にもばんばん虐待通告が入ってきます。


一人の児童福祉司が100件以上の件数を担当していると話題になったこともありました。


虐待通告があれば48時間以内に安全確認をします。通常は家庭訪問として行きますが、会ってもらえなければ行政処分としての立入調査をします。この立入調査は、拒否した場合に罰金のペナルティがあるものの、鍵を開けて無理矢理入ることが出来ないので、立入調査がだめであれば裁判所に令状をもらって(★裁判所に児童相談所が申立てる)臨検・捜索をします。(臨検・捜索であれば、鍵を壊したり,扉を物理的に開扉することが可能)


子どもと面談が出来て、安全が確認できれば子どもを保護者に返しますが、安全が確認できない場合、引き続き調査が必要な場合には一時保護が出来ます。ただし、2ヶ月を越えて一時保護をする場合に、親権者の反対があれば裁判所に承認審判(★裁判所に児童相談所が申立てる)をもらう必要があります。


一時保護は原則2ヶ月なので、これを越えて長期間親子分離が必要であれば施設や里親で子どもをあずかります。原則として親権者が反対している場合には施設に入所させることが出来ません。虐待をしていること、あるいは親権者と暮らすことが子どもの福祉に著しく反する事が立証できれば場合には裁判所の審判によって(★裁判所に児童相談所が申立てる)施設に入所させることが出来ます。ただ、なかなかこの審判は立証のハードルが高いです。


こんなまだるっこしい手続きいる?手続きのハードル高すぎない?と思うかもしれませんが、逆に、子どもが虐待されてるかもしれないと疑われたら、特に手続きなしに、子どもをどこかに連れて行かれたり、鍵を壊して家の中に入ってこられたりしたら、大変です。基本的人権が完全に侵害されてしまいます。そんなわけで、裁判所の手続きは必要だということなのです。


これらの手続きは、もちろん弁護士がお手伝いしますが、証拠を作ったり打合せをしたりというのは担当者がします。100件の内、こういう事案がいくつか入っているんです。


なので、よりよい支援をするためには、人員と予算の補強は、もう、しぬほど不可欠です。


これは、私個人の経験ですが、私が所属している児童相談所では、担当者たちが、端から見ると大丈夫?ってくらい、子どもと、保護者のことを真剣に考えているんです。こんなに件数を持ったら、「そんなに一件一件に力入れていられないよ」と考えるのが人情だと思うし、それでもまわるんだとおもうのですが、私が接する職員の人たちはもうみんながみんな、子どもが受けた虐待に真剣に憤り、子どもを心配して、全力で助け出そうとして、助けた後のケアも怠りません。

さらにびっくりなのは、虐待をする状況に陥った保護者を心配して、保護者のケアも全力でするんです。お母さん大変だったね。もう大丈夫だよ。一緒に子どもとの生活を立て直そうねって言って、ゆっくり話を聞くんです。

毎回、会議のたびに、そんなにも!?って目玉とびでます。

もちろん、全部の児相がそうだとは限らないし、私も見た限りのことしか分からないですが、それだけ、きちんと虐待に向き合っている児相、担当者がいるということは、本当にありがたいと思います。


今、目黒の虐待死事件が大きくクローズアップされていろいろな問題点が出てきています。端から見たら、前の児相の一時保護解除って大丈夫だったのかな?とかいろいろ思うものの、事情が分かっていないのに批判するのは良くないと思うので、死亡事例検証報告書が出るまで待とうと思います。


児童相談所に必要とされている改革にはいろいろなものがあります。

今までの時代に合わせて、平成28年、平成29年にそれぞれ大規模な児童福祉法・児童虐待防止法改正がありました。

それでもなお、人員の増員や予算については不十分な点が多いように思います。 


また、児童相談所間の情報共有についても今回不十分だった可能性はあります。現在も虐待のリスクを数値化して、これを共有することで虐待のリスクを共有しようという試みがありますが、このような取り組みをきちんと進める必要があります。また、引っ越しによってリスクが増大することについて、再評価が必要だとも思います。


加えて、他機関連携(主に警察)の話がでています。これについては、実は現在もある程度の対策が取られています。要保護児童対策地域協議会ってご存じですか?まさに、他機関連携の協議会で、警察児童相談所学校等がお互いに守秘義務を負ってケースのことを共有する協議会です。この制度を利用することは非常に重要です。


さらに、警察と児童相談所の情報を全件共有するという話が出ています。これ、私、ちょっと心配です。

児童相談所の中の子どもだけじゃなくて、少年事件、子どものシェルターに逃げてきた子どもとも話をする立場からすると、児童相談所と警察が完全に情報共有している中で、児童相談所に助けを求めることに躊躇する子どもはおおいんじゃないかと思うんです。


今回話題になっているケースは幼児ですが、高学齢の子どもたちは、虐待から逃れて、友達の家を転々としながら、最後に児童相談所に助けを求めることも多いです。その間に、食いつなぐために売春、万引き等の違法行為を行なっていることもありうる。児童相談所は、そうだったとしても、とりあえず逃げておいで!!って言える場所じゃないといけないと思うんです。そこで、警察と児童相談所が情報の全件共有をしているとなると、子どもたちが助けてって言えなくなっちゃわないかという懸念があります。


いろいろな署名活動が回っていますが、ひとつひとつ、制度を調べて、本当によいのかなってみんなで考えていければと思います。


この事件を切っ掛けに、虐待対応に良い風が吹き、もう二度と、どのような虐待死も、おきませんようにと切にいのっています。

(児童相談所非常勤弁護士)
  1. 2018/06/15(金) 16:57:08|
  2. 未分類

「七年目の気持ち/岩手県釜石市のこと」

 明日で七年目。
 東日本大震災で犠牲になった方々に、心から哀悼の意を表します。

 ずっと書けずにいた岩手県釜石のことを書きたい。ちゃんと書けるかな。
 六年目のわたしはこんなありさまでした。読まなくてもいいよ。酷いありさま。
 「六年目の気持ち」
 でもそのあと春彼岸に南三陸(赤い鉄骨の防災庁舎のあるところです。二十四歳の遠藤未希さんが、最後まで「高台に逃げてください」と呼びかけつづけた庁舎。彼女の行方はまだわかっていません)に行ったら、お彼岸で集まっている地域の人々に笑顔があった。
 その後五月にまた釜石に行ったら、釜石も友人も前へと歩き出していた。
 わたしも「おうちごはんは適宜でおいしい」(徳間書店)の中で、「東北のおいしいものを食べて知ってと言えるようになった」と書けた。
 けれど3.11が近づいて来て、また気持ちが落ちてきてしまった。
 理由ははっきりしているので、釜石市のことの前に、一つわたしからのお願いにどうか耳を傾けてやってください。
 この時期になると、
「観光やおいしい食べ物を見て。楽しいことを知って。お涙ちょうだいの話はもうたくさん。それが東北の復興の妨げになる」
 こういう言葉をよく見かけます。
 前半は本当にその通りだと思う。見て知って訪ねて欲しい。おいしいしきれいだよ。
 そしてわたしは、あの日に起こったことを知ってとも目を背けないでとも言いません。
 お願いしたいことは、あの日に大切な人の命を目の前で奪われた人々の悲しみに、こういう言葉で蓋をしないでくださいということ。
 これは当時八歳だった少年が、今読書感想文を通してやっと言えたこと。
「母の死“封印”した少年が初めて語ったこと」 
 「助けて」というお母さんを置いて逃げるしかなかった少女。
 「行け」とおばあちゃんに叫ばれて津波から走って逃げたことを悔やみ続ける子。
 七年で癒える悲しみだと思えますか。わたしはとてもそうは思えない。
 お願いです。彼らの悲しみや涙を、見てとは言わない。お願いだから否定しないで。ないことにしないで。誰かが聞きたいといってそれをメディアが流すのなら、見なくてもかまわないから「もうたくさんだ」なんて言葉をどうか吐かないでください。言葉にして初めて自覚して歩き出せるということもあるの。お願い。

 こういう「悲しみの記憶はもうたくさん」という感情が多くの人にあるのがわかっていたので、二年前初めて岩手県釜石市を訪ねたあとわたしは無言になりました。
 実際何も終わっていない釜石市に行って、案内してくれた友人の記憶を聞いて、それを記事にして伝えることが釜石の復興の助けになるとはとても思えなかった。
 その感触は今も変わらないので、今回も詳細には書かない。
 海は嘘のように静かできれいで、雲丹がとてもおいしかった。季節がきたら訪ねて見て欲しい。

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 そこから無言になって、一年後にまた釜石を訪ねました。
 行ってよかった。
 一年前の釜石のことを書きたいから書くよ。希望があったんだよ。二年前には感じられなかった希望があったの。その話を聞いて欲しい。辛い話もあるけれど、そこは多めに見て。
 「帰ったきた海馬が耳から駆けてゆく」(新書館)に書いたけれど、二年前友人は海に近づけなかった。
 手前で車を停めて、
「子どもの頃泳いだりした海なんだけど、行けないから行って来て」
 そう言われて防波堤を越えて見た海は、コンクリートで埋め立てられていた。
 彼女の記憶にある海はなく、埋め立てられたことも彼女は知らずにいた。
 伝えるのは辛かったけれど、見たままを伝えた。
 けれど一年前訪ねたときに彼女は、
「海に行きたい」
 と言った。
 そのときわたしは、
「それはあの海には行けなかったけれど、行ける海があったということなのか。それとも今日初めて行ってみようと思えたのか。いつからか思えたのか。わからないけれど聞かずに一緒に行こう」
 そう逡巡しながら、一緒に海に行った。
 きれいな静かな海でした。海鳥がたくさんいて、上の高架が津波で曲がったままだったけれど、それ以外はごく普通の海。
 小さなお子さんを連れた家族連れ、犬の散歩、みんな普通に浜辺を楽しんでいる。
「あ……」
 ふと彼女が言った。
「震災のあとはずっとみんな、浜辺では下を向いて歩いてたって聞くのに」
「どうして?」
「遺品や……家族の何かを探して、みんな砂を見て歩いてた。でも今日は違う」
「……本当だね」
 家族連れを見つめるとお子さんは三歳くらいで、そうかその日のあとに生まれた命なんだと気づいた。
 一年前はまだ悲しみで身動きができないように見えた釜石市が、変わっていた。
 胸が詰まるとかなにかこみ上げるとかそういう大げさな感情ではなく、私もそれを見てる。
 きれいな海だ。
「海と一緒に生きて来たから、海はやっぱり好きだ」
 釜石で生まれて釜石で育って、震災があっても釜石を離れない友人が、初めてそう言うのをわたしは聞いたよ。

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 この日は大槌町に行った。
「町があったんだよ」
 教えられて言葉もないほどに、何もない。大槌町役場は、きっちり震災のときで時計が止まっている。
 写真を撮る気持ちにはなれなかった。
 震災で家を奪われた人々は、復興住宅に入居して新しい生活をしている。
 わたしは田舎で九十六歳で大往生したばあちゃんがいるのでこれは体感として強くあるけれど、一軒家で生まれ育った田舎のじいちゃんばあちゃんは団地に入っただけで弱っていってしまう。
 土地はあるのだから、本当に必要なのか説明のつかない盛り土やスーパー防波堤の前に、小さくてもいいから平屋の復興住宅を作りたい。福島県にはあるの。無茶な話ではないの。
 その住宅に入った職人のおじいちゃんが、人と交わらず鬱傾向になってという話を彼女から聞いた。
 様々なサークルを作って、元々の仕事に近いものを探してすすめたり、とにかく生きてもらおうって彼女は必死。
「趣味とかないの?」
 彼女はじいちゃんに訊いた。
「そんなのいらないんだ。前はふらっと浜に出て煙草吸ってたら、じいちゃんどうしたのって誰かしらが声かけてくれて喋って。そんなんでよかったんだよ」
 じいちゃんはそう言ったという。
 福島県では原発周辺から立ち退きを強いられて散り散りになった人々が、同じ思いをしている。
「でもそれは……もうとりかえせないものだよね」
 聞いているわたしも、認めざるを得なかった。
「うん」
 クラッシュアンドビルドという言葉を使うなら、この老人たちの声にまず耳を傾けて欲しい。
 もう一度作らなければいけないものは、簡単なことじゃない。取り返しがつかないものなんだよ。
 夜、一年前と同じ居酒屋に行ったら、お店が増えていた。
 相変わらず海の幸は、本当においしい。

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 翌日釜石を離れるときに、朝市を見た。去年から始まったそうだ。
 町の人には大きな笑顔があった。

 この少し前に関東で、六十二歳の女優さんとお話しした。
 小五以来会ってなかった同級生の同窓会に呼ばれて、行ったのよと語られて驚いた。
 どうして行こうと思ったの? と思った。女優さんだからそんな何十年も会っていないのに同窓会に呼ばれて、むしろ嫌じゃなかったのかなって思った。
 女優さんはとても楽しかったと、その同窓会の話をしてくれた。
「わたしも介護や子どものことや離婚や、色々あってね。みんなもがんばって生きてきたんだねえ。いろんなこと乗り越えて、愛おしい、抱きしめたいって抱きしめたの」
 そのときは、その気持ちがわかる日が来るといいけれどまだ遠いかなって思いながら聞いていた。
 でも思いがけず直後に、釜石のごく普通に笑顔をたくさん見て。
 あの日からみんながんばって生きてきたんだね。
 愛おしいなあ。
 がんばって生きてきたんだね。
 わたしもがんばったしわたしもわたしが愛おしい。がんばるねって思えた日だった。
 その五月から一年近くが経って、明日を前にまた気持ちが落ちたけど、愛おしい気持ちを思い出せたし、また釜石にも行きたい。

 七年目のわたしには、一つ大きな変化があったのでそれをご報告して日記を終わります。
 「帰ってきた海馬が耳から駆けてゆく2」(新書館)の震災後の一ヶ月を綴った中に書いたけれど、震災の一週間後からわたしは祈るのをやめました。こんなことをするのが神様ならわたしはもう祈らないと、それ以来頑なに祈らなかった。
 文章の末尾に「祈ってます」と書くべきところにも、わたしは「願ってます」と書く。七年近くそうしてきた。
 去年の十二月に、きっかけがあって震災以来初めて祈った。
 そのときようやく、「祈りは誰かのためにあった。わたしには」と思い出せた。
 神様とはまだちゃんと仲直りはしていなくて、ぎくしゃくしてる。
 でもわたしもこうして変わっていく。

 光のある方へ一人でも多くの人が一歩ずつ行けますようにと、祈る。
 そういう七年目です。
  1. 2018/03/10(土) 14:38:30|
  2. 日記
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