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菅野彰

菅野彰の日記です

「自分や身近な人の、耳の聞こえ方に悩む方へ」(2019/1/29追記)

 聴覚の真面目な話です。
 同じようなことで悩んでいる方、特に、
「もしかしてうちの子どもはそのことに悩んでいるのかもしれない」
 という方に届くといいなと思いながら書きます。
 全て自分のこと、自分の経験を通しての話になりますが、
「あ、自分もそうかも。身近な人もそうかも」
 となったときに、調べる具体的な方法、調整できるかもしれない療法が存在するので、そうしたいと思ったらご紹介した方や、同じような療法士の方にお問い合わせしてみてください。
 これを書く上で強く思うのは、自分の感覚だけを気にかけて欲しいということ。
 たとえば他者に聴覚の悩みを話して、
「気のせいでは。精神的なものでは。別に特別なことではないのでは」
 と言われても、それは一切気にしないで欲しい。耳や目のことは本当に1人1人違うので、専門家ではない他者の言葉にほとんど意味はないというのが現在のわたしの考えです。
 あなたがどんな風に音が聞こえているのかは、言葉では他者には伝わらない。けれど数値化することができます。
 読みながら「私もだ」と自分で思う部分があれば、その数字を調べてみるのもいいと思います。
 なるべく整理して書きたいけれど、何処に共感点があるのかわからないので、自分のことを一つ一つ書いていきます。
 長くなりますが、拾いながら読んでください。

 結論から言うとわたしの聴覚は、一般的な聴覚よりかなり聞こえ過ぎているという数値になりました。
 40過ぎているので聴力は普通衰えるし、実際衰えるている自覚もあるので、子どもの頃の聞こえ方は酷いものだったと思います。
 35歳くらいまでは、時折、
「音に殺される」
 という苦痛とともにいました。

 具体的なことを幼児期から順に書いていきます。
 最初に、
「自分は音に対する感覚がおかしいのだろうか」
 と思ったのは6歳でピアノを習い始めた時です。
 大きく響く高い音に、尋常ではない恐怖を覚えました。きっかけは譜面台のビスがピアノの音で振動するのを見た瞬間だったのもあって、自分でも精神的なものだと思い込みました。
「強く打鍵して」
 と言われても恐ろしくてできない。
 ピアノ教室でも家でも叱られるし、
「大きな高い音が死ぬほど怖い」
 と言っても理解はされません。
 ピアノだけでなく、音楽、テレビ、大きな音という音が恐ろしく、聞こえると過剰に心拍数が上がり、
「音を小さくして、音を消して」
 と半狂乱になることもある。
 周囲からしたら神経質で頭のおかしな子どもです。
 自分でも、自分はおかしいと思っていました。
 ピアノは続けられず、中学生になって吹奏楽部の男の子がわたしの聴覚の過敏に気づきました。
 トロンボーンを持って近づいてきて、わたしの近くで大きな高音を鳴らす。
 その恐怖で極度に怯えるわたしを、彼は多分ただからかっているだけだっただろうし、周囲もじゃれていると思っていたと思います。
 その時、彼がわたしに近づいてくる恐怖は、心拍数は極端に上がり貧血になるほどで、けれどそのことも誰にも理解はされませんでした。
 わたしも言えなかった。
 どう言ったらいいのかわからないし、ふざけているだけなのもわかっていたのです。
 彼もこんな思いをさせようとしているわけではなく、させていることもわかっていないのだろうとは思いました。なので彼のことは今も悪くは思っていません。
 このこと以外もそうですが、トロンボーンがそんなに恐ろしいと言ったら、自分の頭がおかしいと思われるだろうとも思い言えませんでした。
 その後も、音楽やテレビが無作為に掛かっている状況が苦痛で、言える相手なら消してもらい、無理ならイヤホンや耳栓をして遮断して、それは現在も変わらずです。
 音楽ならばまだいいけれと、もちろん騒音は死ぬほど辛い。
 30歳過ぎて転居した場所が騒音が辛く、
「ここに暮らしていたら死んでしまう」
 と、そこから転居を2度しました。
 無音の世界に暮らしたいと、この頃が一番音に苦しんだ時期でした。これは最初の騒音の中で数ヶ月を暮らしたことが引き金になったと、今は思います。

 最近、その音に対する神経質さが、過剰ではなくなったと気づきました。
 年齢のせいかなとも思ったけど、ここ2年ほど好きな音楽がはっきりしたので、可能な限りその音楽を聴き続けていて、ずっとかたわらにあったストレスが劇的に軽減したんだと思います。好きな音だけ聴き続けている。
 ただこれも今回聴覚を調べて色々お話しして、
「ずっと耳を疲労させてるからいいことではないです」
 と言われました。
 わたしは日常的に自宅の仕事部屋でもカナル式のイヤホンで音楽を聴いていて、耳栓も持ち歩いています。聴けない音を遮断できない状況だとうろたえるので、イヤホンが見当たらないと落ち着きをなくします。普通の狼狽ではないです。

 それらのことがメンタルのせいではなく、聴覚のせいなのではないかと初めて思ったのは、今年になってからでした。
 大分音に対する感覚がマシになったと思ったのは2年ほどなのですが、今年の頭にある男性の歌を聴いていて高音域が辛く感じました。
 元々高音域が得意な声量のある方で、スキルアップしてすごい声量で高音を出すように最近なられた。
「高音大き過ぎない? しんどくない?」
 同じ歌を聴いている方に尋ねても、しんどいのはどうやらわたしだけ。
 次に彼のコンサートに行ったとき高音を張られるところで無意識に両手が耳にいって両耳を塞いでしまいそうになりました。
 とても失礼な行為だと慌てて手を下ろして、でもそれほどこの高音が自分には辛いと自覚しました。
 その後、恐らくは絶対音感があり聴力もとても高い方とお話しする機会があって、その方が発信する音楽の話をさせていただきました。
 普段音楽を聴いて誰かに、
「こうだったよね?」
 と話しても、
「そうかな?」
 と言われることがその方だと、
「そうそう、そうなんですよ」
 と返って、やはりその音は存在すると知り、けれど多分多くの人には聞こえないのが当たり前なのだとも気づきました。
 そこでやっと、
「わたしの可聴音域は生まれつき広すぎるのでは? もしくは聞こえ方が何か違う」
 という考えに至りました。
 たとえば色盲の方は、自分の見え方が色盲ではない方と違うということに成人しても気づかないということがあります。
 誰しも自分の見え方聞こえ方が、みんなと同じ世界の色世界の音だと思っているもので、わたしもそう思っていたけど違うのかもしれない。
 けれど耳鼻咽喉科の聴力検査では測れないだろうと思っていた所に友人が、
「友達が、多分そういったことを調べて、日常に障りがあるなら調整もするという療法士をしている」
 と、その方を紹介してくれました。
 わたしが紹介していただいたのは、二村典子先生です。吉祥寺と麻布で療法士をしてらっしゃいます。
 療法はトマティスというもので、信号の出る機材を使って5つの検査をします。
 結果としては、やはりかなり聞こえ過ぎていました。
「現在の年齢でこれだけ聞こえていたら、子どもの頃は辛かったでしょうね」
 そう言われて、わたしは子どもの頃からの経験を二村先生に話しました。
 今まで仕事の取材で、カウンセリング的なもので自分のことを話す、言い当てられるというような経験はたくさんあったのですが、子どもの頃からの自分の経験や思いをあんな風に滝のようにお話ししたのは初めてでした。
 そういう自分に驚き戸惑ったけれど今思うと、
「自分にはこんなにも苦痛で恐怖である音が、誰にも理解されない。他者には聞こえていない。幻聴かもしれない。自分は心が病んでいるのではないか」
 そう思わない日が、その日までただの1日もなかったのだと気づきました。
 それは長い苦痛で、病んでいるわけではないと初めて思えたことはとても大きく、今後生きていく中でわたしには大切な安堵でした。
 惜しむらくは子どもの頃にこのことを知れたならと、心から思います。
 トマティスは本来、たとえば「さ行」が発語できないお子さんに、
「もしかしてさ行が聞こえていないのでは?」
 と調べてあげて、可能なら聞こえるように、発語できるように調整する。
 というようなことが目的の多くかと思います。
 またわたしのような聞こえ過ぎで音に過剰な恐怖を感じる子どもがいれば、その恐怖を軽減することを試みる、何より理解するということ。
 時代は常に進化して、医療や技術に対して、
「あの頃これがあれば」
 と思うことはいくつもあるし、けれどそれはもう考えてもしかたがないので普段ならわたしは考えないです。
 でもこの聴覚のことだけは、子どもの自分に与えたかった。
 一番辛かったのは、時には殺されるというほどの恐怖が、
「神経質な子どもだ」
 と理解されないことと、何より自分自身でも、
「こんなに音が恐ろしいわたしは頭がおかしい」
 と思っていたことです。
 もし身近に、
「もしかしてこの子も?」
 と思うお子さんがいたら、そんなに堅苦しい検査ではないので、試みていただけたらと願います。
 現在のわたしは過剰だった聴覚も恐らく年齢なりに衰え、
「音楽を聴くにはとてもいい耳。けれど聞こえ過ぎていることには変わりないので、自衛はしてください」
 と言われ、ならばテレビが辛い自分は仕方ないとわかったし、好きな音楽をできる限り楽しもうとそんな感じでおります。
 でも長かったなあと何度でも思う。
 自分はおかしい、音が辛い、という毎日。
 知ることができたので、ここからはまず聞こえ方について自分をおかしいとは思わずに過ごすね。
 それは本当に、とても大きな幸いです。
 残念だけど今は好きだった歌い手さんの高音が辛いけど、折り合い方を探すうちにわたしの聴力も変化するかなとそれも楽観的な気持ちでいます。理由がわかったから。
「何か音楽をやらないんですか?」
 二村先生に訊かれました。
 よく聴こえているなくらいには思っていたので自分でもたまに不思議に思うけど、全く奏でられないいつでも聴くのみ。ピアノも怖かったというのもあり。
 音楽はただ聴くために生まれてまいりましたよ。
 これからも楽しみたいです。

 今回わたしがお世話になった、二村典子先生のホームページです。
 私は一音聴いてから押している自覚がありました。
 二村先生が、
「本当はもう一音前に聞こえていますよね。ですからこのグラフより上になります」
 とおっしゃって、本当にきちんと診てくださっているのだなと驚きました。
 とても優秀でやさしい、楽しい方です。

2019/01/29追記
今日海宝直人さんのアルバム、
「I wish. I want.~NAOTO KAIHO sings Disney」
が届いて聴きました。
一応前置きしますが、わたしは一ファンという立場以外の何者でもないです。
わたしのお仕事が微妙な立ち位置なので時々誤解を招くので、念のための前置き。
一ファンのわたしの話です。
聴覚過敏の記事に書いている、スキルアップして高音域が更に得意になった歌い手さんは海宝直人さんでした。
これはわたしの聴力の問題でしかなく、それで当時お名前は伏せました。海宝直人さんは実力をどんどん上げてらっしゃるだけなのに、わたしの身体的理由で一時期彼の歌が聴けなくなってしまっていたわけです。
先日、オーチャードホールを満席にした彼のコンサートに行きました。
自分理由でしかないのだけれど少し不安を抱えて席に着いたら、歌は本当に美しく素晴らしくて、色んな意味で涙が出ました。
昨年も、
「あ、聴くことができるようになった?」
と思いながら、まだ自分に自信がなく。楽しめるのかわからないという。
その間、カウンセリングを続けたり、そしてここは素人の感覚でしかありませんが、海宝直人さんの歌も更に何か美しさを進化させていったようにも思います。
海宝直人さんの歌を初めて聴いたのは、2011年のクリスマスイブでした。震災の年です。明るい気持ちになるのはとても難しい年だった。
心を掴まれ、聴き続けた彼の歌がわたしの聴覚過敏のせいで辛くなったことは、本当に悲しいことでした。
でも、カウンセリングや様々を経て、オーチャードホールで、ただ彼の歌の美しさに涙がこぼれた。
今日アルバムを聴いて、わたしの元に帰ってきてくれた美しい歌声に、本当に幸せになれました。
聴覚過敏のわたしは、その美しい歌声を取り戻すのにはちょっとがんばらないといけなかったかもしれない。
でもちょっとがんばったらもしかしたら何か美しいことを、ひとは取り戻せる可能性もあるよ。
そんな気持ちでいま、
「So close」
を聴いています。
2011年のクリスマスイブに初めて聴いた彼の歌はこの歌で、日本語でした。
美しい歌です。
嬉しいし幸せですよ。
そのためにわたし少しがんばったの。
そんな個人的なお話でした。


naoto.jpg

  1. 2019/01/29(火) 14:23:45|
  2. 日記

「硬い爪、切り裂く指に明日」(河出書房新社)11月1日頃発行

 小説の新刊が出ます。大切に書きました。
「僕は穴の空いた服を着て。」のときと同じく、イラストは川野さま。デザインも同じく坂野公一さま。
 とても嬉しい。
 ジャンルは一般小説になります。
 どんなジャンルでもいつも同じ気持ちで書いてます。
 生きるよということ。
 おもしろいです。わたしはいつも自己肯定上手ですが。それにしてもおもしろいです。
 あらすじはこんな感じ。

「宮城県の海のある街に暮らす平良はもうすぐ16歳の誕生日を迎える。
極端に若く見える眞宙が実の父親ではないと気づきながらも、
かたわらに在り続けることを強く望む平良。眞宙と平良の本当の関係は? 
そして左腕に残る火傷の痕に隠された真実とは──。」

 読んでやってください。
 書き終えて抜け殻になりました。
 自信作。

 少し前に全く自分のこととは別件で、
「誰一人傷つけない文章はない」
 とSNSに書きました。
 そのときこの小説は既に脱稿して発行日も決まっていました。
 これは中でも、もしかしたら多くの人を傷つけてしまうことがあり得ると思いながらその言葉を書きました。今までになく、そういう不安は大きく持っています。
 テーマは全く別ですが、舞台が2018年9月の宮城県です。
 でも震災小説ではありません。
 毎年海辺を歩いて、非日常が日常となった7年目の宮城県を舞台にしようと思いました。
 震災小説ではありませんが、切り離せないことなので震災にまつわる描写はあります。
 自分にはまだ2018年の宮城県を舞台にした物語は早いかもと悩む方がいらっしゃったら、ご自身のタイミングを選んでください。
 数年前ある震災を題材にしたエンタメ映画を観た時に自分がPTSDを起こしたので、注意喚起は必要だと思い今回はこうして書きました。
 舞台が何処なのかとは無関係に、誰かを傷つけることはこの小説に限らずあると思います。
 わたしの場合はですが、そのときは教えてほしい。
 誰かを傷つけることも覚悟して書いている場合もあります。そのときは手紙を読ませていただいて、ごめんなさいと思う。
 まれに、意図せず傷つけてしまうことがあります。たまにですがそういうお手紙をいただくことがあります。
「そんなつもりではなかった」
 という傷つけ方はしたくないです。
 そうか、そういう立場の方もそう受け取る方もいるのかと教えていただいて。
 それでわたしが変わる場合と、変わらない場合があります。
 でも、変わらなくても、傷つく方が存在するということはわたしは知っていないといけないと思うので。
 お手間をおかけしますが、この本に限らずそういう気持ちも打ち明けてくださったらありがたいです。
 小説はおもしろいです。
 本になるときそう思わないことはないです。
 よろしくお願いします。

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  1. 2018/10/15(月) 17:57:54|
  2. 告知

「色悪作家と校正者の貞節」(ディアプラス文庫)初回特典SSあり・7/10発行

大好きな楽しく書いているシリーズ「色悪作家と校正者」シリーズ第二弾、「色悪作家と校正者の貞節」7/10発売です。
第一弾は「色悪作家と校正者の不貞」発売中。
歴史校正と本のラブ。
楽しいよ!

文庫には、「色悪作家と校正者の弟」を書き下ろしています。弟光希と、森鴎外と井伏鱒二。
後書きに大事なことを書き忘れた! 正祐が光希にスッと「罪と罰」渡してますが、なんとわたしはまだ読んでない。読んだ気になってるけど読んでない。読ますに死んだらどうしよう。読むよ。

【初回特典一覧】です。
初回特典ペーパーは、書き下ろしの後日談「色悪作家と校正者の弟帰宅後です。ルビなのくらいみちみちに書いたので虫眼鏡で読んでね。こちらは森鴎外「舞姫」。「弟」で大吾が大変かっこつけてたので、実はヤキモチですという後日談です。
そして。
この初回特典SS制度ができてわたしはしばらく、わかってなかった。
こういうものに求められているのは、おまけ感だということを。
しかしまだ慣れてない。
本編に入れるべきだったー、という短編を書いてしまうことがままあります。
思い切りやっちまったぜなのが、コミコミさん特典の「色悪作家と校正者のシェイクスピア殺し」です。
コミコミさんだと、「色悪作家と校正者の弟帰宅後」も合わせて入手できるのでお願い入手してー!
渾身なの!
【店舗特典・コミコミスタジオ様で購入した方のみ】書き下ろしSS小冊子

本と一緒に生まれて来て、本当に本が大好き。
このシリーズ書いてるときすっごく楽しいです。
続けていきたいので、なにとぞよろしくお願い増す。
  1. 2018/07/05(木) 22:52:03|
  2. 告知

「震災とメディア」/「感情による認知の歪みと呪いの解き方について」

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  1. 2018/07/03(火) 19:36:21|
  2. 講義録

「今だからこそ知っていただきたいこと、一緒に考えたいこと/児童相談所非常勤弁護士」(代理掲載・菅野彰)

はじめに。
わたしが親しくしている弁護士さんから、今回多くの方が胸を痛めている虐待死と、児童相談所の件についてメールをいただきました。
この文章の中でわたしがたくさんの方に留意して欲しいと思うのは、ここです。
「いろいろな署名活動が回っていますが、ひとつひとつ、制度を調べて、本当によいのかなってみんなで考えていければと思います。」
SNSには、様々な言葉が飛び交います。
それらを読みながら、「実体験です」「これが今回の件の全てだ」というような断定を多く見かけます。
それが本当に事実なのか、検証することは難しいように思うかもしれない。
けれど、ネット社会である今、ある程度は事実に近いところまで当たることは可能です。
今回、本当に痛ましい出来事が起きて、わたしも言葉にならないです。このことについては何も言葉が出ない。ごめんなさい。
こういった出来事が多くの人に周知されて、同じようなことが起こらない明日を迎えるためには、「事実」をもって向き合わなければならないと、私はこの件だけでなく、どの件にも思うことです。
大きな悲劇は、「感情による認知の歪み」を引き起こして、その歪みは、「同じことを起こしたくない」という望みから逆行してしまうことがある。
少しかたい言い方になってしまいました。
うーんと。
「こんなこと起こらないようにしなきゃ! 子どもたちの命を守らなきゃ! あ、こんなツイートがある! そうなの!? 酷い! 署名しなきゃ! 拡散しなきゃ!」
その「署名しなきゃ。拡散しなきゃ」の前に、一旦止まって、調べてみよう。せっかくそこに救いたいという尊い気持ちがあるんだから、有効にそれを作用させたいよね。一人でも助けることが、望みのはず。
具体的には、多く拡散されているツイートにもし共感したら、リプ欄を読んでみることをわたしはお薦めします。これはとても簡単な方法。そこには、「いえ、わたしはこういう逆のことがあった」という事例が書いてあったりします。もちろんそれも事実とは限らない。
でもこれが一番、「様々な事実がある」ということを知る簡単な方法なんじゃないかと思うの。
そこから更に知ろうと思えたら、検索など、方法は広がっていくと思います。
そういう様々な「知ることのできる言葉」の中の、実際に児童相談所の非常勤弁護士をしている方の一人の経験です。
参考の一つとして、読んでみてください。
(菅野彰)


私は、2009年からはある児童相談所の嘱託弁護士として、2017年度からは、非常勤弁護士として稼働しています。

今、結愛ちゃんの件で、皆さんが心を痛めておられて、二度とこのような虐待が起きないように、いろいろ考えてくださっています。この分野の専門家として、とてもありがたい事だと思っていますが、専門家であるが故になかなか声に出しずらい部分もおおくてここまでなにもお話ししてきませんでした。

でも、伝えたいこと、一緒に考えたいことがあるので、菅野さんにメールを送らせていただきます。ながいけど!
 

児童相談所の虐待対応件数は、私が関わっている間にも、どんどん増えていき、負担はどんどん大きくなってきています。

面前DV(子どもの前でDVを見せる)が心理的虐待として通告されることが原則になってからは虐待対応件数も倍増し、通常業務の間にもばんばん虐待通告が入ってきます。


一人の児童福祉司が100件以上の件数を担当していると話題になったこともありました。


虐待通告があれば48時間以内に安全確認をします。通常は家庭訪問として行きますが、会ってもらえなければ行政処分としての立入調査をします。この立入調査は、拒否した場合に罰金のペナルティがあるものの、鍵を開けて無理矢理入ることが出来ないので、立入調査がだめであれば裁判所に令状をもらって(★裁判所に児童相談所が申立てる)臨検・捜索をします。(臨検・捜索であれば、鍵を壊したり,扉を物理的に開扉することが可能)


子どもと面談が出来て、安全が確認できれば子どもを保護者に返しますが、安全が確認できない場合、引き続き調査が必要な場合には一時保護が出来ます。ただし、2ヶ月を越えて一時保護をする場合に、親権者の反対があれば裁判所に承認審判(★裁判所に児童相談所が申立てる)をもらう必要があります。


一時保護は原則2ヶ月なので、これを越えて長期間親子分離が必要であれば施設や里親で子どもをあずかります。原則として親権者が反対している場合には施設に入所させることが出来ません。虐待をしていること、あるいは親権者と暮らすことが子どもの福祉に著しく反する事が立証できれば場合には裁判所の審判によって(★裁判所に児童相談所が申立てる)施設に入所させることが出来ます。ただ、なかなかこの審判は立証のハードルが高いです。


こんなまだるっこしい手続きいる?手続きのハードル高すぎない?と思うかもしれませんが、逆に、子どもが虐待されてるかもしれないと疑われたら、特に手続きなしに、子どもをどこかに連れて行かれたり、鍵を壊して家の中に入ってこられたりしたら、大変です。基本的人権が完全に侵害されてしまいます。そんなわけで、裁判所の手続きは必要だということなのです。


これらの手続きは、もちろん弁護士がお手伝いしますが、証拠を作ったり打合せをしたりというのは担当者がします。100件の内、こういう事案がいくつか入っているんです。


なので、よりよい支援をするためには、人員と予算の補強は、もう、しぬほど不可欠です。


これは、私個人の経験ですが、私が所属している児童相談所では、担当者たちが、端から見ると大丈夫?ってくらい、子どもと、保護者のことを真剣に考えているんです。こんなに件数を持ったら、「そんなに一件一件に力入れていられないよ」と考えるのが人情だと思うし、それでもまわるんだとおもうのですが、私が接する職員の人たちはもうみんながみんな、子どもが受けた虐待に真剣に憤り、子どもを心配して、全力で助け出そうとして、助けた後のケアも怠りません。

さらにびっくりなのは、虐待をする状況に陥った保護者を心配して、保護者のケアも全力でするんです。お母さん大変だったね。もう大丈夫だよ。一緒に子どもとの生活を立て直そうねって言って、ゆっくり話を聞くんです。

毎回、会議のたびに、そんなにも!?って目玉とびでます。

もちろん、全部の児相がそうだとは限らないし、私も見た限りのことしか分からないですが、それだけ、きちんと虐待に向き合っている児相、担当者がいるということは、本当にありがたいと思います。


今、目黒の虐待死事件が大きくクローズアップされていろいろな問題点が出てきています。端から見たら、前の児相の一時保護解除って大丈夫だったのかな?とかいろいろ思うものの、事情が分かっていないのに批判するのは良くないと思うので、死亡事例検証報告書が出るまで待とうと思います。


児童相談所に必要とされている改革にはいろいろなものがあります。

今までの時代に合わせて、平成28年、平成29年にそれぞれ大規模な児童福祉法・児童虐待防止法改正がありました。

それでもなお、人員の増員や予算については不十分な点が多いように思います。 


また、児童相談所間の情報共有についても今回不十分だった可能性はあります。現在も虐待のリスクを数値化して、これを共有することで虐待のリスクを共有しようという試みがありますが、このような取り組みをきちんと進める必要があります。また、引っ越しによってリスクが増大することについて、再評価が必要だとも思います。


加えて、他機関連携(主に警察)の話がでています。これについては、実は現在もある程度の対策が取られています。要保護児童対策地域協議会ってご存じですか?まさに、他機関連携の協議会で、警察児童相談所学校等がお互いに守秘義務を負ってケースのことを共有する協議会です。この制度を利用することは非常に重要です。


さらに、警察と児童相談所の情報を全件共有するという話が出ています。これ、私、ちょっと心配です。

児童相談所の中の子どもだけじゃなくて、少年事件、子どものシェルターに逃げてきた子どもとも話をする立場からすると、児童相談所と警察が完全に情報共有している中で、児童相談所に助けを求めることに躊躇する子どもはおおいんじゃないかと思うんです。


今回話題になっているケースは幼児ですが、高学齢の子どもたちは、虐待から逃れて、友達の家を転々としながら、最後に児童相談所に助けを求めることも多いです。その間に、食いつなぐために売春、万引き等の違法行為を行なっていることもありうる。児童相談所は、そうだったとしても、とりあえず逃げておいで!!って言える場所じゃないといけないと思うんです。そこで、警察と児童相談所が情報の全件共有をしているとなると、子どもたちが助けてって言えなくなっちゃわないかという懸念があります。


いろいろな署名活動が回っていますが、ひとつひとつ、制度を調べて、本当によいのかなってみんなで考えていければと思います。


この事件を切っ掛けに、虐待対応に良い風が吹き、もう二度と、どのような虐待死も、おきませんようにと切にいのっています。

(児童相談所非常勤弁護士)
  1. 2018/06/15(金) 16:57:08|
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